書評

2013年10月号掲載

『ハードトーク』刊行記念特集

インタビューの魅力と魔力

――松原耕二『ハードトーク』

松原耕二

対象書籍名:『ハードトーク』
対象著者:松原耕二
対象書籍ISBN:978-4-10-331242-0

 忘れられない瞬間がある。
 今から十五年前の参議院選挙当日、私は開票特別番組に出演していた。夜が深まり、自民党の歴史的大敗がはっきりしてくるにつれ、ニュースの焦点は橋本総理がどう責任をとるかの一点に絞られた。そして午後十一時すぎ、橋本総理がスタジオと中継を結んで登場する。いくつかのやりとりのあと、キャスターの田丸美寿々さんが問いかけた。
「責任問題で退陣という声も聞かれますが?」
 総理は少し考えてから、ゆっくりと答える。
「政治家の進退というものは、自分で決めるもの。加藤幹事長にあす役員会を開いてほしいとお願いした」
「なんらかの責任をとられると考えていいですね」と私が即座に追い打ちをかけた。
 橋本総理はわずかに苛立ち、きっぱりと言った。
「進退は自分で決め、あしたの役員会で考えを申し上げる」
 この直後、メディアは一斉に『退陣を示唆』という速報を打った。
 お手柄は総理のインタビューを他社に先駆けてお膳立てした政治部にあるのはあきらかだったが、当時このインタビューは、総理のクビを取ったと言われたものだ。
 これには後日談がある。
 知人の結婚式に橋本元総理夫妻が主賓として出席していた。私は夫妻が座るテーブルにあいさつにうかがった。しかし橋本氏はこちらを見ようともせず、代わりに妻の久美子さんが私の顔を見て、なだめるような口調で言った。「正しい報道をしてくださいね」
 夕方のニュース番組のキャスターだった私は、橋本総理が自民党の総裁選に立候補したときから、派閥の有りようなど明らかに本人が嫌がる質問をぶつけていた。先輩記者に「ああいう質問は、他社にさせるんだよ」と激怒されたほどだ。お前のせいで関係が崩れたらどうするんだ? そう言いたかったのだろう。橋本氏が所属する自民党の最大派閥『経世会』は、当時それほど絶対的な権力を持っていたのだ。
 そのころの私は、噛みついてばかりいた。政党を渡り歩く鳩山邦夫氏に「節操がないとは思いませんか」と突っかかり、「あなたの側近たちは、なぜ最後はみな、あなたの元から離れていくのか」と小沢一郎氏を挑発した。彼らが怒ったのは言うまでもないが、批判の声は社内でも上がり、視聴者からは失礼だというお叱りの声をいただいた。若かったこともある。だが普段は他人の心をわずかに乱すことすら怖れるのに、なぜかインタビューの場に身を置くと、聞きたいことをストレートに聞いてしまうのだ。まるでインタビューの神様が降りてきて、背中を押されているような感覚だった。
 それからも私はインタビューを続けた。事件や事故に巻き込まれた市井の人々の叫びは私の心を震わせ、芸術家やスポーツ選手が語る深遠なる世界は、刺激に満ちていた。
 キューバのカストロ議長と向き合ったときの感触をはっきりと覚えている。大勢のボディーガードに囲まれるなか、カストロ議長が私の胸を指で何度も小突きながら、とうとうと語る。革命を生き抜いてきたその存在感は、圧倒的だった。
 インタビューの魅力と魔力を描いてみたい。いつからかそう思うようになった。人が心の封印を解くときの官能的なまでの一瞬、駆け引きの数々、その息詰まる心理戦。それは奥深いドラマになるのではないか。
『ハードトーク』に私のリアルな経験が生かされているのは疑いの余地はないが、同時にすべては完全なるフィクションだ。決めていたのは、インタビューの場面で始まり、クライマックスもインタビューにしようということだけ。だが主人公である岡村俊平を登場させるや、彼は勝手に動き出し、インタビューの魅力に溺れ、その魔力にからめとられていった。そして自らの再生をかけて、最後の大一番に臨むのだ。
 この小説の舞台となった首都テレビは、架空のテレビ局だ。実はこの名称、作家の野沢尚さんが、テレビ局を舞台にした小説、『破線のマリス』や『砦なき者』で使っている。野沢氏は同じ歳の友人であり、私に小説を書いてみたらと最初に言ってくれた恩人でもある。彼の突然の死から九年。祈りの気持ちを込め、あえて同じ名称にしたことを断っておきたい。
 書き終えて野沢さんの墓前に報告したとき、一陣の風が吹き、草木がわさわさと音をたてた。『ハードトーク』を野沢さんに読んでもらいたかった。切にそう思う。

 (まつばら・こうじ 作家)

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