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書評・エッセイ

山本周五郎と私

美しいもの

乙川優三郎

 山本周五郎の筆にも迷いがあると言ったら、多くの方が反論することと思う。およそ入魂の業である山本作品が、非力なひとりの人間の小さな世界を描いても、彼一流の深い眼差しによって清冽な作品と化すことはよく知られている。「日本婦道記」もそのひとつで、つつましく密やかな日本女性の美しさが謳われているが、その中の「花の位置」という一篇には彼らしい眼差しや信念があまり感じられない。
 終戦の年の「婦人倶楽部」三月号に発表しているので、書かれたのは一月ごろであろうか、戦時下の社会の異常な空気や圧力が作家の筆を鈍らせたのかもしれない。あるいは読者に考えるべき材料を提示したか、しようとして果たせなかったような気がする。
 主人公の父親がこんなことを言う。
「佐藤さんなんかついこのあいだ南方からお帰りになったばかりなんだが……前線で敵の鉄砲や爆弾をあびたときはなんでもなかったが、こっちで空襲を受ける気持はまるでべつだそうだ……つまり前線にいるときは戦っているんだ……だから鉄砲も爆弾もあらためて怖れる対象にはならない」
 本当に南方から生還した人がこれを読んだら、震えるか、虚しくなるだろう。今のわたしには山本流の人間洞察とは思えない。
 一方、主人公の頼子は「工場の中では戦っているからそれほど恐怖を感じない」という父の単純な考え方や、挺身隊として航空機工場へ通う妹の情熱に反発する。精鋭の一機に勝敗の鍵があるとしても、戦争そのものはそういう現実的なものを積み上げたところにだけあるのではない、と考える彼女は知的で冷静な存在である。そんな人がやがて挺身し、空襲の最中に待避壕を出て、飛行機の塗装を続けるという変身ぶりは虚しい。
 彼女は思う。
「この一機が頭上の敵を撃つのだ……この機といっしょなら死んでもよい……自分はこれからも空襲中に作業を続けることはやめないであろう。生とか死とかにとらわれていたのは、なまはんかな批判がはたらいたからである、ひと枝の梅のもつ美しさが、浅はかな自分の批判をぬぐい去ってくれた。明日は自分も庭の蠟梅を持ってゆこう」
 そして読者はどう思うであろうか。
 もしこの作品を誉められたら、戦争に批判的であったという山本自身が怒り出すような気がする。しかし、わたしの大いなる読み違いということもあるので、今回、特別な全集に収録されて万人の評価を待てるのはよいことだと思う。また執筆順に掲載された三十一篇を、その初出背景を踏まえながら読み通すことで、新たに見えてくるものもあるに違いない。
 後人が先人の作品を評価するとき、厳密には書かれたときの社会情勢や作家を取り巻く状況にも留意しなければならない。評者が同じ書き手の場合、特に時代小説は新資料の出現や情報網の整備といった恩恵にあずかる後人が作業的にも有利なので、過去の作品を批評する際には相応の礼儀が必要であろう。もしその先人と同じ時代に生きていたら、自分に何が書けたかと想像してみたい。
「花の位置」について考えてみなければならないのは、急速に敗戦へ向かいながら国を挙げて「鬼畜米英」「一億火の玉」と唱えていた非常時に書かれたことで、しかも「日本婦道記」でなければならない小説を珍しく実時間で仕上げていることである。国家事情を無視することのできない状況下で、山本はぎりぎりの選択をしたのかもしれない。批判的精神を捨てて挺身する娘を美しいとみたのでなければ、その真意は権力の目を晦ませて、読者に悲壮な覚悟の虚しさを伝えることであったろう。東京の馬込に暮らしていた彼は前年十一月の初空襲を体験していながら、小説の中では父親に暢気なことを言わせている。その裏には山本自身の空襲に対する恐怖があったかもしれない。いずれにしても「進め一億火の玉」とも読めてしまうこの作品が小説として成功したと言えるかどうか。どんなに優れた作家であれ、生まれ合わせた時代と無縁ではいられないことを感じてしまう。ちなみに掲載誌の表紙の絵は、神風の鉢巻をした挺身隊員とみられる娘の作業風景である。


 山本の作家生活は大正十五年発表の「須磨寺附近」から昭和四十二年の「おごそかな渇き」までで、概ね戦前、戦中、戦後ということになる。質素な暮らしと犠牲と激しい変化の時代で、苦痛も喜びも今とは比重が違う。
 山本が没した昭和四十二年二月、十三歳だったわたしは彼の存在すら知らなかった。それが今では彼の晩年にあたる年を生き、同じ作家として小品を書き続けている。人間と作品を山本と比べられたら、まあ、みっともないと言うしかないだろう。想念の中の江戸は近いものであっても、山本のように生活の汚穢まで書き切る胆力がない。しかも彼は汚れも美しくしてしまう。軽いものが増えて吹けば消えそうな時代を生きているわたしにとって、この先人の壁はむしろ高くなってきている。
 そうした観点からいうと、平成という時代を生きる今のわたしに「婦道記」は書けそうにない。まず女性のここまで立派な行為をあまり知らないし、見たり感じたりしないことにはうまく描写できないからである。また独特の文章が生み出す空間は山本のものでしかない。
「松の花」と「風鈴」は家格の違いがよく顕れているが、夫や家の役に立つことを生き甲斐にする女性のありようは同じである。終戦後に発表された「風鈴」の方に、どうなるか知れない変動の時代を生きる大衆の希望と困難を感じるのはわたしだけであろうか。「松の花」は昭和十七年の「婦人倶楽部」六月号掲載で、ミッドウェー海戦で大敗する前に書かれたせいか空間に落ち着きがある。
 作家でいるか国民でいるかという葛藤が山本にもあったように思う。それは十九年発表の「桃の井戸」や「尾花川」などに強く感じられて、どちらも国家権力の監視のもとで自由に書ける状況ではなかったときに発表されているが、そもそも時代小説の主役である武士は軍人であるから、作中人物の言葉が時局を反映するものであっても不自然なことにはならない。作家として逆に利用することもできたであろう。「尾花川」で、尊王攘夷の志士たちが集まる家の夫人が、天皇でさえ艱難に堪えているときに酒食を貪る彼らの自尊ぶりを暴いてみせるくだりは、国民の運命を弄び、自らを省みない軍閥へ向けた批判のようである。けれども物語は「今は非常のときでございます、ひともわれも、できるだけ費えをきりつめ、あらゆるものを捧げて王政復古の大業のお役にたてなければなりません」と献身的な覚悟へ落ち着き、「ほしがりません勝つまでは」と読めなくもない。
「桃の井戸」では「私の歌は格調の正しさでこそ人にも褒められるが、心をうつ美しさに欠けている、美しさは在るものではなく自分で新たに築きあげるものだ」という山本の美に対する認識が覗ける。歌人の女性が武家の寡夫に嫁いで継母となる物語だが、子育てに悩んだ末にある老婦から「武家に生れた男子はみなおくにのために、身命を賭して御奉公しなければならない、そのときまでお預り申して、あっぱれもののふに育てあげるのが親の役目です」と諭され、「三人の子たちが人にすぐれたもののふに成って、あっぱれお役に立って呉れる日を待ち望むだけである」と決心する。婦道ではあるが、「美」が「おくにのために」へ転化する構成は葛藤の産物ではないだろうか。いろいろ言われている昭和十八年の直木賞辞退の真因も、この作品群の中に潜んでいるような気がする。
 山本は曲軒として名高いが、なかなかユーモアのある人で、戦後間もなく書かれた最終作の「小指」がよい例である。放心癖のあるおっとりした気質の若い主人の存在が物語の空間を和らげて、武家でありながら親子関係もゆったりしている。彼の世話をする召使いの女性が婦道の実行者だが、ここにはそれまでの作品に見られる悲壮美はない。むしろおおらかで、女性の苦労がはっきり報われる結末が快い。
「小指」発表の年、山本は再婚し、横浜へ転居して新しい執筆活動に入る。その後の作品はどんどん昇華してゆく。戦後という新しい時代の訪れの中で、揺るぎない自分を取り戻したのかもしれない。社会の底辺を占める大多数の人間を見つめた彼は文学の求道者ではあるものの、大上段に構えて普遍的な真理を求めたわけではないだろう。
「煎じつめればこの世のことは何もかも美しいのであり」
 とチェーホフが書いている。
「美しくないのは生きることの気高い目的や自分の人間的価値を忘れたときの私たちの考えや行為だけである」
 山本が書こうとしたことのように思われてならない。

 (おとかわ・ゆうざぶろう 作家)

山本周五郎 山本周五郎長篇小説全集第4巻『小説日本婦道記』978-4-10-644044-1