書評

2013年6月号掲載

読め、しかして刮目せよ!

――矢野隆『武士喰らい』

細谷正充

対象書籍名:『武士喰らい』
対象著者:矢野隆
対象書籍ISBN:978-4-10-334071-3

 復讐は、エンターテイメントの、重要なテーマのひとつである。アレクサンドル・デュマの『モンテ・クリスト伯』の時代から、復讐を題材にした作品は書き継がれてきた。その最新の成果が本書だ。時代小説界の気鋭・矢野隆は、圧倒的な筆力と、興趣に富んだストーリーにより、新たなる復讐譚を創り上げたのである。
 戦国の筑前に、二十万石の領国を有する大巌家があった。その大巌家の家老をしている津久茂直澄には、三人の息子がいる。次男の小次郎は、強力な長男の太郎と、智謀の持ち主の三男・精三郎に挟まれ、今ひとつ、自分に自信を持てないでいた。しかし父や兄弟、妻に囲まれた生活に満足している。そんなとき、大巌家の主筋に当たる我妻家と戦になった。だが、両家の軍がにらみ合う中、大巌家の重臣たちが、次々と敵に寝返る。裏切り者の情けにより、かろうじて戦場を生き延びた小次郎だが、父と兄は死に、大巌家も滅びてしまった。
 それから五年。我妻家に仕える旧大巌家の武士たちが、武士喰らいの黒鬼と呼ばれる異形の男に、次々と惨殺された。その“鬼”こそ、薬師の乱阿弥によって、兄の手足を移植された小次郎であった。何やら事情のあるらしい乱阿弥と娘の包の世話になりながら、復讐を遂行しようとする小次郎。ところがある人物の登場により意外な事実が明らかになり、彼の復讐は思いもかけない方向に捻じれていくのだった。
 さて、粗筋で戦国の筑前と書いたが、どの時代のどの場所と、はっきり作中で明記されているわけではない。冒頭に掲げられた『大巌家伝陪臣ノ部津久茂家条』により、いかにも実在した場所や人物のように感じられるが、すべては作者の創作である。その意味では戦国小説ではなく、戦国ファンタジーといった方が、いいのかもしれない。実在の戦国武将を主人公にした『西海の虎 清正を破った男』を、既に上梓している作者である。もっと史実に寄り添った書き方も出来ただろう。でも本書では、それと反対の手法を採用している。なぜか。理由のひとつは、物語の自由度だ。
 死んだ兄の手足を移植された小次郎だが、拒否反応のようなものがあるらしく、痛みを押さえるために針を打っている。だが、そのため痛みを始めとする身体の感覚がなく、記憶も混濁している。まるでゾンビのような状態の小次郎は、槍や刀の破片を埋め込んだ“不浄”という名の棒を武器に、かつての裏切り者を狙い、立ち塞がる侍たちを、かたっぱしから殺しまくる。その様はチャンバラというより、スプラッタだ。過剰にして過激な殺戮の宴は、虚構の色が強い舞台設定だからこそ、実現したといっていいだろう。
 もうひとつの理由が、人間の感情の普遍性を表現することだ。愛する人々を殺した相手に、恨みと憎しみをぶつけたい。法律により復讐が禁止されている、現代の日本人でも、状況によっては容易にこのような感情を抱く。なぜなら復讐とは、人間の持つ、プリミティブな情動なのだから。しかし一方で小太郎は、復讐という行為に疑問を抱き、懊悩する。これもまた人間ならではの感情である。復讐者の揺れる心は、この手の物語の定番であるが、それだけに小太郎がどのような道を選ぶのか、ドキドキしながら読み進めることになるのだ。
 しかもそこに、捻りの効いたストーリーが絡んでくる。ネタバレを避けるため、詳しく書けないのがもどかしいが、中盤である人物が登場してから、次々と意外な事実が明らかになる。その果てに小次郎は、五年前の大巌家滅亡の裏に潜んでいた、驚くべき真実を知ることになるのだ。血みどろアクションを描き切る豪腕ぶりと同時に、巧みな筋立ても、高く評価できるのである。
 そしてすべてを理解したことにより、小次郎の復讐は、さらなるステージに突入する。本来、復讐の原因は取り返しのつかない過去にあり、必然的に後ろ向きにならざるを得ない。しかし作者は鮮やかな展開により、小次郎の復讐を、未来を切り拓くための行為へと変容させた。ここに本書の、最大の魅力が屹立している。『モンテ・クリスト伯』の有名なラストの一行を捩って“読め、しかして刮目せよ!”といいたくなる、斬新な復讐譚が、ここに誕生したのだ。

 (ほそや・まさみつ 文芸評論家)

最新の書評

ページの先頭へ