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インタビュー

『聖痕』刊行記念特集 著者インタビュー

文学史上最も美しい主人公の運命

筒井康隆/インタビュアー・大森望(文芸評論家)

筒井 わざわざ神戸までようこそお出で下さいました。

大森 いえいえ、多くの筒井ファンが巡礼のように訪れた〈聖地〉である神戸のご自宅に伺えてたいへん光栄です。さて、朝日新聞連載中から、一体この先どうなるのかと毎日固唾を呑んで行方を見守ってきた『聖痕』がいよいよ単行本化されます。連載が始まったのは昨年七月ですが、まもなく角川書店で単行本化されるウェブ日記「偽文士日碌」によると、「ほぼ五年がかりの大作」とのことですから、二〇〇七年にはすでに着手されていたわけですね。

筒井 着手したのはその頃ですが、古語や枕詞の収集、整理も並行してやっていました。最初のうち枕詞や古語があまり出てこないのはそのためです。まあ、最初から古語責めにすると読者が投げ出してしまいますからね(笑)。

大森 あの画期的な文体については、のちほどあらためてお訊ねするとして、まずは物語について伺います。この小説は、主人公である葉月貴夫がまだ小学校に上がる前、あまりの美しさ故に何者かに襲われて性器を切除されるという衝撃的なシーンで幕を開けます。その傷跡がすなわち題名の『聖痕』ですが、「性器を持たない主人公の人生を描く」という発想はどこから生まれたのでしょう?

筒井 これははっきりしていて、ぼくが歳をとったせいです。性欲がなくなってくると、働く意欲がなくなって死ぬのも怖くなくなるって言われてましたからね。だけどちっともそんなことはない。これなら最初から性欲がなくても人間、いけるんじゃないかと思ってね(笑)。で、そういう人間ならどんな生涯を送るのかと考えました。むろん貴夫と違ってぼくには今でも女性への興味はありますがね(笑)。

大森 作者はまだまだ枯れていない、と。紙幅があれば、そのあたりもじっくりお聞きしたいところです(笑)。本題にもどると、連載開始前の朝日新聞のインタヴューで、筒井さんは、「本来の意味でのゾラ的実験」をやると語っています。〈小説を科学的実験のように書くことができる〉と喝破したゾラのひそみに倣って、『聖痕』では、〈性欲がない〉という条件におかれた主人公がどんなふうに成長していくかを突き詰めていかれたわけですね。こういう実験にトライしようと考えたきっかけなど、もう少し詳しく教えて下さい。

筒井 ゾラみたいに、どんな社会で育つとどういう人間になっていくかという実験ではなくて、どんな欠陥があるとどんな人間になっていくかがひとつの実験だったんだけど、もうひとつ、年代記風の小説というのを一度も書いたことがなかったので、やってみたかったんです。だけどこれはぼく向きじゃなかった。年譜も作ったけど、間違いだらけで、えらい苦労をしました。だいたい年代の計算というのができない人間なんですよ。だからその年に起った事件と人物の年齢が合わなくて、しかたなしにカットしたエピソードもあります。

大森 それはもったいない。そういうアウトテイクもぜひ読みたいですね。作中の記述からすると、貴夫が生まれたのは一九六八年ごろ。貴夫の成長につれて、フィンガー5の「個人授業」や「仮面ライダー」など、当時の流行歌やテレビ番組がいくつか登場します。新聞連載中に挿絵を担当されたご長男の画家筒井伸輔氏は、貴夫と同じく六八年生まれですが、ご自身の子育ての記憶が反映された部分もあるんでしょうか。

筒井 当然あります。さっきも言いましたが、年代の計算がうまくないので、息子と同い年にした方がやりやすかったんです(笑)。

大森 そして七三年ごろ、貴夫が性器を切り取られるという事件が起きる。去勢というと、天才少年歌手を主人公にしたキングズリイ・エイミスの『去勢』がすぐ思い浮かぶんですが、貴夫はカストラートでもなく、かといって中国の宦官(かんがん)のように権力欲に燃えるわけでもありませんね。最初の方に幼稚園の劇で天使の役を与えられる場面があるように、貴夫は性を欠くことで聖なる者となったようにも見えます。聖と俗の二分法で言えば、俗を追究した『俗物図鑑』に対して、今回は聖を追究したと言えるのでしょうか。もっとも、本書における聖は、俗と拮抗したり排除し合ったりするのではなく、どこか俗を赦(ゆる)して、反社会的でさえあります。

筒井 だから「神の死」が診断されたあとの「聖」と「俗」との対立とか連関とかがひとつのテーマになってくるんですが、聖というのはキリストがそうだったように、その時代においては反社会的なんです。この辺はドタバタにしてしまうと、キリストがハリウッドに出現するアプトン・シンクレアの『人われを大工と呼ぶ』みたいなものになったかも知れませんね。売春に近いことも許容して周囲に女たちを置くというのは、今から考えるとどうやらバルガス=リョサの『パンタレオン大尉と女たち』に影響されていたようです。

大森 従軍慰安婦部隊の設立を命じられた大尉が有能すぎて大変なことになるコメディですね。それは思い至りませんでした。そういう性に関わる話の一方、美食という、ある種の贅沢がテーマになる点では、小説のタイプはぜんぜん違いますが、かつての『フェミニズム殺人事件』を連想しました。

筒井 『フェミニズム殺人事件』を書いた頃は今ほど美食にこだわってはいなかったんです。あの「偽文士日碌」でもおわかりのように、今では、こんな旨いもの、一生食べない人がいるんだなあと思うと、もう可哀想で可哀想でね(笑)。

大森 読みながら、ぼくも自分の食生活の貧しさを思い知らされて、自分が可哀想になりました(笑)。もうひとつ思い知らされたのが古典の素養の乏しさです。最初に触れられたように、『聖痕』では、いまではほとんど廃(すた)れてしまった枕詞など古語がふんだんに多用され、それに注釈が付されていることが文体上の大きな特徴ですが、もう知らない言葉だらけで。「新聞連載の漫画の少女のようにののめくことはまったくなくて」の「ののめく」など、筒井さんの造語に違いないと思っていたら、調べてみると実在の言葉だった(笑)。

筒井 あれはみんな驚いたようです。他にもいくつかありますが、それらしい造語とごっちゃにして読者を惑わせたりね(笑)。注釈も、最後の方はデリダの本みたいに、本文が見開きページの最初の二行だけで、あと全部注釈(笑)、みたいなこともしたかったんだけど、さすがにそこまではね。

大森 ウェブ上「笑犬楼大通り」では『聖痕』の副産物として「枕詞逆引辞典」が公開されています。言葉へのフェティッシュなまでの愛を感じますが、小辞典をひとつ作ってしまうという途方もない労力に驚きました。実際に作中で使用する古語はどのようにして選ばれたのでしょうか。読みやすさへの配慮もずいぶんされたと思います。

筒井 古典文学の知識のまったくない人間ですから、うろ覚えの古語を古語辞典で確かめながら書いていきました。さいわい昔の歌舞伎全集を読破していたので、そこに出てくる魅力的な古語はずいぶん使っていると思います。「ちと勧(ちと勧進)」とかね。ところがこっちの方は、思い入れとか思い込みとかがあって、解釈が間違いだらけ、これも直すのに苦労しました(笑)。でも、いちいち注釈を見ないで流して読むだけでもストーリイは追えるようにして書いています。

注意! 以後、若干のネタばれを含んでいます。

大森 貴夫の物語にこの文体を選ばれた理由は何でしょう? 各章は文語体での語りで始まりますが、例えば「わが聖痕」と言うのですから貴夫の一人称ですね。あれはどの時代に誰に向かって語っているのか、実に効果的です。

筒井 小説では禁じ手とされている、同じ段落の中の語り手の移動や視点の移動や、あらゆることをやってみて、自分の文章力を試してみたかったんです。最初は擬古文による貴夫の一人称ですが、いつの時代の発言なのかは不明にしました。次の段落では赤ん坊が怒っていますが、これだってとても赤ん坊のことばとは思えないわけで、このあたりはヘンリー・ジェイムズに倣っています。あと、会話に鍵括弧をつけないとか、語り手や複数の登場人物のことばが同じ段落であらわれる、いわゆる自由間接文体とか、反復や大勢の意識の羅列も使っています。とにかく自由自在に書きたかった。読者が混乱しないのならいいじゃないかと思ったからですが、さほど読みにくくはなっていなかったので安心しました。ただ、貴夫が犯人を許したのを、作者が許したと勘違いして怒った人もいましたけどね(笑)。

大森 『聖痕』は震災以前から書き始められていた小説ですが、終盤の展開にはやはり震災が影響を与えているようにも見えます。また、主人公が大きな悲劇に見舞われる体験から出発し、それ以降の人生を描く点で、村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』とも微妙にシンクロしているようにも思えました。『多崎つくる』と同じく、『聖痕』が半ば否応なく〈震災以後〉の小説として読まれることについては、どのようにお考えでしょうか。

筒井 最後、犯人とどのように邂逅させようかと考えていたんですが、震災があったのを奇貨として、あざといとは知りつつも(笑)被災地で対面させることにしました。こういう発言は不謹慎だと叱られてもいいんだけど、舞台背景としては申し分なかったと思いますね。

大森 小説のために使えるものはなんでも使うと。すばらしい姿勢だと思います。小説の結末近くに、ある登場人物が人類の未来について力強く語る部分があります。この「突拍子もない長広舌」は、作品全体のトーンとはやや異質にも見えますが、これは筒井さんご自身の考えをある程度、もしくはかなり大きく反映したものでしょうか。

筒井 これはぼく自身の未来予測です。人類の未来に関しては、倉本聰さんも同じご意見をお持ちのようですね。この考え方は最近書いたライトノベルの『ビアンカ・オーバースタディ』のラスト近い部分にも書いています。この長広舌はふたつある鍵括弧のうちのひとつで、それによって特に「ここは作者の意見」という含みを持たせています。

大森 やはり連載前のインタヴューでは、「最後の長編、ということになるでしょうね」と語っておられますが、書き終えた今でもその気持ちに変わりはないですか? 『聖痕』の読者としては、この物語の続きを――とくに少女・瑠璃の行く先を――夢想してしまうのですが、『聖痕』の続編(未来編)が誕生する可能性は、万が一にもないでしょうか?

筒井 これはまあ、インタヴューの最後にいつも出てくるインタヴューアーのリップサーヴィスとして受け止め、そんなことは万が一にもあり得ないとだけ申し上げておきましょう(笑)。

 (つつい・やすたか 作家)

筒井康隆『聖痕』978-4-10-314530-1