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書評・エッセイ

山本周五郎と私

人生の問い

葉室麟

『さぶ』を読んでから、ふと手もとにあった小林秀雄の講演CD(本居宣長についての講演だった)を聞いてみた。
 なぜそんな気になったのか、よくわからないが、講演の中に何か気になる言葉があった。その言葉が『さぶ』の世界につながっている。そんな気がした。
 落語家の志ん生そっくりの明るく張りのある声で、すべてを小気味よく断定する小林秀雄の講演をぼんやり聞いているとプラトンの話になった。
 プラトンの本にあるソクラテスの対話についてふれながら「心を開いた人が語り合うときに生きた知恵ってものが飛び交うンです」と友と語り合う対話の重要さが指摘されていた。
「対話の純粋な形は、自分自身との対話、自問自答なンです」と小林秀雄は説く。そして考え詰めていくと最も大事なのは、
 ――問う
 ことだと畳み掛けるように言った。〈問う力〉が大切なのだという。しかし現代の人間は常に〈答え〉を求めるばかりだ、と嘆く。
 なぜ講演の言葉をあらためて思い出したかと言うと、山本周五郎の小説は人生への問いに満ちているからだ。
 小林秀雄によれば「問うときに初めて人間の心は動き出す」のだという。その言葉をよく考えてみると「なぜなのだ」と、問いが発せられたとき、心が動き、小説が始まるのだと思い当った。
『さぶ』はふたりの男の対話だとも言える。小説の冒頭、小雨がけぶる夕方、両国橋をさぶが泣きながら渡っている。
 さぶは、ずんぐりした躯つきに、顔もまるく、頭が尖っている若い男だ。さぶを追いかけてきたのが主人公の栄二だ。
 栄二は「痩せたすばしっこそうな躯つきで、おもながな顔の濃い眉と、小さなひき緊った唇が、いかにも賢そうな、そしてきかぬ気の強い性質をあらわしている」と表現される。栄二が、仕事もでき、女にももてる二枚目であることは、最初から示されている。
 叱られて店を飛び出したさぶを慰め、連れ戻す栄二は頼りにできる友に違いない。しかし、人生経験を経た読者はこんなふたりが友達であるということに、わずかな不安を感じないだろうか。
 さぶが頼り、栄二がかばって面倒をみてやる。そんな対等ではない友人関係はいつか破綻する、という不安だ。
 栄二は、周囲から蔑まれながらも実直に仕事を続けるさぶの中に本当の職人根性を見て、「おめえはな、いつも気持を支えてくれる大事な友達なんだ」とさぶに言う。その気持に嘘はないだろう。だが、仕事で高い評価を得ているのは栄二だ。出入り先の大店の娘たちも栄二に色めき立ってしまう。
 それほど優位にある栄二が、さぶを認めても上滑りするのではないか。
 雨の中、濡れて歩くふたりを見かねて「この傘をさしなさいよ」と声をかける女おのぶがふたりの関係に加わってくる。
 小雨の中に佇むふたりの若い男とひとりの娘、それだけでもドラマの発端になる。
『さぶ』という題名と三人の設定から、愚図だが、ぼくとつで真面目なさぶが優秀な友人に憧れを抱きながら翻弄され、おのぶに愛情を抱いても見捨てられ、人生の残酷さに直面して苦悩しつつも懸命に生きていく話だろうと、読者は早飲み込みしてしまうのではないか。
 実際の物語はそうではない。人生の〈どじ〉を踏むのはさぶではなくて栄二なのだ。
 栄二は出入り先の店で古金襴の切れが自分の道具袋に入っていたことから盗みの疑いをかけられて激昂し、無実を証明しようとあがいたあげく、番小屋へしょっ曳かれ、石川島の人足寄場送りになってしまう。思わぬ運命の転変だった。
 さぶよりもすべてがすぐれていて、人生の困難もうまく乗り越えられそうな栄二がどうしてこんな目に遭うのか。
 栄二は江戸の町を彷徨い「――暗い、まっ暗だ、どっちへ向いてもなんにも見えやしねえ、人間の住む世界じゃあねえみてえだ」とうめき、「なにがどうなってるのか、なにもかもてんでわからねえ」とつぶやく。
 読者も「なぜなのだ」と思ってしまう。この「なぜ」という問いから心が動き、物語が始まるのだ。
 栄二は人足寄場で足かけ三年を過ごし、その間、人生のどん底であえぐ男たちとぶつかり、傷つけ合いながら共感も抱いていく。
 人足寄場で出会った「女房を殺しそこなった」という年寄りの与平から栄二は、「どんな人間だって独りで生きるもんじゃあない」と諭される。
 与平は懇々と説く。
「――栄さんはきっと一流の職人になるだろうし、そういう人柄だからね、尤も、栄さんだけじゃあない、世の中には生れつき一流になるような能を備えた者がたくさんいるよ、けれどもねえ、そういう生れつきの能を持っている人間でも、自分ひとりだけじゃあなんにもできやしない。能のある一人の人間が、その能を生かすためには、能のない幾十人という人間が、眼に見えない力をかしているんだよ、ここをよく考えておくれ、栄さん」
 栄さん、と呼びかける与平の言葉にほろりとくるものがある。
 与平が言う「能のある一人の人間」とは、あるいは若き日の作者自身かもしれない。才能に自信を抱きながら、思い通りにならない人生に憤りを持った作者に、誰かがこう囁いたのだろうか。
 この小説が愚図でのろまな、さぶの物語ではなく、栄二を主人公として語られる意味はここにある。才能を持つ者が傷つき、彷徨うしかない苦境と、そこからいかにして立ち直るかが描かれているのだ。
 作者自身の慟哭が込められている。それが人生での不遇を初めから意識しているさぶとは違う、栄二の悲劇だと言っていい。
 だからこそ栄二は人足寄場に送られてから、何度も訪ねてきてくれるさぶに会おうとしなかった。
 与平の話に耳を傾けていた栄二の胸にさぶへの思いが湧いた。

 ――さぶ、と栄二は心の中で叫んだ。ああさぶ、もういちどおまえに会いたかった

 思わぬことから転落した人生を歩むことになった栄二が、会いたいと胸の裡で叫ぶさぶは栄二にとって何者なのだろうか。
 さぶは何かを持っている。自分を救ってくれる何かだ。
 人足寄場を出た栄二は、一緒に仕事をしようと言うさぶの力添えもあって、まがりなりにも仕事を始めるが、人生の歯車はわずかずつずれていく。
 若い頃、出会ったおのぶとは結ばれない。栄二が夫婦になるのは金襴を盗んだとされた出入りの店の女中で、かねてから思いを寄せてくれていたおすえだ。
 栄二に厳しい忠告をし、励ましてきたおのぶは「どうしてあたしをおかみさんにしてくれなかったの」と思わず口にする。
 人生のままならなさが三人を包んでいる。おのぶは、世間にたてられ、うやまわれていく者には、陰にさぶのような人間がついている、と言う。
 おのぶの言葉が栄二には痛かった。
 栄二は金襴を盗んだとされたとき、一瞬だけさぶを疑ってしまった。
 その疑いはすぐに打ち消したが胸の中にはしこりとなって残っていた。
 せっかくの仕事が入ったのにさぶが姿を消した。さぶが書いていた「――おらがわるかった、栄ちゃんがあの切のことで島送りになったのは、おらの罪だ」という文字を見つけた栄二は、
 ――あいつだった
 と思う。さぶという献身的で美しい魂を栄二はまたもや疑う。
 だが、ある人物が金襴の切れを栄二の道具袋に入れたのは自分だと告白したことで、さぶへの疑いは氷解する。
 真相がわかったとき、栄二は不思議に怒りが湧かなかった。
 さぶがやったのでなければ、栄二にとってはどうでもいいことなのだ。栄二は述懐する。
「――おれは島へ送られてよかったと思ってる、寄場であしかけ三年、おれはいろいろなことを教えられた、ふつうの世間ではぶっつかることのない、人間どうしのつながりあいや、気持のうらはらや、生きてゆくことの辛さや苦しさ、そういうことを現に、身にしみて教えられたんだ」
 やっと栄二にもわかった。
 自分は学んだのだ、と。そして自分が学ぶ間、心の裡で問いかけに答えてくれたのが、さぶなのだ。
 栄二にとってさぶは、頑なで世渡りが下手なもうひとりの自分だった。栄二とさぶの関係は、小林秀雄が言う自問自答に似ている。
 栄二は心の中でさぶに語りかけ、もうひとりの自分と対話していたのではないか。
 小説の最後では、戻ってきたさぶが、表戸を叩いて呼びかける、

 ――おらだよ、ここをあけてくんな、さぶだよ

 さぶが叩いているのは、栄二の心の扉なのだ。

 (はむろ・りん 作家)

山本周五郎 山本周五郎長篇小説全集第3巻『さぶ』978-4-10-644043-4