書評

2013年4月号掲載

「言葉」を越えた「感情」物語!

――彩瀬まる『あのひとは蜘蛛を潰せない』

藤田香織

対象書籍名:『あのひとは蜘蛛を潰せない』
対象著者:彩瀬まる
対象書籍ISBN:978-4-10-120051-4

「青臭いことを」と笑われるかもしれないが、四十代も半ばになった今尚、私は「言葉って難しい」と凹んでしまうことがよくある。仕事や物事の状況説明ならば、加齢と共にそれなりに伝える技術は身に付いた(と思う)。でも、「感情」を伝えるコツは全く会得できない。嬉しい、悲しい、悔しい、ムカつく。寂しい、怖い、好き、嫌い。曖昧な言い逃れはできないと感じた場面で、そうした言葉を口に出した途端、その何十倍もの「気持ち」が胸の中で膨れ上がる。
 けれど、忙(せわ)しない日常のなかで、膨れ上がった気持ちのすべてを語る機会など現実社会ではまず有り得ない。「なんか嫌だ」「ちょっと怖い」。切り捨てて、呑み込んだ「なんか」と「ちょっと」こそを、本当は伝えたいのに語り尽くす時間はない。そして慣れてしまうのだ。話せないことに。話さないことに。それでも、いや、そのほうが、波風立たず無難に日々は過ぎていくことにも。
 本書の主人公である野坂梨枝(のさかりえ)は、意図したわけでもなく二十八歳になるまでそうして無難な日々を生きてきた。幼い頃に両親が離婚し、六つ上の兄は幼なじみと結婚し家を出たため母親とふたり暮らし。大学を卒業し勤めたのは地域密着型のドラッグストアなので、実家を離れる予定もなかった。仕事は順調、貯金も出来る。家に帰れば母はいつも手の込んだ食事を用意してくれている。過ぎていく毎日に、なにも不満はない。ないはず、だった。
 ところが、母親の友人から見合い話が持ち込まれたことを機に、心が疼き始める。梨枝にとっての弟を、産んで間もなく亡くし、夫と離婚し、女手ひとつで兄と自分を育て上げ、家のローンも完済した、気が強いけど寂しがり屋な母をひとりにするのはかわいそう。そう思ってきたけれど、自分が婿養子をとり、結婚後もずっと母と同居を続けるとは考えてもいなかったのに。加えて梨枝が店長を務める店へ、アルバイトとしてやって来た八つ年下の大学生・三葉陽平(みつばようへい)と次第に親しくなり、ずっと蓋をしていた気持ちがさらに大きく動き出す。「恥ずかしい」と思うことが沢山ある自分。「ちゃんとしなさい」「みっともない」。刷り込まれた母の呪縛。梨枝は葛藤し、足掻(あが)き続ける。
 親元で暮らしていた少し臆病な主人公が、ひとり暮らしを始め、仕事と恋に向き合うことで、自分を見つめ直し、他者との関係性を築くための新たな一歩を踏み出していく――。取り立てて派手さもない普遍的な物語だ。けれど、本書には「言葉」にするのは困難な、ともすれば埋もれてしまう、なかったことにしたくなる「本当の気持ち」と向き合う困難と痛みが、繰り返し丁寧に描かれている。「わかってほしい」と言葉を尽くせば尽くすほど、気持ちとずれていく虚しさ。理解しあえなくても失いたくないと思う独占欲。いっそ「嫌い」になれれば楽なのに、切り捨てられない想い。気が付いてしまえばもう「なかったこと」には出来ない心の機微を掬い取り、読者の心をも揺らすのだ。
 二〇一〇年「花に眩む」で第九回「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞した作者は、昨年、東北へのひとり旅中に被災した経験を綴ったノンフィクション『暗い夜、星を数えて―3・11被災鉄道からの脱出―』を上梓した。小説家としての単行本デビュー作である本書より先んじたこのルポルタージュのなかで、強く印象に残ったのもまた作者の心の揺れだった。不安、感謝、懼れ。ひと言ではとても表せない気持ちを、取り繕うことなく、けれど真摯に伝えようとする姿に胸をうたれた。
 安易に言葉にはできないものを伝えるのが小説の醍醐味だとしたら、彩瀬まるには小説家としての資質がある、と断言できる。本書を読み終えた読者の胸にも、これからが楽しみな作家として彼女の名前が刻まれると信じたい。

 (ふじた・かをり 書評家)

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