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書評・エッセイ

あなどれない人生

――ベルンハルト・シュリンク『夏の嘘』(新潮クレスト・ブックス)

山田太一

 誰もが小さな、あるいは大きな隠し事を持って生きている。
 これは長篇小説『朗読者』のモチーフでもあるが、そのベルンハルト・シュリンクが、あの手この手で隠し事、嘘、秘密の世界が一筋縄ではいかないことを楽しませてくれる短篇集である。
 この世には是非とも隠さなくてはならない切実な秘密もあるが、それほどのことはないが本当を話すと嘘だと思われそうなので、世間の共通認識である「本当」に合わせて本当らしい嘘をついてしまうこともある。
 たとえばこの中の「バーデンバーデンの夜」である。ある作家のはじめての戯曲が、バーデンバーデンで初演を迎える。温泉場で初演だなんて日本の感覚だと安っぽい気がするがそうではないようである。なにしろ昔はドイツだけではなく広くヨーロッパの王侯貴族の「夏の都」だったそうだから、それ相応にステイタスがあるらしい。芝居は成功して作者も舞台に呼ばれて拍手を浴びる。シャンパンをのむ。恋人に見せたいところだが、彼女は仕事があってその一泊旅行に来られない。で、女友だちとツインではあるが一緒に泊ってしまう。セックスはなかった。本当である。しかし、信じて貰えそうもないから恋人には隠す。嘘をつく。やがてそれがバレてしまう。なにもなかったのなら隠さなくてもいいじゃないかということになる。
 人によっては軽い艶笑譚か人情咄にでもしてしまいそうなエピソードを、シュリンクは二転三転させて、他者の計り難さ、結びつきのただならない繊細さと困難、自分の真実。なにをもってそれが真実といえるのか。「真実とともに生きることができるために、人は自由でなくてはいけないのかもしれない」と大真面目な大テーマにしてしまう。
 それがシュリンクの魅力である。
 ストーリーも人物も面白い。だったら、その人間や人生に、どしどし深度を求めて先へ進んでなにが悪いだろう。たしかに、理屈や説教や通俗にも堕しやすい方向だが、その欠点をどの作品もまぬがれているのは、全篇の底に流れている不確かさ、不安のせいだと思う。
「真夜中の他人」は、飛行機で隣合った男のありそうもない身の上話から、あっという間にその男の現実に巻きこまれてしまう。他者は自分に見当がつく範囲の世界で生きているわけではない。年月を経た話になり、結局のところその他者の行為が善意か悪意かもよく分らない。
「最後の夏」も、自分なりに十全に他者を配慮して決断したことが、他者の目には身勝手な感傷の行為と思われてしまう話である。妻に去られて、しかし日々の生活に困るという男ではない。なんでも出来る。でも「きみなしで生きられないのは、きみがいないとすべてに意味がなくなってしまうからなんだ。ぼくが人生のなかでやってきたことはすべて、きみがいるという前提のもとでできたことなんだ」と気づく。若い人にはバカ気て聞えるかもしれないが、一緒に長い歳月を重ねた老人の言葉としては、そのような他者を失うと、あとは空虚しかないという思いは身につまされる。
 そして更に「南への旅」がとてもいい。
 南といってもチューリッヒなのである。いまいるところより南というほどのことである。
 施設に入っている老女が、ある日子どもたちへの愛が消えてしまっていることに気づく。こういう大胆さ率直さ正直さがシュリンクはすばらしい。誕生日にはみんなでやって来る。断りたいが、当惑させても気の毒なので嬉しいふりをする。周囲のすべてがふりをしているように思えてしまう。その老女の覚醒と、それを表に出さない深く諦らめた抑制が静かに描かれる。孫娘の娘らしい思い込みにつき合って、一緒に昔の男と再会する旅に出るのである。
 あなどれない他者、どう変るかもしれない自分。不測の人生の物語である。

 (やまだ・たいち 脚本家)

ベルンハルト・シュリンク著/松永美穂訳『夏の嘘』(新潮クレスト・ブックス)978-4-10-590100-4