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書評・エッセイ

持てる者と持たざる者

――垣谷美雨(かきやみう)『ニュータウンは黄昏(たそが)れて』

吉田伸子

 一昨年、引っ越しをした。その時、嫌というほど思い知らされたのが、フリーランスという身の哀しさである。我が家は私も夫も、職種こそ違え、共にフリーランスだ。そんな夫婦(プラス中学生男子一名)が部屋を借りようと思ったら、それはそれは大変なのだった。日本の景気が右肩下がりなのは重々承知していたけれど、賃貸物件の「家賃滞納」や「借り逃げ」がこれほど横行しているとは、恥ずかしながら知らなかった。これじゃあ、大家さんとて、余程身元のしっかりした人(公務員とか大企業のサラリーマン)以外には貸し渋るはずだよなぁ。けれど、これは、と思う物件で、審査が通らなかった時の、自分が否定されたという感じや、世の中を恨みたくなるような気持は本当に辛かった。そんなこんなで、ようやく引っ越しが決まるまで、心身ともに相当疲弊した。あんな思いをするのなら、節約に節約を重ねて、今からでも中古物件を買うことに向けた生活にシフトすべきなのかもしれない、とまで思ったほどだ。
 そんな体験があった身にとって、垣谷さんの新刊『ニュータウンは黄昏れて』は、ある意味ショッキングな内容だった。本書は、タイトルにもなっている、とある私鉄沿線のニュータウンに暮らす織部(おりべ)家の物語、とりわけ、団地の理事役が回って来たことで、老朽化した団地、ひいてはニュータウン全体の現実と向き合わざるを得なくなった母・頼子(よりこ)と、大学卒業後フリーターとして働く娘・琴里(ことり)の物語だ。母娘それぞれのドラマの真ん中にあるのが、一家が暮らすニュータウン、だ。まず、この構成が巧い。
 五千二百万円で購入した、中古の公団住宅。九十五平米の4LDK。長男は既に独立しているので、家族三人で住むには十二分の広さ。傍からみれば、織部家は「持てる者」である。が、入居時で既に築十五年だった物件は、今ではあちこち傷みが目立ち始めている。にもかかわらず、住宅ローンはまだ十年以上残っている。しかも、金利は借り入れ当時の高い金利のままで、借り換えもままならない。節約に節約を重ね、切り詰めるだけ切り詰めた生活。そんな暮らしの中で、頼子は琴里に言う。「どういう男と結婚するかでまったく違う人生になるわよ」と。だから、上等の男性をつかまえなさい、と。
 そんな頼子の言葉を嫌悪していた琴里だったが、ある日、目の前に資産家の御曹司――都内に不動産を多数所有し、不労所得で暮らしている――黛環(まゆずみたまき)と出会い、彼自身というよりも、彼(と実家)の経済力に魅かれて行く。彼は、琴里の教育ローン、五百万弱も肩代わりしてくれ、結婚を申し出る。それまでの汲々とした生活から抜け出すチャンスだと、琴里もその気になるのだが……。
 持てる者と持たざる者の対比を、織部家と黛家だけにするのではなく、同じ団地に暮らす理事どうしの間にも持って来ているところが絶妙だ。資産価値が下がり、今では千五百万でしか売れないという現実。かといって改修工事を行うにも、大金が必要となる。それぞれの家の経済事情や家庭の事情で、一枚岩になれない団地の理事たち。
 衣食足りて礼節を知る、というのは、昭和に生まれ育ったものなら、誰もが知っている言葉だが、とりあえずの衣食は足りている平成の世では、衣食足りてではなく、住足りてに変わって来ているのではないか。そしてそれはこれからもっともっと切実な問題になってくるのではないか。
 けれど。足りない、足りないと嘆いて、より足りない人に優越感を持ったり、自分より足りてる人を羨んでみても、何も始まらない。足りないことに俯(うつむ)くのではなく、足りていることに工夫をこらして、前を向いて分相応にやっていくこと。持てる者と持たざる者、そんな垣根を作ってしまうのは、他ならない自分自身、なのだ。そういう生き方は詰まらないよ、せっかくの人生なんだから! そんな垣谷さんの呼びかけに、目の覚める思いがする一冊だ。

 (よしだ・のぶこ 書評家)

垣谷美雨『ニュータウンは黄昏れて』978-4-10-333371-5