TOP > 波 -E magazine Nami- > 書評・エッセイ

波

書評・エッセイ

名ガイドと読む古典

――阿刀田高『源氏物語を知っていますか』

俵万智

 高校で古典を教えていたころ、やたら『源氏物語』の人間関係に詳しく、内容の理解も早い生徒がいると「ははあ」と思った。彼女(たいていは女生徒だ)は大和和紀のマンガ『あさきゆめみし』を愛読しているのだ。私が高校生だったころは、田辺聖子『新源氏物語』。大人になってからは瀬戸内寂聴『女人源氏物語』などによって、源氏への興味をかきたてられたし、それらによってストーリーや人間関係もばっちり把握できた。
 よき案内人にめぐりあうこと。これが古典を楽しむための一番の近道だ。源氏物語を味わいたい人のための、名ガイドによる素敵なガイドブックが、また一冊誕生した。
「初めにエロスがあった」「二兎も三兎も追いかけて」「大河の脇に溜池がチラホラ」……阿刀田高著『源氏物語を知っていますか』の章のタイトルだ。面白そうでしょう? これらを眺めているだけでも、わくわくしてくる。
 軽妙で親しみやすい語り口で、自然とストーリーが頭に入ってくる仕掛け。原文しかなければ躓くであろう複雑な呼び名の変化などには、適宜フォローが入り、わかりやすい。時には英訳を紹介し、時には作家として、小説家紫式部に注文をつけたりしながら、読む者を飽きさせず、一気にこの大河小説を読ませてくれる。
 おりにふれ入る著者の感想や合いの手には、「男ならでは」を感じさせるところが多く、それも私には興味深かった。
 源氏が許されぬ思いを寄せている藤壺。立場としては義理の母と息子になるし、藤壺は帝の寵愛を受けている人だ。二人のあいだにはかつてあやまちがあったと思われるのだが、病のために藤壺が宮中から里帰りしたところへ、源氏が強引に会いに行く場面がある。
「そんな過去があればこそ若い源氏の思慕は一層強まるし、藤壺のほうにも微妙な弱味があったにちがいない。」
 微妙な弱味! 一回そういうことがあったからといって、それが弱味になるというのは、ものすごく男性的な考え方ではないでしょうか、阿刀田先生……と思いつつ、はっとする。源氏も(当然のことながら)男である。この日の彼の強引さは、思いの深さに加えて、阿刀田「微妙な弱味説」によって納得できるような気がするのである。
 また、「源氏には本当に親しい男友だちがいない。」とし、完璧な女性として描かれる紫の上に対して、「紫の上がこれを補っていた、と見ることもできる。源氏はこの佳人に対して母親であることさえ求めて……つまり甘え慕う役割を求めていたことは先にも触れたが、さらに親友でもあったろう。まことに、まことに源氏にとって、すべての人であった。」と説く。この紫の上像は、新鮮だ。
 幼女のころに見初め、誘拐同然に自分の手元に置き、理想の人として育て上げる……こういう女性を恋人にすることは、男性としては一つの夢だろう。藤壺の面影を持つことから、母親のイメージを重ねるところまではわかる(といってもかなり年下だ)。が、さらに親友という心のスタンス。紫の上の魅力が、また一段と深みを増す見方であるなあと思った。女性からすれば、そこまで面倒みきれんという気もするが、そこまで求めてしまうのが男性なのかもしれない。
 さらに小説家ならではの、全体の構造を見渡したうえでの数々の指摘。たとえば章題にもあるように「源氏物語は大河小説の雄大な流れのかたわらに、ところどころ溜池でも置くように短編小説風なエピソードをちりばめる趣向を採っている。溜池はもちろん本流と関わりがあるけれど、独立した作品として読むほうがふさわしい。」という解説は、実にわかりやすい。
 特に「叔母ドノには泉ピン子さんあたりを想定して……。」と溜池ナンバーワンは「蓬生」だ。この帖だけでシナリオを創ることが提案されているのだが、久しぶりに「しんしゃく源氏物語」(榊原政常)という戯曲のことを思い出した。かつて高校演劇のために書かれた、ややマニアックなものだが、まさに「蓬生」一帖を舞台化したもの。作家を普遍的に刺激してくる何かが、この帖にはあるのだと、あらためて感じさせられた。
 宇治十帖の魅力についても「……それぞれが主人に対する忠誠心、出世欲、自己主張、取りつくろい、賢さ、愚かさをあらわにして、われ等二十一世紀の庶民にもわがことのようにつきづきしい。」と書かれると、ここから原文に挑戦してみようという気にさせられる人も、多いのではないだろうか。

 (たわら・まち 歌人)

阿刀田高『源氏物語を知っていますか』978-4-10-334328-8