書評

2013年1月号掲載

師匠(おやじ)と弟子(せがれ)の絆

――立川談四楼『談志が死んだ』

広瀬和生

対象書籍名:『談志が死んだ』
対象著者:立川談四楼
対象書籍ISBN:978-4-10-127322-8

 上から読んでも下から読んでも「だんしがしんだ」。立川談志が、かなり若い頃から回文のサンプルとして挙げていたフレーズだ。曰く「俺が死んだらニュースの見出しはコレで決まり」。そのとおり、二〇一一年十一月二十四日朝のスポーツ新聞各紙一面には大きく「談志が死んだ」との見出しが掲げられていた。
 本書は、談志の弟子にして「落語もできる小説家」を標榜する立川談四楼の、師匠談志の死をテーマにした実録小説だ。「小説」であるから当然フィクションも織り交ぜているが、実在の落語家や芸能人が登場するドキュメンタリー風の描写は実に生々しく、それだけに落語ファン、とりわけ談志ファンには非常に興味深い内容となっている。
 ただし、本書は読み手を落語ファンに限定しない。落語界の仕組みや立川談志の人となりをまったく知らない人が読んでも楽しめるよう、巧妙に書かれている。そこが著者の上手いところで、思えばデビュー作『屈折十三年』からしてそうだった。談四楼は一九八三年に落語協会の真打昇進試験を受けたが兄弟子の小談志と共に不合格、これに怒った談志は弟子を連れて落語協会を脱退し、自ら家元と称して独立団体「落語立川流」を創設した。この顛末を小説にしたのが『屈折十三年』で、フィクションも交えながら実録風に描いたこの短編は、落語に対する予備知識なしでも楽しめるように出来ていた。
 談志が亡くなったのは二〇一一年十一月二十一日。だが、彼の家族はその死を伏せたまま密葬を済ませ、二十三日の記者会見で初めて公にした。会見の前に情報を嗅ぎ付けたマスコミは談志の弟子たちに裏を取ろうとしたが、弟子たちも家族から何も知らされていなかったため、当初は「ガセネタだよ」と相手にしなかった。実録小説『談志が死んだ』は、その数日間の混乱を描くところから始まり、談四楼入門当時の一九七〇~七一年へと遡った後、舞台は二〇〇八年へと移る。本書の核となっているのは、談四楼が二〇〇八年に体験した二つの出来事だ。
 本書で明かされる「晩年の談志を蝕んだ真の敵」の姿は、ファンにとっては衝撃的だ。だが本書は決して暴露本の類ではない。ここで描かれているのは「師匠と弟子の絆」そのものである。
 談志一門の弟子たちは、「立川流創設以前(寄席育ち)」と「立川流創設後(寄席知らず)」に二分される。志の輔、談春、志らく、談笑といった人気者は寄席を知らない。そして、彼らにとっての師匠である「家元」談志は、寄席の世界にいた頃の「抜群に上手い落語家」談志とは違う考えで落語に取り組んでいた。寄席育ちの高弟たちは、そんな師匠の変貌に「付いていけない」と思ったという。だからといって、談四楼を含む「寄席育ち」の弟子たちと談志との絆が失われたのかというと、それはまるで違う。
「入門して十年、二十年の弟子は、まだ関係が師弟なんだ。ところが四十年からになると、これが親子になっちまうんだな」
 小説の中の談四楼は、若い弟弟子にそう語っている。
 親だからこそ反発もするし、時期が来れば離れもする。それでも親子の絆は消えないのである。
 物語は、二〇一二年の談志一門を描いて締めくくられる。談志が亡くなってからというもの、弟子たちは「こんなのべつに通夜をやる一門もねえな」と言いながら、事あるごとに師匠を肴に飲み明かす。こんなこともあった、あんなこともあったと語り合う彼らの遠慮のない会話から浮彫りにされる「親(師匠)と子(弟子)」の結び付きの深さ……。
 著者の談四楼は、一門の中にあって「寄席育ち」と「寄席知らず」のパイプ役を務めてきた存在だ。本書は、そんな談四楼だからこそ書ける「談志一門の真実」である。清々しい余韻を残すラストには、誰もが胸を打たれることだろう。

 (ひろせ・かずお 雑誌編集長、落語評論家)

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