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書評・エッセイ

スケール大きな伝奇時代小説

――佐伯泰英『○に十の字 新・古着屋総兵衛 第五巻』(新潮文庫)

重里徹也

『新・古着屋総兵衛』シリーズは、作品世界が大きく広がる伝奇時代小説だ。佐伯泰英の他のシリーズと比べても、それがきわだった特長だろう。
 鳶沢一族は徳川家康から、幕府を背後から支えるように命じられた血統だ。江戸富沢町の土地と古着商の権利を与えられた一方、影旗本として、幕府内にいる「影」の指令に従って国内の安寧を守る任を担う。一族は古着屋の大黒屋を経営し、駿府久能山のふもとを隠れ里(鳶沢村)としている。
 つまり、商と武の両面を持っているのだ。
 先行するシリーズ『古着屋総兵衛影始末』(全十一巻)では元禄・宝永年間を舞台に、六代目の総兵衛勝頼が活躍した。柳沢吉保を最大の敵としながら、海外との交易を推し進め、一族の隆盛を築いた。
 今シリーズはそれから約百年後の享和年間、つまり、十九世紀初めを舞台にしている。世情が騒がしくなっていく中、九代目総兵衛の死から、十代目の活躍へと物語が続く。五巻に至ったところで、これまでの流れを振り返ろう。
 第一巻『血に非ず』。九代目総兵衛は若くして死の床にあり、鳶沢一族は直系が絶えてしまう危機に直面する。そんな時に現れたのが十代目だった。彼は六代目とベトナム人女性の間にできた子供の子孫で、王朝の高官の家柄だ。政変に巻き込まれ、一族を率いて日本に亡命してきた。その器量に感心した鳶沢の長老らは、彼を頭領として迎え入れることを決める。かくして、十代目総兵衛勝臣が誕生する。
 第二巻『百年の呪い』。旧シリーズで対立した柳沢吉保は、大黒屋などに呪いを仕掛けていた。十代目がそれを暴いていく。柳沢ゆかりの六義園(現在の東京・本駒込)での戦いなどが見どころ。唐人卜師、林梅香も活躍する。
 第三巻『日光代参』。「影」である本郷康秀が薩摩藩と癒着していることに気づいた十代目が、日光代参をする彼を追いかけて暗殺する。前シリーズに続いて、自分に命令する者を倒すスリリングな展開だ。
 第四巻『南へ舵を』。海洋小説の趣が深い一冊。十代目が来日する時に乗ってきた巨大帆船、イマサカ号。大黒屋の輸送を担ってきた大黒丸。両者の海上レースが面白い。十代目は着実に実力を蓄えて行く。
 そして第五巻『○に十の字』。薩摩藩という敵の姿が徐々に見えてくる。南蛮骨董商の娘で公家の血をひく坊城桜子らとともに、十代目は京へ向かう。
 物語全体を取り巻くのは揺れ始めた社会情勢だ。武家社会は綻びを露呈している。海外からは外国の船が来航し、鎖国という制度がもたなくなってきているのがわかる。近世はだんだんと終わりに近づいているのだ。
 グローバルな視野で鳶沢一族という巨大な組織を描いているのが、このシリーズの読みどころだ。戦闘集団として武力を発揮する半面、商家としても利益を追求してやまない。カネと商品のやりとりが絶えず、経済小説としても興味深い。
 組織を彩るのは個性的な人物たちだ。気品を漂わせる十代目。世間通でとぼけた味の大番頭。武術の達人で機敏な一番番頭。犬をかわいがる手代。まっすぐな心の小僧。奥向きを仕切るクレバーな美人。忠義心の強い船乗りたち。
 奉行所の面々や敵役の男たちも輪郭が濃い。無能な岡っ引きや、かげま(男娼)の少年も印象的だ。
 そして、いとおしいのが、おこも(乞食)の少年、ちゅう吉だろう。
 彼が「ちゅうちゅうちゅう」と言いながら登場すると、場面がぐっと濃密になる。十歳を過ぎたばかりなのに、世故にたけていて、人情がわかり、気がきく。でも、親の愛情を知らず、実は甘える対象に餓えている。そんな少年が鳶沢一族を救いながら成長していく。
 鎖国下、大黒屋は外国との交流に精を出す。それはどこか自閉しがちな今の日本人へのメッセージにもなっている。広々とした海洋に出るような気分で、この大河小説を楽しんでみてはいかがだろうか。

 (しげさと・てつや 毎日新聞論説委員)

佐伯泰英『○に十の字 新・古着屋総兵衛 第五巻』(新潮文庫)978-4-10-138050-6