書評

2012年12月号掲載

石の痛み、愛の痛み

――ミレーナ・アグス『祖母の手帖』(新潮クレスト・ブックス)

平松洋子

対象書籍名:『祖母の手帖』(新潮クレスト・ブックス)
対象著者:ミレーナ・アグス著/中嶋浩郎訳
対象書籍ISBN:978-4-10-590098-4

 人生は、なんと奇異なものだろうか。激しい情熱は狂気とみなされてしまい、ひとは愛を取り逃がしてしまうことがある。
 黒々と豊かな髪をシニョンにまとめ、まるで月の世界からやってきたように美しかった若いころの祖母もそうだった。求婚者たちはこぞって祖母のもとを去り、やっと巡り合った結婚に愛は見つからなかった。しかし、サルデーニャを舞台に綴られるこの不可解な愛の物語を読み重ねるうち、しだいに底光りが生じ、愛の王国ともいうべき厳粛な世界が目前に築かれてゆく。そのことに、わたしはひどくこころ打たれた。たとえ奇異であろうと、王国のなかで護られるのは崇高なまでの愛の真実である。
 表題の通り、祖母が肌身離さず持ち、しじゅう内緒でなにかを書き記す「赤い縁取りの黒い手帖」が、重要なモティーフを果たす。自分の流儀で愛をもとめる若いころの祖母は、それゆえに「魔女め、魔女め」と曾祖母に折檻され、家族は祖母を小学校へ通わせて字を習わせたことを後悔する。やっきになって手帖を探しだそうとする家族から守り通し、そこに書き続けられた文章によって物語は進められてゆく。
 一番だいじなもの、呼び寄せたいものなのに、祖母にとって愛はつねに「逃げてゆくもの」であり続けた。一九四三年、アメリカ軍によるカリアリ空襲で一家を亡くした男やもめと結婚にいたるが、たがいに愛はなかった。しかし、ある日、祖母は祖父に宣言する。
「もう売春宿の女たちにお金を使ってはいけません。(中略)その女たちがどんなことをするのか説明してください。わたしがまったく同じことをやりますから」
 エロティックな奉仕の行為は人生の媚薬でもあったが、いっぽう、ふたりのみょうな生真面目さが可笑しみを誘う。さまざまな「売春宿のプレイ」をするとき以外、夫は決して妻のからだに触れず、ふたりは律儀にも遠慮がちにベッドの端と端に離れ、距離をとって眠る。こうした祖母のおこないの描写から、読者がしだいに見出してゆくのは祖母のなかに存在する聖性である。作家ミレーナ・アグスの手腕というべきだろう。
 祖母の人生にはじめて輝きが生まれたのは一九五〇年秋、サルデーニャから初めて渡った本土だった。結石による流産の治療のために送り出された温泉で出逢った「深い眼差しと柔らかい肌」「糊のきいた真っ白なシャツ」「胸を掻きむしられるようなやせぎすの体」、片脚が義足の「帰還兵」。そして祖母は、たちまち恋に落ちたふたりの短い日々を詳細に手帖に書きつけてゆくのだが――。
 数十年後、祖母が亡くなったあと、くだんの手帖は一通の手紙とともに語り手である孫娘「わたし」の目前に忽然とすがたを現し、語られなかったすべての真実を告げる。しだいに謎解きの様相をも深めてゆく物語はスリリングな展開をみせ、読者は王国のなかに迷いこむようにして考えることになるはずだ。人生の奇異と狂気の意味について、聖性について、愛をめぐる真実について。
 原題は「石の痛み」。イタリアでは結石を起こす痛みをこう呼ぶというが、その硬く、ちいさく、鋭い痛みは、ひとの深い場所で疼く愛の痛みにほかならない。また、本書は、「書くこと」への絶対的な信頼とオマージュの表明でもある。著者アグスはサルデーニャ・カリアリ在住、イタリア語と歴史を教える高校教師でもあるが、作家としての真情をこんなふうに吐露している。
「書くことでわたしはいつでも安全な場所に隠れることができるのです。居心地の悪い状況や場所にいるとかパニックに陥ったと感じたとしても、メモ帳を取りだして居心地のいい別の世界に逃げ込むことができるのだから、と考えます」
 どうだろう。祖母が肌身離さず持って書きつづけたあの「赤い縁取りの黒い手帖」は、アグス自身にとって「書くこと」そのものを意味する象徴でもあったのだ。だからこそ、ほんらい苦さをともなう驚くべき結末が、とてつもなく清らかでまぶしい。
 それにしても、ここに描かれた複雑な愛の蠱惑的なこと。二十か国で翻訳され、フランスではわずかひと月で四刷を記録したと知ると、さすが愛を語ることにおいては右に出る者のいないフランスの男と女の面目躍如。溜飲を下げつつ、ちょっとくやしいような気になった。

 (ひらまつ・ようこ エッセイスト)

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