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書評・エッセイ

ヒッカカルニホンゴひっかかる日本語

梶原しげる

660円(税込)

あのトイレの張り紙は失礼じゃないの? 池上彰さんはなぜあんなに説明上手なの? 「東京03」は「ゼロサン」? 「れいさん」? なにもかも、ああひっかかる、ひっかかる。

あのトイレの張り紙って失礼じゃないのか? 「東京03」は「ゼロサン」? 「レイサン」? なぜ池上彰さんの説明はあんなにわかりやすいのか? なぜ女性は面接に強いのか? 目にする言葉、耳にするしゃべりの何もかもがひっかかる、ああひっかかる……「しゃべりのプロ」が、生来の粘着質をフル稼働。あちこち聞き回り、とことん考えた。偏執の彼方から贈るカジワラ流現代日本語の基礎知識とコミュニケーションの秘訣。

「だ抜き」言葉の無責任

梶原しげる『ひっかかる日本語』

梶原しげる

 年末恒例「新語・流行語大賞」のトップテンに、今年は「決められない政治」が入るかもしれない。そうなれば野田総理は昨年の「どじょう内閣」に続いて二年連続の栄冠に輝くことになる。
 その「決められない政治」と同じぐらい深刻だと一部で騒がれている「決められない日本語問題」をご存知だろうか。
「だ抜き+思います」表現だ。
 例えば、こんな場面で使われる。
 上司「例の件どうだ?」
 部下「大丈夫と思います……」
 この返事の場合、まず「思います」にひっかかって、「優柔不断だ!」と怒る上司もいるだろう。「大丈夫です!」と毅然として答えるべきだと言うのだ。
 一方で本来「大丈夫“だ”と思います」の「だ」が抜け落ちていることについては、「慎重で丁寧な物言い」と評価する人がいないとは言えない。でも、私は「だ抜き」のほうもアウトだと思う。「決められない」に直結するからだ。
 患者「先生、私の経過どうですか?」
 医師「大丈夫と思いますよ」
 話し手は「大丈夫だ」の「だ」を抜くことで断定を巧妙に避けているのだ。
 あとで大丈夫でないことが判明した時、責任を追及されたくない。この種の表現を私は「防衛的曖昧表現」と呼んでいる。ちなみに、この手の「決めない・決断しない」=無責任な立場を取る人々が徐々に増えている状況を「非ズバリ化」として分析したのは私の友人でNHK放送文化研究所の塩田雄大(たけひろ)さんだ。
「だ抜き」の蔓延に私が気づいたのは数年前、某洋品店でジャケットを購入した時のこと。
「このジャケット私に似合いますか?」
 店員さんに尋ねたところ「お似合いと思いますよ」……その「だ抜き」にひっかかった。
「この店員、本当は似合うとは思っていないかもしれない。いや、似合うかどうかの判断さえ避けようとしているのではないか? それが無意識に言葉に出ているのではないか?」
 実際、冷静になってみるとあまり似合わないジャケットであった。以来「素敵と思います」「上品と思います」等々、「だ抜き+思います」を使う人の言葉は信用しないことにしている。
 おそらく、あの店員さんも含めて一般の「だ抜き+思います」には深い意図など無いのかもしれない。しかしこれを「決められない政治家」たちが戦略的に使い始めたら要注意だろう。
「わが党にお任せください。きっと日本は大丈夫と思います」
 ひっかかる日本語から世間が見えて来る。
 新潮新書一〇月新刊、拙著『ひっかかる日本語』。これぞあなたにお勧めできる一冊“だ”と断言いたします。

 (かじわら・しげる フリーアナウンサー)

梶原しげる『ひっかかる日本語』978-4-10-610489-3