書評

2012年11月号掲載

想定以上に強かった――「トーマス・マン」と「茂吉の日記」を結ぶ線

――北杜夫『見知らぬ国へ』

なだいなだ

対象書籍名:『見知らぬ国へ』
対象著者:北杜夫
対象書籍ISBN:978-4-10-113164-1

 北杜夫が亡くなってから、あっという間に一年が過ぎる。
 突然の死に呆然とした。死因が腸閉塞であるという病院の発表にも、納得できかねたが、最近になって、家族の質問に、病院が診断の誤りを認めたという記事が新聞に載った。しかし、今頃死因が訂正されたところで、かれが生き返るわけではない。ぼくはインフルエンザの予防注射の直後という、時間的経過から、この注射の副作用が絡んでいるという見方をしている。それをここでいうのもなんだか虚しい。
 もう新しいエッセイも小説も書かれなくなったと考えると寂しいが、かれの書き残した原稿が、このような著作になって一年後に現れるのは、せめてもの慰めとなる。あちこちに書かれた短い原稿もあるが、これまで、分類上、居場所が見つからなかったために、単行本に収録されていない、かなりまとまった原稿も入れられている。例えば、トーマス・マンの「ヴェニスに死す」を論じたものがそうだ。また、父茂吉に関したものの中に、かなりまとまった枚数のものがある。北杜夫の中に潜んでいた父親の存在を知る上でも、トーマス・マンにどれだけ傾倒していたかを知る上でも、役に立つ。おそらく、この傾倒ブリは、大方の読者の想像力をはるかに超えているのではないか、と思う。
「ヴェニスに死す」論では、いくつもの訳を読み比べており、また、疑問点があると、原文の言葉と付き合わせる徹底ぶりだ。その結果名訳として知られている有名な翻訳家の誤訳を指摘している。この研究者としての北杜夫の側面は、ダメ人間を装ったマンボウものしか知らないものには、想像できまい。
 これらの文章は、かれが、医局時代、ぼくにしばしば語っていたことと重なるものがあって、読むうちに、かれの肉声がぼくの内部に蘇った。
 かれは、ぼくが自分の書こうとしている小説のさわりの部分など、同人誌仲間に話してしまうのを、やめるように、忠告してくれたものだ。
「おまえはおしゃべりだから、なんでも話してしまうが、話すと書けなくなるものだぞ」
 ぼくは、自分の考えに対する仲間の反応を見て、書くのに役立てようと思ったのだが、たしかにかれのいう通りだと、すぐに納得した。
 それは小説を書く場合の忠告で、トーマス・マンと茂吉に関しては、当時は、書くつもりがなかったのだろう。何度も、かれが話してくれるのを、ぼくは聞いた。だから、今、肉声が思い出されるのだろう。
「楡家の人びと」を書く準備として(あとから、そう分かった)、茂吉の日記をよく読んでいた。ぼくにも「歌が嫌いなお前でも、面白いと思うぞ」と、日記だけは読むことを勧めた。だが「楡家」の構想に関しては、作品が書かれ始めるまで、かれの口から一切聞かなかった。
 医局の会から抜け出して、ぼくのポンコツ車で、かつての青山の病院の跡地まで何度も一緒に行ったが、ほろ酔いを通り過ぎていた状態でも、作品の構想については、口が固かった。ただ、消えた病院の細部を、思い出して語った。語ることで幼年期の記憶の細部を思い出しているようだった。この青山の病院は、茂吉の養父、つまりかれの祖父の建てたものであり、この記憶と茂吉の日記とが、「楡家」という巨大な作品の基礎になるのだ。文芸首都時代、無名時代のかれには、父の存在は、秘密に属していて、茂吉に関しては、口を閉ざして語ることがなかった。手帳に茂吉の歌をびっしりと書き写し、日記を読んでいることを、ほとんどのものは知らなかった。
 もっとも要約した言い方をすれば、《楡家》という作品は、トーマス・マンの世界を、茂吉の日本語に移し替えて書かれたものということができる。「白きたおやかな峰」のような題名は、唐突にかれのあたまに浮かんだものではない。茂吉の歌を暗唱していた時代に身につけた言葉感覚から生まれたものだ。そうしたことが、この本を通して分かってきた。

 (なだいなだ 作家・医師)

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