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書評・エッセイ

奇想が照らし出す歴史の一面

――佐藤賢一『女信長』(新潮文庫)

重里徹也

 歴史小説の楽しみの一つは、権力をめぐってさまざまな光景が見られることだ。
 人はどのようにして権力を握るのか。どのような人物が政治を牛耳ることができ、それは歴史に何をもたらすのか。計算や義理や感情は、その時にどう働くのか。他者を従わせる正統性を維持するには何が必要なのか。その過程で暴力はどのように行使されるのか。そもそも権力の正体とは一体、何なのか。
 歴史をフィクションを通して眺めると、自ずと権力のあり方について考えを深めることになる。たとえば、司馬遼太郎の多くの小説が権力の姿を追究する面白さをもたらしてくれることを思い出せばいい。
 司馬の小説では登場人物の内面が作者の歴史観を描き出すことが多い。その時に、人物の個性と歴史状況との濃密な絡み合いが重要な要素になる。源義経はなぜ、頼朝に嫌われたのか。斎藤道三のどのような性格が権力を奪取することにつながったのか。高杉晋作は藩内でどのように立ち回って闘争を続けたのか。それぞれの肖像が、実は司馬の歴史認識と深くかかわっているのだ。
 佐藤賢一もしきりに歴史観の記述と登場人物の生々しい描写を結びつけようとする作家だ。彼の小説では、容姿のコンプレックスや父子のあつれきが、当時の社会状況と巧みに重ねられている。
 初めて、日本史における権力闘争を長篇小説で描いた『女信長』もそのような面白さが味わえる力作だ。ただ、佐藤はこの作品できわめて大胆な奇想で主人公の肖像を造形した。そう、織田信長は女性だったというのである。
 この奇想は単なる思いつきにとどまらず、さまざまに歴史を考える補助線になっている。総じて織田信長とは不思議な存在だ。日本の歴史を見渡しても、際立って目立つ。旧来の常識を打ち破り、まったく新しい価値観によって天下統一への道筋を切り開いた人物だ。そのため、日本の社会が閉塞状態に陥るたびに注目される。
 この新しさを信長が女だったからだ、と解釈するのが佐藤作品だ。鉄砲や長い槍の効果的な活用、一人でなく集団による戦術、随所に見せる合理的な出処進退、楽市楽座に象徴的な民の心への深い理解。それらは信長が女性だったから可能になったというのだ。
 きわめつきは南蛮由来の兵制の導入だ。イスパニヤにならって、兵士たちを土地から切り離し、城下に住まわせて金銭を払う制度は、異様なほど土地に執着する男には無理だという。土地の代わりに名誉(地位)を与え、常備軍として年中、戦えるようにする。なるほど、すべて合理的に割り切られている。
 信長は女性だったという設定は、信長という人物の特質を照らし出し、この時代に何が必要とされていたか、佐藤の歴史観をくっきりと示すようなのだ。
『女信長』には合戦シーンは多くない。逆に、登場人物たちの対話が多用される。信長と斎藤道三、信長と柴田勝家、信長と羽柴秀吉、信長と明智光秀。いずれも面白いが、特筆すべきは信長と「妻」の御濃(帰蝶(きちょう))との会話だろう。
 すぐれた歴史小説では、登場人物たちの会話が政治の真実に迫る。この人の世の成り立ちや組織のあり方や人間という動物の本質を浮き彫りにしていく。女性の信長は普段は「御長(おちょう)」という名の侍女として、御濃に仕えている。二人きりで語り合う機会は多く、この対話を通して、信長も読者も考えを深め、世界のあり様を見据えていくことになる。
 この小説を読みながら、しきりに思い返されたのは源義経のことだった。彼の合理的な戦術や目的に一直線に進む姿勢は、思えば男性社会における常識破りで、女性的ともいえるかもしれない。古来、義経女性説が面白おかしく語られるのも、そんなところにも理由があるのではないだろうか。
 女信長の活躍や苦悩は、現代女性たちの颯爽とした姿ともダブる部分があるように思う。佐藤独特の口語的な文章で、この権力者の姿は随分と親しみやすいものになっている。

 (しげさと・てつや 毎日新聞論説委員)

佐藤賢一『女信長』(新潮文庫)978-4-10-112533-6