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書評・エッセイ

『アスクレピオスの愛人』刊行記念特集

「作家・林真理子」に書かれるということ

――林真理子『アスクレピオスの愛人』

進藤奈邦子

「アンアン」をはじめとする雑誌のコラムで、ほんわかとした真理子節、そう、あのふっくらとしたくちびるがイメージさせる、親しみのわくエッセイを真理子さん、と認識していたから覚悟が足らなかった。ご紹介いただいた当初から『女文士』や『ミカドの淑女(おんな)』などの美しいハードカバーの本をサイン入りで下さっていたのに、組織のリストラやら、2人のティーンエイジャーとイベント好きの友人のいる日常やら何やらで手一杯の毎日、しっかり読む間もないままに週刊新潮の連載小説は始まってしまった。あの献本は、「覚悟せよ」というメッセージだったのに。女としてもいろいろあったのよ、は宇野千代さんや瀬戸内寂聴さんぐらいそのころが遠くなってからはOKだけれど、現在進行形は世間的にかなりNGと思われる。林さんは主人公を磨いて輝かせて、なのにその頂点で彼女を引き摺り下ろして泥沼に這い蹲らせたりする。それで、ああ、普通の人生でよかった、なんて読者の共感をぐぐっと掴む。それが作戦?
「新潮社は林真理子を平成の山崎豊子に育てたい」と仕掛け人、石井 さんは私に諭した。「ついてはスケールの大きな話が進んでいくにふさわしい背景が必要」「はい」「で、是非ご協力いただきたい。新潮社の取材力がバックです」(ほおー)。週刊新潮は平成を週刻みで記録しているのだから、過ぎ行くこの時代を書き上げるための素材は層をなして築きあげられているわけだ。で、私に求められているのは、背景設定、つまり「大道具係」?
 この方面の関係者が読めば私がモデルだということは仕事柄、見当がつくだろうが、やはり林さんの小説だから艶話(つやばなし)が展開する。これがそのまま私の素行と誤解されるといけない、というご配慮で、小説の連載が始まる同じ号の週刊新潮に林さんと私のグラビア記事が企画され、そちら方面はあくまでもフィクションです、という林さんの発言も掲載された。
 私がモデルのはずのヒロイン佐伯志帆子は、しょっちゅう私と違うことを考え、私が今までにしでかした失敗や犯した罪を元に作り上げた人生の「グラウンドルール」を無視した言動をとる。とくにわが国の新型インフルエンザに対する水際作戦を批判的にみていたりして声を出して笑ったりする。だめ、そんなの、絶対にありえない。日本にしかできないことを、日本政府が日本の国民のためにやってなにが悪い。過剰でもいい、日本はここまでできるんだから、やってもいいじゃない、重症者の比率がさほど高くないことはもっと後にならなければわからなかったことなんだから。オーストラリアだって真剣に鎖国を考えたりしていたし、ベルギーの代表は国際会議のとき、WHOは事実を伝えるだけでいい、国境コントロールをするかしないかは初期情報からわれわれ加盟国で判断する、あれこれ指図するな、と遠まわしに言っていたし。志帆子ときたら恋愛についても、「ルール」をしょっちゅう無視する。あらあら、これじゃあとで泥沼だわ。一言ご忠告差し上げたい、と思ったりする。この「ルール」は、これをネタに本が一冊書けるから、そう簡単には披露できないけれど。
 前出の石井さんのもちかけ話も、ジュネーブに取材にいらしたときも、小首をかしげてふんふん、と聞かれていた林さん。華やかで、美しくて、きらきらした世界を書かれるのが身上なのに、「国際」がつくとはいえ、「公務員」の取材には気乗りなさらなかったに違いない。けれどもジュネーブで林先生をお迎えした、厚生労働省から出向中の若きエースたちはイケメンぞろい、しかもスマートでおしゃれ、貧乏ったらしくもなく、理想に燃え、英知をほとばしらせていて、このまんま、このキャストでドラマの撮影に入れそうな勢いだったから、やっと先生の嬉しそうな笑顔を見ることができたし、WHOのメディカルキットからフィールド活動用のコンドームが出てきたときには、好奇心で目を輝かされていた。まさにそのとき、林さんの瞳の中にめらめら燃えていたのは、作家としての闘志だったのだ。
 連載開始一週前の前ふり記事に、「作家が書く医療小説をお楽しみに」というようなおっしゃり方をなさっていた。小説は作家が書くに決まっているのに、とそのときの私は思ったのだけれど、どうやら、医療小説の分野は医療畑出身者の独壇場、が常識だったのだということにやっと気がついた。新潮社平成プロジェクト、フィーチャリング林真理子、医療小説『アスクレピオスの愛人』、をどうぞお楽しみに。

 (しんどう・なほこ WHOメディカル・オフィサー)

林真理子『アスクレピオスの愛人』978-4-10-363110-1