対談・鼎談

2012年10月号掲載

『ノエル』刊行記念対談

小説に限界はない

板倉俊之 × 道尾秀介

四人が〇点、一人が百点/物語の組み立て方/作者と読者の協力態勢/心で書いて、頭で直す

対象書籍名:『ノエル a story of stories』
対象著者:道尾秀介
対象書籍ISBN:978-4-10-135555-9

四人が〇点、一人が百点

板倉 道尾さんの小説は先輩の芸人に薦められて『シャドウ』から読み始めたんですけど、こんなに面白い小説があるのかと思いました。それから漁るように読んでいきましたが、ある時に一度止めたんです。「いけない、このままのペースで読んだら、読み尽くしてしまう」と気づきまして(笑)。

道尾 有難うございます。僕も板倉さんの小説『蟻地獄』を版元のリトルモアから送ってもらって、冒頭のシーンを読んだら止まらなくなりました。後半を読んだのが日本推理作家協会のパーティがある日だったんですが、開始まで時間があったので喫茶店で読んでいたら結局、遅刻してしまいました(笑)。用事があるのをわかっていながら読むのを止められなかった小説なんて、久しぶりですよ。

板倉 僕は道尾さんのことを勝手に「師匠」と呼んでいるんですが(笑)、師匠にそんな風に言っていただけて、本当に書いてよかったと今、思ってます。道尾さんの新作『ノエル』は、三作の中篇がひとつのストーリーになっていくという作りですが、最初の「光の箱」を読み終えた時点でもう、一冊分の満足感がありました。特に主人公の圭介の過去の話と、ラストでは号泣してしまいました。それから、最後の「物語の夕暮れ」の中に、一人の少年が本当は友達がいないのに「友達と一緒に行く」と家族に嘘をついてお祭りに行く場面がありますよね。普通といえば普通の話ですが、そういう描写でもいちいち泣いてしまいそうになるんです。そんな感動は、ほかの人の小説ではあまり味わえないですね。

道尾 嬉しいですね。実は、そういった場面は僕自身も書きながら泣きそうになったりしていますから……。そういうシーンは、文章のリズムが崩れて下手くそになっても構わないと思っています。「思い」で書ければいいんだって。

板倉 ほかにも、本当は泣くところじゃないと思いながら泣いてしまった場面が、何箇所かありました。今回は頂いた仮綴本で読ませてもらいましたが、本が完成したら買おうと思っていますので、涙が落ちてもあえて拭きませんでした(笑)。

道尾 僕の小説は、そうやって読んで感動してくれる方と、何にも感じなかったという方の両極端に分かれるんですよ。もともと僕自身、たとえば五人の人が採点した時に、全員が二十点をつけて合計百点というような小説は絶対に書きたくないんです。四人が〇点で、一人だけ百点という小説を書きたいと思っているので、現状は理想に近いですね。まあ、そうは言っても「まるでピンと来なかった」という声が耳に入ると、寂しいことは寂しいですけど(笑)。

物語の組み立て方

板倉 僕は『蟻地獄』は二年半かけて書き上げたんですが、『ノエル』は完成までにどのくらいかかりましたか。

道尾 「光の箱」を書いたのが二〇〇八年ですから、足掛け五年になりますね。ただ、最初は単純に一話で楽しんでもらえる作品を書こうとしたんです。その後で本にすることを考えた時に、中篇を三本書いて、しかも何か縦軸が一本通るようにしたいと思った。そして、第二話を書き終わって第三話の構想を練っている時に、縦軸を通すだけではなく、もっと違うことができるかも知れない、と思い始めたんです。短篇集にも長篇にもできない、連作中篇でしか絶対にできない、大きなものがあるのでは、と。書き終えた時に、「できた」と思いました。

板倉 確かに、これまでに読んだことのないタイプの作品だと思いました。もっとも、僕は小説をまだ数十冊しか読んでいない人間ですが(笑)。それから、三本の中篇にそれぞれ作中作が入っていますので、全部で六本読んだ気になりますし、その作中作だけを取り出して読んでも面白いんですよね。

道尾 この作品で気をつけたのは、その点なんです。作中作なので手を抜いても話は通じると思いますが、それをやると全体のクオリティが大きく落ちてしまう。だから本編と同じエネルギーを使って、一つ一つ丁寧に書きました。『蟻地獄』のストーリーはどんな風に考えていったんですか?

板倉 最初の発想は、集団自殺する人たちの中に一人だけ生き残ろうとしている奴がいたらどうなるだろう、ということだったんです。その話を考えていると、何かドキドキしてきまして。それでは、そいつは何のために集団自殺の中に入るのか、ということから逆算して物語を組み立てていきました。

道尾 設定が本当に面白いですよね。詳しくは言えませんが、「目玉」を手に入れるために集団自殺に加わる、とか。

板倉 目的が単にお金だと平凡かな、と思いまして。現実にこの小説の設定が有り得るのかどうかはわからないんですけど……。

道尾 小説なので、読者に「それは有り得る」と思わせることができたら、それでいいんですよ。あまり取材しすぎると、かえってつまらない小説になってしまいますから。

板倉 そうですよね。

道尾 『蟻地獄』の後に、遡って一作目の『トリガー』も読みましたが、まるっきり作品の佇まいが変わりましたね。

板倉 そうなんです。一作目の時はまだ小説をあまり読んでなくて、書き方がよくわかりませんでした。漫画は好きでしたので、漫画のイメージで描いていったら、視点がコロコロ変わってしまいました。拳銃を向けている人間の視点の文章のすぐ後に、向けられている人間の視点の文章が入ったり……。あとで「それはルール違反だ」と気がついたんです。

道尾 必ずしも違反とは思いませんよ。海外の小説ではよくありますし。むしろ、それがいい効果を生んでいると思ったところもありました。そもそも、なぜ小説を書こうと思ったんですか。

板倉 出版社の方からお話をいただいたのですが、当時は芸人の自伝小説が流行っていた時期だったんです。でも、僕の人生にはそれほどパンチの効いた出来事はありませんので(笑)、以前から映像で撮れないかと思っていた話を書いてみました。でも、読んだ人から「視点が多くて脚本っぽい」と言われたので、二作目は意地でも視点を一人の人物に決めて書こうと思いました。だから、『蟻地獄』は自分でも全然違う作品になったような気がします。

道尾 文章が、とても同じ人が書いたと思えないですよね。

板倉 一冊目の時は表現から逃げていましたね。言葉が思い浮かばないので、最後は内容だけ伝わればいいと思って書いてしまいました。二冊目を書くに当って、実は道尾さんの真似をしたりもしているんです。冒頭の「アリジゴクには天敵が存在しない」という文章に傍点を振りましたが、これなどは師匠の影響を受けています(笑)。それから細かいことですが、「開」という字の使い方に決まりがあって、「ひらく」の場合はひらがなで、「あく」を漢字にしていますよね。

道尾 よく気がつきましたね(笑)。

板倉 その手法は、『蟻地獄』で使わせていただきました。すみません(笑)。

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作者と読者の協力態勢

道尾 今は何か書いているんですか。

板倉 いや、書きたい話はあるんですけど、それが自分だけ思いついた設定であるという確証がないと、怖くて書けないですよね。

道尾 何を思いついても、それは板倉さんだけの発想じゃないかと思いますよ。今までの二冊だけでも、相当に突飛なことをやっていますからね(笑)。突飛な発想で最初は「そんなことあるかい」と感じても、数ページ読み進むと説得力を持ってくるところが凄い。

板倉 そう言っていただけると有難いですね。「そんなことあるかい」で本を閉じちゃう人もいるでしょうから(笑)。とにかく僕は自分自身がワクワクするような話でないと、大きなパワーを生み出せないんです。

道尾 コントを書くのと、小説を書くのとでは、どんなふうに違います?

板倉 一番大きな違いは、小説には身振り手振りがないということですね。コントのように、手の仕草で「これくらい小さい人」って表現することはできないじゃないですか。だから、厖大なボキャブラリーが必要だと痛感させられました。でも、だからこそ小説は究極の表現手段だと思うんです。鼻くそほじるのも、核爆弾落とすのも、タダで何でもできますからね。映画だったら、お金の制約があったりしますけど……。

道尾 そうですね。僕も表現できることの限界が、最も遠くの地平まで広がっているメディアが小説だと思っています。たとえば、世界で一番きれいな人は小説の中にいるし、世界で最も美しい景色も、最もきれいな音楽でさえ、僕は小説の中にあると思っているんです。

板倉 文章には限界がありませんからね。

道尾 ええ。映像は一瞬で大量の情報を伝えられますが、それは結局、情報の発信と受信、というだけの作業になってしまうことが多いですよね。小説では、作者が描写によって読者にヒントを与えて、読者は頭の中でそれを自分のイメージに変換していくという行為が必要になってきます。ですから、読者がどれだけ本気で読んでくれるかということが重要になるんですね。

板倉 作者と読者の協力態勢が必要ですよね。同じ作品を読んでも、協力の度合いによって印象がまったく違ってくる。だから、小説が映像化された時、キャスティングが決まると必ず誰かが「うわあ」って声を上げるんだ(笑)。

道尾 協力態勢というのは、なるほどと思いますね。僕は以前、会社勤めをしていましたが、電車通勤の間に読んだ小説は、どれもものすごく面白かったんですよ。それはきっと、通勤電車にいる時間を素晴らしいものにしようという自分自身の意思が働いていたからだと思います。それによって、同じ作品でも他で読むより面白く感じたんでしょうね。

心で書いて、頭で直す

板倉 道尾さんの作品は、どれを読んでも余分なところが一切ないように感じるんですが、ご自身ではいかがですか。

道尾 おそらく、板倉さんは文庫版で読まれていると思いますが、たとえばデビュー作なんかは単行本から文庫にする際にかなり削っています。二作目以降は、作品を書くにつれて、はじめから余分な部分を削って書く技術力はついてきたかな、と思います。いまでは、だいたい十枚書いて翌日五枚削る、という書き方をしています。最初はどうしても余計なことばかり書いてしまうんですよね。

板倉 そうなんですか。ファンとしては、その削られる前の原稿も読んでみたいですね(笑)。

道尾 いやいや、相当にクオリティが低い文章なので(笑)。

板倉 僕は『蟻地獄』を書いている時、一日に三行しか進まなかった日がありました。道尾さんは、文章に詰まるなんていうことはもうないですよね。

道尾 僕の好きな映画に、ショーン・コネリー主演の『Finding Forrester』(邦題『小説家を見つけたら』)という作品があるんです。過去に一作だけ傑作を書いて隠遁生活をおくっているフォレスターという小説家と黒人の少年のふれ合いを描いた感動作なのですが、その中で少年が「作家になりたい」とフォレスターに弟子入りを志願します。フォレスターは「私はもう書いていない」と断りますが、少年に向ってヒントのような一言を発します。僕のヒアリングなので、万一違っていたら申し訳ないのですが―― “You write your first draft with your heart, and you rewrite with your head.” ――つまり「第一稿は心で書け。そのあと頭で書き直せ」。僕は小説を書く際に、いつもこの言葉を念頭に置いているんです。詰まったときには頭をあまり使わず、その箇所はスルーして、とにかく心だけで書いてしまう。そして、時間を置いてじっくり頭を使って書き直す。そうするようになってからは、原稿で詰まることはあまりなくなりましたね。

板倉 さすがは師匠、素晴らしい言葉です。今後の参考にさせていただきます(笑)。

 (いたくら・としゆき 芸人/みちお・しゅうすけ 作家) 

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