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書評・エッセイ

乱流の中の力学こそが

――リチャード・パワーズ『エコー・メイカー』

茂木健一郎

 人間は、しばしば勘違いをする。より正確に言えば、世界を切り取ってしまう。科学は「実験」や「論理」という道具によって、対象を部品に分解することで成立する。
「還元主義」の弊害については、すでに多くが語られてきた。それでも、私たちは分けることを止めない。何しろ、最新のスマートフォンだって、部品から組み立てているのだから。生活の向上を夢見る人たちの手によって。小突かれ、ひっつけられ。
 私たちの生の豊饒さや、響き、間合いを回復するには、科学や技術とは異なる「声」が聞こえなければならない。それが現代における「文学」の役割。だから、私たちは小説を読む。
 リチャード・パワーズの『エコー・メイカー』は、鶴の大群が舞うシーンから始まる。物語の始点となる一つの「事件」が起こる現場であると同時に、小説全体の方向を示唆する。大切なのは「伏流」であり、「気配」なのだ。
 モチーフとなるのは、「カプグラ症候群」。一九二三年に、フランスの精神科医ジョセフ・カプグラらが報告した。親しい人が、偽物のなりすましだと主張したり、精巧にできたロボットであると思い込んだりしてしまう症例。
 なぜ、荒唐無稽な妄想が生まれるのか。情動を司る脳の回路と、相貌を認識する脳の回路の連絡がうまく行かないことが原因だと推定されている。近しい人の、顔の認識だけはできる。ところが、当然伴うべき、共感や親しみの感情が生まれない。近しいはずなのに、親しみを感じない。これは、矛盾である。
 視覚と感情の間の齟齬を解消するために、脳は現実離れしたフィクションをでっち上げてしまう。しかも、虚妄の世界に入った本人は、それが「真」だと信じてしまうのである。
 人間の脳の不思議さ、やっかいさ。カプグラ症候群は極端であるが、似たような事例は枚挙にいとまがない。感情の歪みが尋常ならざるストーリーテリングにつながるのは、例えば「陰謀史観」がそうである。恋愛における思い込みやすれ違いも、むしろ頻繁に起こる。カプグラ症候群は、一つの孤島ではなく、私たちの日常へとつながる「スペクトラム」の中にある。
 だからこそ、現代のアメリカ文学を代表する作家の一人であり、「天才」の誉れ高いリチャード・パワーズは、カプグラ症候群を小説のモチーフに選んだ。アメリカで最も権威のある文学賞の一つ「全米図書賞」に輝いた本作は、人間と世界に対する私たちの思い込みを揺るがし、堅固な現実の「カーテンの向こう」をかいま見させる。
 登場する「脳科学者」の造形の見事なこと。彼は、研究の傍ら、脳の症例に関する一般向けの本を執筆して、全米的な名声を得たのだった。ところが、最新作の書評で批判され、自己懐疑に陥る。一度崩壊し始めた自我は、容易に元には戻らない。調査。研究。出会い。恋。衝撃。回帰。自我の揺れは、乱流の中の力学である。渡来地の上空を舞う、鶴たちの群れのように。
 脳科学者が築いた「ポピュラーサイエンス」の名声は、やがて墜落する。そのことで、彼は以前よりもかえって自由にすらなるのだ。
 脳は、コンピュータなどではない。冷静に情報処理を続ける、電子機械などではない。最近流行の、インターネットですらない。人間の脳とは、一つの「王国」なのだ。その歴史は思うようにならない。反乱があり、興廃がある。あまりにも広大で、自我という「王座」からも、全体は見渡せない。
 私たちは脳内で踊る化学物質に包まれながら、充たされぬ愛を夢見ている。私たちは、「情報」という乾いた言葉が示唆するよりもよほど近しく、地面や湿り気といった懐かしいものとつながっている。そして、おそらくはもっと自由なのだ。
 すぐれた文学は、「本当のこと」の感触を描く。科学技術文明全盛の現代だからこそ、『エコー・メイカー』のような小説は必要とされる。それは、魂の糧となる。私にも、そしてあなたにも。

 (もぎ・けんいちろう 脳科学者)

リチャード・パワーズ著/黒原敏行訳『エコー・メイカー』978-4-10-505873-9