書評

2012年6月号掲載

女流作家の親友

――谷村志穂『尋ね人』

ピーコ

対象書籍名:『尋ね人』
対象著者:谷村志穂
対象書籍ISBN:978-4-10-113258-7

 若いうちからというか子供の時から本を読むことが好きで、中学校に入った頃は父親が近所の貸本屋に借りに行くときに付いていきました。父がミステリーでも時代物でも乱読といっていいくらいカテゴリーに関係なく読む人だったので、それに感化されたのか私も大人用のベストセラーをよく読むようになりました。
 貸本屋で借りた本で松本清張や三島由紀夫の名前を知ったのも、中学生の頃でした。
 それから暇が出来ると本屋に入って背表紙を眺めて、気になる本があれば手にとり、書き出しの何行かを読んで、気に入る文章だと買うようになりました。それでも作品を読んで作者に逢いたいと思う事はありませんでした。
 TBSラジオに出るようになって、ひょんな事から銀座の文壇バーに通うようになり、常連客の中に中山あい子さんがいると知り、猛烈に逢いたいと思ったのが初めてでした。
 昭和30年代ぐらいから中山さんの描く女の人が格好よく、その頃には珍しく職業を持って生きて行く女性で、そんな女の生き方を書く作家に逢いたいと思ったのでした。
 ママに中山さんを紹介されて仲良くさせて戴き、色々人生の先輩として教えて貰い、今の私の女性観があると思っています。
 でも先輩でもあり人生の師でもある中山さんは友人というにはあまりにも大きな人でしたので、作家のお友達はいませんでした。
 谷村志穂と初めて逢ったのは1990年の「結婚しないかもしれない症候群」を取り上げたTV番組で私がコメンテーター、彼女はゲストで出演した時でした。
 賢くて美しい女(ひと)だなあというのが第一印象でした。
 その後何年かブランクがあって再びBSTVのガーデニングの番組で一緒になり、個人的なお付き合いが始まりました。
 女性作家の友人は初めてでした。
 あの第一印象の時より女として奔放な人なのだということがわかり、ファッションもとてもイケているし、積極的に生きている割には、恋に傷ついていたりする多面的な所が魅力で、私のそれまでの女友達とはちょっぴり違っていたのです。
 彼女の書くものではよく捜し物をする話があります。この原稿を書く前日の日刊紙に志穂が東京の街を歩いて、その印象を書いたコラムがあって、その日は大井町のゼームス坂の話でした。志穂はそのゼームス坂の由来を知りたいと思い、どうしてゼームスなのかをコラムに書いているのを読んで、若い時からいつも何かを捜している人なんだとひとりごちたのでした。
 モルジブに旅したのも人生の何かを捜していたし、「黒髪」を書いた時も祖々母のルーツを捜しにロシアまで大変な取材旅行をしているのを私は知っています。
 新作の『尋ね人』はタイトルから人を捜す事なのだと見当はつくのです。
 青山でのアパレルの仕事も恋人も失って、傷ついて函館に戻って母親と暮す娘が主人公です。母は末期のがんで余命幾許も無い、その母が娘に消えたかっての恋人を探す事を最後の願いで託すのです。
 失跡したかっての恋人を捜す娘は、元カレのデザイナーとの気持ちも整理されないまま、母の若い頃をさぐらなくてはならないのです。母への想いが変化していく事で娘の他人の気持への忖度がワンステップずつ醸成されていく姿が描かれ、作者の女としての成長をうかがう事が出来て、友人としてそれが嬉しいのです。
 志穂の描く街の風景や海の色、出て来る人達のファッションなど、どの作品でも眼の前に浮び上がってくるのが良いところですが、『尋ね人』では一段と描写が巧みで、主人公の髪の毛一本から元カレが手作りでプレゼントしてくれたストールまで手元にあるような存在感は谷村志穂にしか描けないのではないかしら。『尋ね人』を読み終わって、私事ですが、私の母にゲイである告知もしていなく、ホモの双子を持った母がどんなつもりでTVに出ていた私たちを観ていたかも生前に聞いておらず、その上母が女としてどのような生き方をして来たのかも尋ねた事がなかった事に、子供である私の心の狭さをすまなく思ったのです。
 母親が私の父親以外の人を好きになっていたのかを今、とても知りたく感じた一冊でした。

 (ファッション評論家)

最新の書評

ページの先頭へ