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対談・鼎談

保阪正康『日本の原爆 その開発と挫折の道程』刊行記念対談

原爆製造計画と原子力発電の狭間

吉岡斉×保阪正康

ニ号研究とマンハッタン計画

保阪 東日本大震災以降、関心を集めた原子力ですが、一連のメディアの報道や科学者の発言を聞いていて、私は何かが欠けていると感じました。戦時下の日本には原子爆弾製造計画があったという「前史」です。その研究の詳細から戦後、原発立国へと繋がる経緯を今回、本にまとめました。まず私が吉岡さんとテーマにしたいのは、つまり陸軍の「ニ号研究」と海軍の「F号研究」ですが、それらはアメリカの「マンハッタン計画」と比べてどうだったのかという点です。同計画でアメリカは実際に原爆を製造し、広島・長崎に投下するわけですが。

吉岡 日本の原爆研究では、プルトニウムを使用するという着想が欠けていました。原爆の材料を製造するには二つの方法があります。ウラン濃縮によって高濃縮ウランを得る方法と、天然ウランを用いる原子炉の照射済核燃料の再処理によってプルトニウムを抽出する方法です。長崎に投下されたのは後者の原爆です。プルトニウム発見の知識は海外の科学雑誌などをヒントとして得ていたでしょうに、日本の科学者はそれを利用するという路線には関心を示していません。

保阪 陸軍の「ニ号研究」を進めた理化学研究所(理研)の仁科芳雄は、原爆投下後の広島、長崎に入っていますが、広島に出発する前に弟子に宛てて手紙を書いている。それは「我々は原爆製造ではアメリカに負けた」という意味です。

吉岡 研究者の間では、戦争が始まる前から研究競争がありました。戦争に負けたということよりも、研究で負けていたという意識がつい本音として出たのでしょうね。非常にプリミティブな、科学者としての思いから来た言葉だと思います。

保阪 仁科は当時の科学者としては、日本のトップレベルだったのでしょうか?

吉岡 マンハッタン計画にしても、ロバート・オッペンハイマーがいたから成功したというわけではありません。企業も巻き込んでの組織化がうまくいき、国をあげてのプロジェクトとなっていました。一方、日本は仁科をボスとして、周囲の科学者が研究していたというレベルです。軍事研究という発想もなかったでしょう。

保阪 研究のレベルは落としたくないから、研究者を戦場で失いたくない。さらに言えば、言葉は悪いのですが、研究費を獲得するためのプロジェクトだったのではないかと思える節がありますね。

吉岡 まあ、そうだと思います。日本の研究者に巨額の研究費が注がれるのは一九三〇年代半ばです。国力増強に役立つという大義名分のつく大型研究が対象で、兵器製造に直接、結びつくわけではありませんでした。原子核・宇宙線の研究もその中のひとつでしたが、科学者たちの意識は「お金が出るなら、自分たちがやりたい研究にシフトさせよう」というものだったのでしょう。

従属か便乗か

保阪 戦況が悪化していくと、「金も出すが、口も出す」状態になりますね。軍部の中には、科学者たちに対しずいぶん威圧的な態度で研究を急かしたものもいます。朝永(ともなが)振一郎の著作を読むと、「仁科さんがその矢面に立ってくれたので、我々は研究に専念できた」とありますが。

吉岡 アメリカは、軍と現場の科学者との接着剤として、科学行政官がきちんと動いていました。日本にはその機能を担う者がいなかった。仁科にしても、その役割は「研究隣組の代表」程度でしかありませんでした。

保阪 一方で、科学界の大物、学術研究会議会長の岡田武松などは、「戦時下にあって国に協力しないものは科学者ではない」といった激しい檄を飛ばしているんですね。

吉岡 本心ではなかったでしょうね。原子核・宇宙線研究に巨額の研究費を出させたのは、岡田の影響が多大です。お金をくれるなら頭を下げるということですね。

保阪 科学者のそうした態度は、現在の原子力行政にも、悪しき慣習として見られるように思いますね。

吉岡 今の科学者の立場というのは、当時よりもさらに低い。日本の場合、国家の危機において、科学者がリーダーシップをとって打開していくという形はあまり見られません。たとえば第一次世界大戦では、アメリカの科学者たちは政府に働きかけ、「自分たちを使ってくれ」と志願している。

保阪 科学者が政府や軍部に従属するという形は、戦争の時代である二十世紀の宿命だと思います。

吉岡 科学者で自由に、自分の意思通りに動いたのはアインシュタインだけでしょうね。

保阪 ドイツのハイゼンベルクは能力はあったのに、自らの意思で原爆を製造しなかったと巷間言われていますが……。

吉岡 国力の問題だったと思います。アメリカ並みの設備があれば、ドイツが原爆を完成させていたのは間違いない。出来なかった言い訳として、ハイゼンベルクはそう発言したのでしょう。

保阪 朝永振一郎はハイゼンベルクの研究室に留学していますね。日本の原子物理学者たちはドイツの科学者たちと交流があったのでしょうか。

吉岡 人的移動はそれほどありませんでした。朝永も早々に帰国しています。研究者の交流はむしろアメリカとのほうが深かった。それも開戦で途切れるわけですが。戦争が始まって、アメリカでは科学者たちの間に「国を助けろ」という気概があまねく広がりました。でも日本の場合、お国のためと言いつつも、科学者には自らを捧げるための動機付けがなかったのでしょうね。

保阪 文学者の場合は感性的な人が多いから、瞬間的に情念的に盛り上がってしまう。だから負け戦になると、「こんなことやってられない」となるのですが。先に私は「従属」という言葉を使いましたが、日本の科学者たちの態度をこうして見ると、「従属」というよりは「便乗」と言ったほうが正確かもしれません。時流に便乗して、研究という自分たちの欲望を満足させたという意味です。これは戦後のことですが、一九五六年に日本は原子力委員会を立ち上げます。ところが湯川秀樹は早々に委員を辞任している。

吉岡 戦後、どうやって原子力を使っていこうかとなった時、日本は戦略を作れませんでした。外国から研究炉を輸入して研究し、吸収するという、木に竹を接ぐようなアイディアしか出なかった。そこへ初代原子力委員長の正力松太郎が、最初から商業炉を購入すると言ったのです。日本には科学者は要らないということですね。湯川は唖然としたのでしょう。

保阪 コストという考えが出てきたということですね。翌年にアメリカはIAEA(国際原子力機関)を作り、原子力を独占しようとします。そして、日本はいまだに原子力そのものがアメリカに従属したままとなっている。

吉岡 しかし、やはりアメリカとライセンス契約していたドイツは十年くらいで解消し、自前の技術でドイツ型原子炉を開発しています。日本はアメリカとの関係を切れなかったのか、切らなかったのか、共同開発という道を選択する。これは戦闘機も同じですね。

科学者の哲学と倫理とは

保阪 震災が起きて、原子力に関する本が書店には溢れんばかりに並んでいます。私たちがこういった情報に触れるのは、何かがあったときで、まるで麻疹のように大騒ぎする。

吉岡 福島の場合、影響自体も長期化するでしょうから、そう簡単には収まらないでしょうね。毎年何兆円も国民負担で払わなければいけませんし。しかしチェルノブイリは一過性でした。特殊な国の特殊な事故だと、日本人は捉えていた。あの時に、原子力政策を転換しても良かったと思いますね。

保阪 震災後すぐに、私の友人のドイツ人が、日本は危ないから越して来いと連絡をくれました。本来は原子力について、以前からもっと考えなければならなかった……。

吉岡 初期にはかなり危なかったと、科学の知識がある者なら誰でも考えていたでしょうね。一つの原子炉が大爆発すれば、他の原子炉も冷却できず連鎖的に爆発するだろうと。東日本が駄目になり、日本経済は崩壊し世界大恐慌が起きるのではないかと私は思いました。運が良かったとしかいいようがないというのが、正直な感想です。

保阪 今にいたるまで事故の検証は続いていますが、吉岡さんから見てどうでしょうか。

吉岡 政府事故調の検証は検察的ですね。物理的にどういうプロセスがあったのかという視点は欠けている。時間的制約や現場を見られないというのも大きい要因ですが、刑事責任と直結しているから、どうしても検察的なアプローチになります。

保阪 日本ではあらゆるケースでそういうシステムになっている、そのひとつの見本ですね。驚いたのは、発言している科学者たちのその内容が、たとえば安全性の問題ひとつとっても、こんなに見解が違うのかということです。私たちは見極めがつかない。

吉岡 中でも放射線医学は酷い。国際基準から見て、ずれている発言も多いですね。ICRP(国際放射線防護委員会)の教科書と異なることを言っている。

保阪 国民を欺いているといってもいい。人間は哲学や倫理を持って、それを基準にして行動すると思うのですが、震災後を見ていて日本の科学者はそれを持っていないのではないかと思えます。

吉岡 学際的・業際的コミュニティーでは、他分野・他業種の辛辣な研究者や実務家たちの顔が見えます。だからいい加減な発言はできないわけです。現在の「原子力ムラ」はそうした外部に対する開放性が低く「内なる縛り」が強い。しかも震災後になっても、変化しなかったということでしょうね。

 (よしおか・ひとし 九州大学大学院比較社会文化研究院教授、政府の東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会委員/ほさか・まさやす ノンフィクション作家)

保阪正康『日本の原爆 その開発と挫折の道程』978-4-10-313672-9