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作家・平野啓一郎 特別インタビュー 電子書籍は何をもたらすのか 紙の本はどうなる 読者は そして書き手は――

  • 音楽ビジネスと同じ流れ
  • 読み手が価値を付与する
  • 紙の本は「紙とインクの彫刻」
  • 無茶な安売りには反対

紙の本は「紙とインクの彫刻」

――端末で読むという身体動作の違いも、何かこれまでとの違いをもたらすでしょうか。

平野 電子本を読むデバイスには、電子ペーパーを使った読書専用端末と、フルカラーのディスプレイを備えたタブレットやスマホのような多機能端末がありますね。前者は反射光を使っていて、後者はバックライトの直接光を使っている。ここからの議論が僕には真偽不明なのですけれど、反射光タイプのもので読む場合には「積極的に読もうとして初めて書かれていることを認識できる」そうで、反対に、直接光タイプのもので読む場合には「受動的に文字が入ってくる」「批評性が介在しないままスッと読めてしまう」のだという話を最近読みました。たしかにパソコン上で読むのと、プリントアウトしたものを読むのとでは印象が違うというのは、経験的に知ってます。端末の違いによる「読め方」の違いに科学的な根拠があるのかどうかわかりませんが、そういった差異はある気がします。

――とても興味深いですね。

平野 ですから、いわゆる文学作品には、反射光タイプのほうが適しているのかもしれません。「積極的に読もう」という読者の気持ちとマッチするわけですから。一方、ネットで流し読みするようなサイトなどと同じタッチのものについては直接光の端末のほうが相性がいいのでしょう。電子本を読むデバイスも現状の2種類があり続けるのだとすれば、可能性としては、作品ごとに、読書専用端末向け、多機能端末向け、みたいな棲み分けがでてくるのかもしれません。

――電子書籍が世に認知され、一定の市場を獲得したいま、書き手にとって紙の本の位置づけは変わったでしょうか。

平野 紙に印刷された本とは、紙とインクの彫刻のようなものだと考えています。これはかねてからの持論です。1冊1冊で考えると、使用されたインクの量などほんの微々たるものです。が、何万冊というボリュームで考えると、一定量のインクが紙の上にのっているというイメージが沸いてくるでしょう。そこから立ち返って微視的に見るならば、紙の本がインク=フォントの彫刻であることが理解できると思います。僕は〈女の部屋〉という作品を、そういうコンセプトで書きましたが、まったく理解されませんでした。当時は、電子本の登場に際して、そういう問題意識を持ってる作家が文壇にいなかったんですね。

――物理的な重さのない電子書籍と異なるところです。

平野 その通りです。もちろん、紙の本は単にコンテンツが読めればいいんだという考え方もあるでしょうし、フォントの質感を含めてエステティックなところまでこだわりたいという考え方もあるでしょう。ただ問題は、グラフィック的な側面までをコントロールできる作家がさほど多くないことだと思うんです。今やフォントは膨大な種類があります。一方、馴染みのあるフォントといえば、せいぜい明朝かゴシックくらいしかない、という現実もあります。谷崎潤一郎も、『文章読本』で、本当はもっと色んな事ができるはずだと言ってますけど、フォントの種類や大きさにこだわり、意図を込めて作品をつくろうと思っても、ほとんどの作家は能力的にできないんですよ。

1行当たりの文字数の影響

――実際のところ、かなりの手間と労力を要することになりそうですね。

平野 僕もそういうこだわりを込めた作品は、1回限りならできると思いますけれど、毎回それをやれるかと言ったら無理でしょうね。現実的には、いまの出版界の状況の中で、そうした実験的な試みを継続的にやっていくのは困難でしょうし、やってみようと思う人もいないでしょう。読者もつきあわないでしょう。紙の本の可能性はかくも開かれているはずなのですが、肝心の「やろうと思う人」がいない。だとすると結局は、みんなが言うほど「紙の本でしかできないこと」なんてないのかもしれないという気もします。

――電子書籍は書き手に対して、何らかの変化を迫るものでしょうか。

平野 非常に単純なことで言いますと、1行あたりの文字数が違ってきて、それが印象を変える可能性については常に考慮しなくてはならないでしょうね。普通の本なら2、3行で収まる文章が、1行あたりの文字数が少ないせいで何行にもわたって展開され、下手をすると1ページ丸ごと占めてしまう、なんていうことが生じうる。すると、何だかとても長い文章に見えてしまう。読み手は紙の本を開いた瞬間、どこにどれくらいの数の読点があるか、文章はどれくらいの長さなのか、などといった諸々の要素を無意識のうちに視覚的に認識しているのだと思います。紙の本の場合にはそれができる。でも、電子本の場合には、従来の見開き単位でのそのような無意識のモニタリングができないわけで、読者にとっては長い文章がこれまで以上にストレスに感じられるかもしれません。見開き2ページ分から今読んでいる箇所を判断するか、文字数の少ない1ページ分から判断するかは随分と違うはずです。

――端末の画面にも大小があり、フォントも大小を好みで変えられる。1行あたりの文字数は書き手の想定外ですね。

平野 これまでは、今言ったように、何だかんだでハードカバーの見開きを想定して書き手も書いていたし、読む側もそのテンポを学習していた。僕の〈氷塊〉だとか、〈やがて光源のない澄んだ乱反射の表で……/『TSUNAMI』のための32点の絵のない挿絵〉とか、ああいうものは、全部その前提です。書き手も読み手も、ハードカバーのサイズ感からくる行数や文章の長さを「初期値」としていたんですね。でも、これからは画面のサイズで行数や文字数がかなり変動するという前提で書いていく必要がある。大きなタブレットで読んだらとてもいい話に感じられたのに、小さいので読み返したら何だか文章のテンポが悪いように思えたとか、そういった感想だって出てくることも考えられます。

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