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「きことわ」詳細

芥川賞受賞作 電子書籍化! 朝吹真理子×西村賢太 特別対談

「苦役列車」詳細

  • 前編「書くスタイル、書くよろこび、そして辛さ」
  • 後編「書くよろこび、そして辛さ」「電子書籍をどう考えるか」

朝吹真理子、西村賢太、芥川賞作家の両氏による対談前編は、受賞賞金100万円の使い道に始まって、それぞれの「読書スタイル」「書くスタイル」、さらには主題の「書くことのよろこびと辛さ」にも話題が及んだ。後編は「詩と小説」について、はたまた「電子書籍をどう考えるか」など、2人の“論議”はより一層、深まりを見せていく。

(前編からの再録)

朝吹 書いている時は、感情がむき出しになります。愉しいとか、とても辛いとか、哀しいとかそういうくくりかたもできないような感情です。でも、その感情を認識するよりも、物語のほうをしっかり認識していたいと思うせいで、感情がどこかに失せてなくなっちゃうような感じにもなります。いろんな感情がたくさん湧くなぁと思う反面、感情がまるでないような感覚も……。それらは矛盾するんですけれど、同時に存在してもいるんです。

西村 なるほど。それは書く愉しさなのか辛さなのか。どうなんでしょうね、朝吹さん。

(前編からの再録ここまで)

朝吹 生きているということ自体、愉しいことばかりじゃなくて、辛いことだって多いわけですけれど、あまりネガティブなことは言いたくありません。読み手の方に「このへん苦労して書いたんだろうな」と、思われる時もあるだろうけれど、自分からは決して言いたくはないです。「一生懸命書いたので読んでください」というアピールは、絶対したくありません。書くことは辛いことも多いに決まってます。腱鞘炎にだってなるんだし(笑)。

西村 そりゃそうだ。でも、朝吹さんはイメージで 損をしているかも知れない。朝吹さんって、ものすごい才媛で、血筋のいい文学的天才みたいなイメージがあって、そういう人が苦労もなくサラサラっと書いて、で、一発で芥川賞受賞みたいに受け取られるところもあると思うんです。これは仕方のない部分もあると思うな、デビューの華やかさとかを考えたりすると。でも確かに、楽に書けるなんていうことは、あるわけがないですからね。

朝吹 はい。そうです。

西村 でも、そういうことを絶対に言いたくないっていうのは、なかなか土性骨が通ったお嬢さまだなぁと(笑)。

朝吹 「お嬢さま」(笑)。西村さんは、詩とかお書きにならないんですか。

西村 いやぁ、僕は詩はダメですね。決して嫌いというわけじゃないんですがね。でも詩人の方には失礼だけど、小説を書いていると、そういう詩みたいなのを書くっていうのが、言葉は悪いけど、ちょっとバカバカしくはならないですか。

朝吹 ……ン? ウーン。どうなんだろう。

西村 だって、あまりにも約(つづ)めすぎだし、どう言ったらいいのかな。「ずいぶんと楽なことを、しかつめらしくやっていらっしゃいますね」ぐらいに思っちゃうんですけどね。朝吹さんは小説を書かれながら詩にも理解がおありで、たとえば『流跡』は長文詩みたいなところもありますよね、もちろん、いい意味で。でも、『きことわ』みたいにストーリー性のあるものを書かれると、詩にはもう、バカバカしくて戻れなくなるんじゃないかという気がするんですけれど。

朝吹 いまだに「小説」を書いているという意識がないんです。かと言って「詩」を書いている意識もなくて、ただ、漠然と、モノを作っているという意識です。小説は、闇鍋みたいなところがあるじゃないですか。

西村 うん、うまい言い方ですね。

朝吹 私は闇鍋大好きなのですが、詩には闇鍋性がないと思うんですよね。

西村 ええ、ごまかしが利かない。

詩と小説の違い

朝吹 「詩の一行は小説の何百行に値する」という言い方がありますが、詩の一行が屹立することというのはそういうことなのかなと思います。そういう一行を刻める人が本当の詩人だと私は思います。西村さんがバカバカしいと感じてしまうのは、つまらない詩なのだと思います。面白い詩は、ほんとうに面白いです。

西村 凝縮した一行か。ありますか、そんなもん。

朝吹 あります! 後でお渡しさせてください。

西村 はい、これ私の詩よ、って(笑)。

朝吹 私は詩を書いていません。一行も書いたことないです。

西村 そうなんですか。それは僕、偏見がありましたね。いや、不勉強でした。朝吹さんって、元詩人じゃなかったんですか。

朝吹 違います。元も何も。元大学院生です。駄目な論文を書いてました。詩は大好きなのですけど、敬意が強いからか書きたいとは思わないのです。

西村 敬意?

朝吹 そう、ずっと読んできて大好きだから。それにやっぱり闇鍋っぽいものに惹かれるし……。

西村 ほう。でも朝吹さんには失礼だけども、詩の一行が小説の何百行に匹敵するというご意見には、僕は与(くみ)することができませんなぁ。

朝吹 うーん。何て申し上げたらいいんだろう。抽出した濃縮された一滴をポタッと落とす面白さがあるのが詩。闇鍋の雑多さを楽しむのが小説。だから全然種類が違って、本当は比較の対象にならないんだけど、詩は、それをまるごと抱えもって生きていくことができる。でも小説の場合、どんなに好きな作品を抱えもって生きていこうとしても、その中の一行とか場面の断片しか抱えもてない。作品全体はその影になってしまうわけですよね。

西村 ああ、なるほど。

朝吹 詩の場合は、すべての行を覚えていなくても、ある一行を抱えもつことで、全体を抱えられる感じになります。小説はいつまでも把握しきれない面白さがある。だからお互いに種類が違って、どちらも素晴らしくて好きです。詩の一行には(ほんとうは小説もだけれど)、書かれなかったたくさんのものを含んでいる。そういうパワーがあると思う。それは小説何百行分の濃度を持っているっていうことです。小説はその密度で書けないから面白い。

西村 わかりますがね。たとえば「汚れっちまった悲しみに…… 」なんて……。

朝吹 私、あまり中也は好きじゃないんですけれども……(笑)。

西村 中也はお好きではない。そうですか。僕もです(笑)。しかし、そういうのが大方の支持を得ているんですけれど、僕が考えるのはそこからなんですよ。

朝吹 はい……。

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