書評

2019年1月号掲載

江戸の匂いと笑いの明かり

――美濃部美津子『志ん生の食卓』(新潮文庫)

平松洋子

対象書籍名:『志ん生の食卓』(新潮文庫)
対象著者:美濃部美津子
対象書籍ISBN:978-4-10-100426-6

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 五代目古今亭志ん生といえば、切っても切れないのが酒との関係。十三、四の頃から酒屋の前に立って枡酒を冷やでぐびぐび、借りた羽織と着物を質屋に入れて飲む、相撲取りと飲み較べに興じる、ほろ酔いのまま高座に上がって居眠りする、危篤に陥って生還したときの第一声は「酒くれ」だった。
 ただし、次男、古今亭志ん朝は父についてこう語っている。
「私生活はぞろっぺえだったが、芸に対する態度は鬼気迫るものがあった。これは、身内でないと、わからないが......」(『名人 志ん生、そして志ん朝』小林信彦著 朝日文庫)
 本書『志ん生の食卓』は、志ん生が引退するまで付き人を務め、落語ひと筋に生きる一家の道のりを見つめ続けた長女、美濃部美津子による。身近な食べ物を通じて繙いてゆく、それこそ身内でなければ知り得ない昭和の名人の素顔。飾り気のないさっぱりとした語りに惹かれ、はっと気づくと口のなかに生ツバが溜まっている始末、やっぱり蛙の子は蛙なのだ。話のフリだって最高で。「だってお父さん、まったくってほど食べ物に執着しない人だったんだもの」「それにね、ここだけの話、あんまし舌も肥えてなかったんじゃないかと思うのよ」。かえって引きこまれてしまいます。
 美津子が生まれたのは大正十三年、志ん生三十四歳のとき。遅咲きで貧乏時代が長かったから、質素を絵に描いたような食生活だった。ごはんを炊くのは朝一回、白米と麦が半々。味噌汁も朝だけ。長屋住まいは煮炊きをあまりせず、納豆、佃煮、豆、煮売り屋から買ってきたほうが早いし、安かった。行間から、昭和というより江戸の匂いが漂ってくる。
「江戸っ子ってのはね、実はとっても合理主義者なんです。なんて、ちょっとカッコつけすぎかしら。本音を言えば、何のことはない、とにかく『お金のかかんないおかず』ってことだけ考えてたのよ」
 志ん生の好物は納豆、味噌豆、豆腐、マグロ、丼もの等々。ごく当たり前の食べ物ばかりだけれど、たまに近所の寿司屋でこしらえてもらう中トロと煮穴子を半分ずつのせたちらし寿司は、「お父さんだけが食べる特別なお寿司」だった。やっとこさ高座の出演料が入ったのに、酒代や博打に使い果たすこともしばしばだったが、稽古に打ち込む姿を知っているから、お父さんは家族から尊敬されていた。でもって、どこかとぼけている。天ぷら屋で、天丼の締めに好きな酒を振りかけていた話。おでん屋で好んで食べていたのはたたみいわしだった話。娘は娘で、甘辛く煮たさつまあげをごはんにのせた弁当をからかわれても平気だったのは「何せ丼もの好き一家の一員ですから」。ぽっ、ぽっ、と笑いの明かりが灯る。名人志ん生の人情噺を地でゆく、というより、一家の暮らしが人情噺そのものだったのだ。
 それもこれも、母りんの献身があればこそ。明け方まで内職に精出す母は、お腹を空かせて起きる子らのために、枕元に「おめざ」を用意してくれていた。残りごはんで作るおじや、具のないうどん。「つゆを吸って柔らかくふにゃふにゃになってるのが、何か美味しかったのよ」。冷えかかっていただろうに、こんなに温かな味があるだろうか。砂糖水に浸して食べた「はじパン」。捕まえてきた野生の赤蛙。きょうだいの誰かがくしゃみをしたら、「前歯にこそげるように入れてく」おろしにんにく。志ん生の傑作語録のひとつに「おれは貧乏してなかった。家族が貧乏してただけだ」というのがあるけれど、この妻子がいたから言えたせりふなんだなあ。
 やっぱり、酒をめぐる話は真骨頂だ。家では菊正宗のコップ酒をきゅーっ。倒れて以降、こっそり水で薄めて飲ませていたけれど、何年かぶりに生のままの菊正を手渡したのは、父の末期を察した美津子だった。敬慕する父との最期の会話は、その酒をめぐるやりとりだったという。
 ひとつひとつの食べ物から滲みでる情愛が濃い。
 語り終えた美津子のつぶやきに、はっとさせられた。
「(前略)昔は食事をするのも一生懸命だったことを思い出しましてね。当時の人はみんな同じだった。ただ習慣として、流れで食べるんじゃあない」
 食事をするのも一生懸命。ホネのある言葉だなと思う。食べ物に執着する・しないの問題ではないのだ。食事のたびに一生懸命。日本人が生きるために食べた時代が、志ん生という人間を育んだのである。本書は家族の記録であり、時代の証言であり、身内にしか書き得ない芸論でもあるだろう。

 (ひらまつ・ようこ エッセイスト)

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