書評

2019年1月号掲載

現代人のかえり方

谷川ゆに『「あの世」と「この世」のあいだ たましいのふるさとを探して』

谷川ゆに

対象書籍名:『「あの世」と「この世」のあいだ たましいのふるさとを探して』
対象著者:谷川ゆに
対象書籍ISBN:978-4-10-610794-8

 この数年のあいだに、私にとって身近だった人たちが次々と亡くなりました。老齢だった伯父たちや両親です。いつまでも大人になり切れない私は、その一々がとても寂しく、それは心もとなくてずいぶん落ち込みました。
 そもそも、私には特定の宗教的信仰がありません。よって「あの世」も「かみさま」もない。今までは、それで特に困ることもなかったわけですが、いざリアルな死が目の前に突き付けられると、それについて考えるための枠組みも言葉も実は持っていない。どこに求めていいのかすら皆目分からない。そのことに愕然としました。
 いつの間にか近代的合理を身につけてしまった現代人にとっての「この世ならざる」世界や存在とはいったい何なのか。全国を旅して、その土地に古くから伝わる「あの世」と「この世」のあいだに立つことで、その問いに身を浸したくなった背景には、たしかに、そんな私の個人的な状況が関係していたのは間違いありません。
 ところが、各地を彷徨しているうち「まてよ、この世ならぬものをすっかり失ったかに見える私たち現代人も、我知らず『魂のふるさと』に触れていることがあるのではないか」と気づきはじめたのには、自分でも驚きました。
 たとえば私は子供の頃、夏に訪れた河原で、手のひらほどの大きさをした丸い石を、亀のようだと思って拾い、それから一日中、その石を亀としていっしょに遊んだ覚えがあります。川の水に放ったり、また取り出してその甲羅を撫でたり、私はすっかりその小石と仲良くなりました。日がくれて帰る頃には、まったく別れるのが切なくなったほどです。
 現代の大人からすれば、子供ならではの豊かな空想の賜物、ということになりそうですが、石に霊性を認め、親しくつながりをもつ幼い私は、その実、近代以前の信仰のありようにとても近い。八丈島ではたくさんの石を、生命体のように祀った「イシバサマ」に出会いましたし、琉球弧では「石が成長する」と信じられており、かみさまとして大切にされている場所がある。かつての私は、河原でかみさまと遊んでいたわけです。
 古来、死者や神々は、人間が暮らしの中で親しくつながる身近な山海や川、草木、岩石、動物や虫たちの中に感覚されてきました。自然の万物やコスモスこそが、いわば私たちにとっての「魂のふるさと」であるということができます。
 その懐かしい場所に現代人がかえろうとしたとき、道しるべはすでに身体感覚の中に宿っている。子供の頃はそれが顕著ですが、大人になったとしても、自分の内部にある古層、野性的感受性をたどれば、私たちはいつでもそこにかえることができる......、そんなことを感じ考えた本です。

 (たにがわ・ゆに 著述家)

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