書評

2019年8月号掲載

長くて短い平成時代の文学

新潮別冊「平成の名小説」
The Shincho Anthology of Short Stories and Essays:Masterworks from the Heisei Era(1989-2019)

佐久間文子

対象書籍名:新潮別冊「平成の名小説」

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 平成は三十年四カ月続いた。バブルと呼ばれた狂乱の時代に始まり、阪神・淡路大震災とオウム真理教による地下鉄サリン事件という未曾有の体験をへて、「失われた十年」が続き、2011年には東日本大震災と福島の原発事故が起きた。天皇自身が退位を希望され、このように予告された形で時代の終わりを迎えるのも初めてだった。
 本書に収録されているのは、平成の間に雑誌「新潮」に掲載された短篇、エッセイの中から選んだ五十五篇である。
 昭和の文学史であれば、時代ごと、作風ごとにいくつかの「派」に分けて論じられただろう。だが、改めてここに収められた平成の短篇を読み、仮にも「〇〇派」などと名づけた分類を導入することは難しいと思った。
 バラバラなのである。読んでもらえばわかるが、一人一派と言いたくなるぐらい、作風も、社会に対するスタンスも異なっている。ファンタジーやSF的虚構を導入しているものもあれば、自伝的小説や私小説もある。さらに言えば、同じ一人の作家の中にもさまざまな試みがあって、一つの短篇が必ずしもその人を代表しない。分類は早々とあきらめた。
 収録作品の中に共通性を見つけるかわりに、違いを感じさせるものを挙げておきたい。
 たとえば河野多惠子「半所有者」と、村田沙耶香「生命式」。「半所有者」は夫婦間の屍姦を、「生命式」は人肉食を扱っている。ともに人間の禁忌とされる領域に踏み込みながら、リアリズム小説の「半所有者」が重々しく、ゆっくり踏み込んでいくのに対して、ディストピア小説である「生命式」は、初めから踏み越えた場所にいる。ルールの異なる場所で、人肉を素材にしたおいしそうな料理が気軽に供されるのである。
 どちらがより嫌悪を引き起こし、感情を揺さぶるか。同じ平成という時代に発表された作品ではあるけれども、「半所有者」と「生命式」の間には、大きな隔たりがある。「生命式」を、河野多惠子はどう読んだだろう、とも思う。
 車谷長吉「武蔵丸」と、田中慎弥「蛹」はともに川端賞受賞作であり、カブトムシを題材にしている。
「武蔵丸」のカブトムシは愛玩する対象で、「蛹」は地中にいるカブトムシの幼虫の視点で描かれている。手法も、視線の向きも、何もかも違っているが、鋭敏な感覚で外の世界と対峙してきた作家が、二人とも特別な思いでカブトムシを眺め、その結果、これほど異なる短篇が生まれたというのが何やらおかしい。
 長いようで短い、短いようで長かったこの時代を、よりすぐった短篇、エッセイを通して改めて肌で感じてほしい。

 (さくま・あやこ 文芸ジャーナリスト)

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