書評

2019年8月号掲載

自己の手前でAIを超える

片山恭一『世界の中心でAIをさけぶ』

片山恭一

対象書籍名:『世界の中心でAIをさけぶ』
対象著者:片山恭一
対象書籍ISBN:978-4-10-610821-1

 現在、「自己」と呼ばれているものは、遠からずAIによって簒奪(さんだつ)されてしまうだろう。医師や教師など、人間にしかできないと考えられてきた仕事の多くが、部分的あるいは全面的にAIに取って代わられる。画像認識などを含む認知能力にかんして、AIは人間よりもはるかにすぐれている。アマゾンのレコメンデーションなどを見ていると、将来は個人の好みや欲望も、自分よりアルゴリズムのほうがリアルタイムで的確に把握することになりそうだ。また心と身体の健康管理も医療用アルゴリズムに委ねるようになるだろう。
 映画『2001年宇宙の旅』では宇宙船に搭載されたコンピュータ(HAL9000)が異常をきたし、自分を停止させようとする乗員を排除してしまう。HALがクルーを殺すのは自己保存のためではない。ただ宇宙船を監視・管理するためのアルゴリズムに則(のっと)って動いているだけだ。接続を切られて停止すれば、HALはミッションを遂行できなくなる。「彼」は任務遂行を妨げようとするものを排除するのである。将来、AIはHALのようなものになるだろう。ぼくたちはAIに「自己」の監視・管理を委ねるようになる。この任務遂行を妨げようとするものをAIは排除する。たとえそれが「わたし」であろうとも。こうして「自己」と「わたし」は切り離される。「自己」から主体という意味は失われ、たんなるデータの寄せ集めにすぎなくなる。
 人間のなかにAIによって収奪されない部分はあるだろうか。ぼくはあると思う。一人ひとりの固有性をAIは奪うことができない。それはどのようなものか。たとえば「好き」がそうである。ぼくたちが誰かと出会い、恋に落ちることを解読するアルゴリズムは存在しえない。なぜなら「好き」という出来事は、「自己の手前」で起こっているからだ。アルゴリズムが行うのは最適なAとBのマッチングである。ところがぼくたちが人を好きになるとき、まず「好き」ということが起こって、そののち「好き」を介してAとBが、たとえばアキと朔太郎として実詞化されるのである。
 誰もが体験する「好き」という情動は「自己の手前」にある。だから昨日まで見ず知らずだった人を好きになったはずなのに、「出会う前から出会っていた」とか「生まれる前から知っていた」といった不思議な感覚にとらわれる。そして死んだあとも、「あの世で会おう」とか「また一緒になろう」とか、往生際の悪いことを口走ったりする。いずれも「自己の手前」が自己によって追憶されているのだ。
 そんなことをアメリカ西海岸の旅のなかで、キャンプをしたりワインを飲んだりしながら考えてみた。考えたことも考え尽くせなかったことも、この本のなかに記録されている。

 (かたやま・きょういち 作家)

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