書評

2019年8月号掲載

鈴木社長の“発酵人生”は挫折と再生の物語

鈴木成宗『発酵野郎! 世界一のビールを野生酵母でつくる

野田幾子

対象書籍名:『発酵野郎! 世界一のビールを野生酵母でつくる
対象著者:鈴木成宗
対象書籍ISBN:978-4-10-352741-1

 400年以上の歴史を持つ伊勢の餅屋の21代目社長、鈴木成宗さん。大学卒業後、餅屋の跡取りとしての責務を全うしながらも、97年に新しい事業を立ち上げた。クラフトビール(地ビール)の醸造・販売を行う「伊勢角屋麦酒」だ。「伊勢から世界へ」を合言葉にクオリティを高めてきた伊勢角屋麦酒のビールは、その言葉通り国際的なビアコンペティションで数々の賞を受賞するようになる。特に「ビール界のオスカー」を自認する英国のビアコンペティション「インターナショナル・ブルーイング・アワーズ(IBA)」では、フラッグシップの「伊勢角屋麦酒ペールエール」が、17年、19年と2大会連続の金賞を受賞するに至った。
 そんな鈴木社長の初の著書タイトルが『発酵野郎!』に決まったと耳にし、思わず吹き出してしまった。「物心ついたときからの酵母好き」を公言してはばからない鈴木社長にとって、この上なく名誉な(?)称号と思えたからだ。そんな微笑ましい気持ちで手にとった本書を、私は幾度も涙したり心躍らせたり、クラフトビールの魅力を伝える立場として背筋が伸びる思いをしつつ、夢中になって読み進めていった。
 鈴木社長は「酵母は生きもの、だからビールも生きもの」だと語る。酵母は麦汁に入れることで、麦芽糖やブドウ糖を取り込みアルコールと炭酸に分解する。実はこの分解時、酵母にとっては苦しくて仕方がないらしい。「酵母が呼吸することで酸素がなくなると、どうにかして生きていこうとして始めるのが発酵」なのだ。私たちは、酵母が必死に生き延びようとする副産物の恩恵にあずかっていたのか......。「ビールは酵母が環境に応じて淡々と生き方を変えた最終形態だと、私には映る」と鈴木社長は述べているが、私にはその酵母の姿と、鈴木社長が歯を食いしばりながら、不眠に悩まされながら、血尿を出しながらも、ほかの酵母(スタッフ)とともに伊勢角屋麦酒をもり立ててきた姿とが重なった。
 本書は、今年52歳になる鈴木社長の"発酵人生"をたどると同時に、ビールの醸造法、クオリティの高いビール造りの工夫、設備投資、人材育成、経営といった多角的観点から伊勢角屋麦酒の歩みが丁寧に説明されている。「ミスター自信家」を自認する鈴木社長だが、学生時代の空手で培った気合と根性だけで軌道に乗るほど、ビール事業は甘くなかった。数々の挫折や恩人からの叱責、改善を重ねるうちに「クラフトビール造りの醍醐味は何度でも失敗できること」に気がつく。大切なのは、多種多様なクラフトビールの自由さ、ビールが出来上がるまで最短でおよそ1ヶ月というスピード感に合わせた「P(計画)D(実行)C(評価)A(改善)」をいかに高速で回転させ経験値を重ねるか。特に国内においてのクラフトビールは、造り手の愛情や芸術的観点が注目されがちだが、鈴木社長は「ビールは科学的視点を持って再現性を高めることで、ある程度のレベルのものを造れるようになる」と繰り返し説く。
 同時に、米国やヨーロッパにおけるクラフトビールの歴史、情勢、トレンドのほか、国内クラフトビール業界の問題点や現状から、IT技術やAIの進化に伴い予測されるクラフトビールの未来といった内容も。クラフトビールのことを知りたい入門者が歴史や現状を知る資料としても大いに参考になるだろう。
 さて本書のタイトルにも登場する「野生酵母」とは、自然界で採取した酵母のこと。伊勢角屋麦酒の場合は、鈴木社長自らが伊勢市内の神社「倭姫宮」にある椎の木から採取した「KADOYA1」だ。甘いエステル香とスパイス香を持つこの酵母を使い、伊勢角屋麦酒は小麦を使った白ビール「ヒメホワイト」を生み出した。
 このように「国内で採取した酵母が『ジャパニーズスタイルビール』を生み出す大きな原動力になりうる」と私は考える。ホップでは、柑橘を思わせる華やかな香りのアメリカンホップが「アメリカンスタイル」を確立した。国内でも「日本らしさ」を醸すホップ開発が盛んだが、酵母からのアプローチは極めて少ない。世界でこぞって使われるような「ジャパニーズビール酵母」の誕生に、私は大きな期待を寄せている。本書でも、鈴木社長は蔵付き酵母を使った「ジャパニーズ・ランビック」や、酵母が醸す黒糖香を活かした「黒糖ビール」造りに意欲的だ。伊勢角屋麦酒が「伊勢から世界へ」ジャパニーズスタイルビールを発信するのも、そう遠い未来ではないだろう。

 (のだ・いくこ 日本ビアジャーナリスト協会副代表)

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