書評

2019年8月号掲載

思わず胸が熱くなるほど若だんなの成長が感じられるシリーズ第十八弾

畠中恵『てんげんつう』

末國善己

対象書籍名:『てんげんつう』
対象著者:畠中恵
対象書籍ISBN:978-4-10-146139-7

 畠中恵は、2001年、『しゃばけ』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞して小説家デビューした。
 日本橋にある廻船問屋(かいせんどんや)兼薬種(やくしゅ)問屋の大店(おおだな)・長崎屋(ながさきや)の跡取りで若だんなと呼ばれる一太郎は、生まれつき病弱なため過保護な手代(てだい)の佐助(さすけ)、仁吉(にきち)に守られていた。実は若だんな、齢(よわい)三千年の大妖(たいよう)おぎんの孫で、佐助と仁吉は犬神(いぬがみ)、白沢(はくたく)なる妖(あやかし)、いつも寝ている離れにも、屏風(びょうぶ)のぞき、鳴家(やなり)といった人ならざるモノたちが暮らしているのである。
 連続殺人事件に巻き込まれた若だんなが、妖たちを手足のように使って病床で謎を解く長編だった『しゃばけ』はすぐにシリーズ化され、第二弾『ぬしさまへ』以降は捕物帳の伝統といえる連作短編が中心になり現在に至っている。累計発行部数八四〇万部、ドラマ、漫画、舞台などでメディアミックス化され、2016年には吉川英治文庫賞の記念すべき第一回目を受賞した〈しゃばけ〉シリーズは、まさに国民的な作品といっても過言ではあるまい。
〈しゃばけ〉シリーズには、妖が実在することを前提にした特殊設定の謎解き、妖や神々が巻き起こす騒動を描くファンタジー、疲れた心を癒してくれる愛らしい妖たち、若だんなと佐助、仁吉との間にある兄弟愛的な感情、長崎屋の家族愛、若だんなと菓子屋の息子ながら餡(あん)作りが下手な栄吉との友情など、どのジャンルが好きでも楽しめる奥深さがある。その中でも最大の魅力は、トラブルを解決することで、若だんなが成長するプロセスだと考えている。
 粗暴だった男が、剣の修行で精神を高めようとする吉川英治『宮本武蔵』を持ち出すまでもなく、人間の成長を描く教養小説的な時代小説は珍しくない。ただその多くは、貧しく愚かな若者が、修行を積み、差別や偏見と戦いながら偉大な人物になるという展開になっている。ところが若だんなは、何不自由ない大金持ちの息子で、病弱ゆえに周囲から甘やかされているので、一般的な教養小説なら主人公をいじめる悪役にされかねない設定になっているのである。
 だが経済成長率が下がり、格差は広がっているが、まだ飢えるほどではない現代の日本で、貧しい若者が努力と忍耐でのし上がる物語にリアリティがあるだろうか。恵まれた境遇にいるが病弱ゆえに大店を継ぐことに不安を覚え、自分には何ができるか、どんな大人になるべきかを常に手探りしている若だんなは、生活に不安がなく自由に将来が選べるからこそ、逆に明確な目標を持てず迷っている現代の若い世代が共感しやすいキャラクターといえるだろう。
 人間の能力を超越した妖たちは、才能や努力ではどうしようもない時代の流れ、あるいは運不運の象徴にもなっている。試験で実力以上の力を発揮することもあれば、苦労して入った会社が倒産することもあるので、人の人生から運の要素は排除できない。それだけに、若だんなが妖たちの持ち込むトラブルに翻弄されながらも懸命に人生を切り開く物語は、ファンタジーの要素を大胆に導入したからこそ、誰もが身近に感じられるようになっているのである。
〈しゃばけ〉シリーズには、収録作の短編がゆるやかに繋がる作品も多い。仁吉と天狗の姫の結婚を回避するため薬祖神二柱が落とした神薬を探す「てんぐさらい」、狐に呪いをかけられたという僧を救う方法を考える「たたりづき」、栄吉と札差白柳屋の縁談話が、白柳屋と不仲な同業者・黒松屋との争いへと発展する「恋の闇」、猫又から千里眼の力をもらった男が助けを求めてくる表題作、若だんなの婚約者於りんが大量の毛虫にたかられる「くりかえし」の五作を収録した第十八弾『てんげんつう』も、若だんなが大切な人を守れるのかが共通のテーマになっている。
 ネットにあふれる誹謗中傷を彷彿させる呪いが出てくる「たたりづき」、優れた資質は人を幸福にするのかを問う「てんげんつう」、現代の企業でも進むある見直しが事件を引き起こす「くりかえし」など、作中には現代の社会問題が織り込まれていた。本書は、守られる立場だった若だんなが、誰も不幸にならない解決の道筋を見つけることで大切な人々を守ろうとする意味でも、普遍的な闇と向き合い、そこに捕らわれない方法、抜け出す手順を読者に示す意味でも、著しい成長が感じられるはずだ。ファンなら思わず涙するほどの感動をより深く味わうためにも、初めてシリーズに接する方は最初から読むことをお勧めしたい。

 (すえくに・よしみ 文芸評論家)

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