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インタビュー

『今昔百鬼拾遺 天狗』刊行記念

天狗 驕り高ぶる者

インタビュー・京極夏彦

 取材・文 朝宮運河

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――新潮文庫より『今昔百鬼拾遺(こんじゃくひゃっきしゅうい) 天狗』が発売されました。講談社タイガ、角川文庫と三文庫レーベル横断で連続刊行された新シリーズ「今昔百鬼拾遺」の第三弾です。このシリーズの企画はかなり早くからあったそうですね。

京極 ありましたね。僕にはデビュー作から続く「百鬼夜行シリーズ」と呼ばれる長編作品群があるんですが、そのスピンオフ的な位置づけになる短編連作として、「百鬼夜行」「百器徒然袋(つれづれぶくろ)」「今昔続百鬼」の三シリーズがあります。これらはすべて鳥山石燕(とりやませきえん)(編注・江戸時代の絵師。妖怪画で知られる)の四つの画集からタイトルを借りたもので、つまり一つ残っていたんですよ。「今昔百鬼拾遺」の企画を考えたのは「百器徒然袋」より先だったので、二十年近く前ですね。

――そんなに早くからアイデアがありながら、発表が今日になったのはなぜですか。

京極 そんなのより他のもんを書けと(笑)。長編優先。版元ごとにシリーズを固定していたので、他社では書けなかったんです。企画当初は『魍魎(もうりょう)の匣(はこ)』という長編に出てくる女学生二人が学園で起きる事件を解決するというミステリの予定だったんですが、二人とも作中で死んでしまうから(笑)、作中時系列的には『魍魎の匣』の前のお話でした。今さらそれを書くことになったのは、詳しい経緯を説明するとややこしいんですが、昨年僕の新刊が講談社とKADOKAWAと新潮社から、ほぼ同時に刊行されるという暴挙があって(笑)。その全巻購入者特典として、短編を一本書くことになって、いやはや困ったなあと。そこで棚に上げていた「今昔百鬼拾遺」を思い出したんですね。

――それがシリーズ第一弾として刊行された『今昔百鬼拾遺 鬼』(講談社タイガ)ですね。ストーリーなどは当初のアイデア通りなのでしょうか。

京極 小説の骨格やミステリ的な趣向については当初決めた通りですね。変えたのは視点人物となる二人のキャラクターと、扱う「妖怪」ですね。僕はできるだけシステマティックな作業を心掛けているので、そのへんは置換可能な要素なんです。もともとはもっとヘンテコなお化けを取り上げる予定だったんですが、「三社の新刊の内容にリンクした小説」という理不尽な要求をされたものですから(笑)、さすがにそんなオファーにぴったりのお化けは思いつかず、カバーできる範囲が広い鬼を採用しました。

――昭和二十九年、科学雑誌記者の中禅寺敦子と、十五歳の女学生・呉(くれ)美由紀が様々な事件に遭遇する、というのが「今昔百鬼拾遺」シリーズ。聡明で合理的な敦子は、ミステリの主人公にはぴったりですね。

京極 それがそうでもないんですよ。敦子は正確さに固執するあまり、ここぞという時の決断力に欠けます。確証がなければ動けないし、自分の主張を押しつけることもしない。長編シリーズに出てくる兄貴の中禅寺秋彦のように、狡猾(こうかつ)で老獪(ろうかい)な駆け引きができるわけでもありません。公平さが弱点になるわけで、むしろ探偵役には不向きなキャラクターだと思いますね。

――そんな敦子とコンビを組む美由紀は、まっすぐな感性と価値観の持ち主。

京極 敦子は「面白くない」人なので、破壊力のあるキャラクターと組ませないと、謎は解明されても解決感がないんです。そこで『絡新婦(じょろうぐも)の理(ことわり)』という長編に登場した美由紀が生き残っていることを思い出しました。無鉄砲だけど正義感はある、幼いながら判断力や行動力はある。敦子に欠けている部分を持っているんですね。そうしたキャラクターを原動力にして知性的な協力者が謎を解くというパターンが多いんでしょうけど、それだとあんまりスッとしないから、あんまりものを考えてない娘がキレて、感情的に収拾したほうがいいかなと。

――『鬼』で昭和の辻斬り事件に、シリーズ第二弾の『河童』で連続水死事件に遭遇した敦子と美由紀ですが、『天狗』では高尾山で起こった女性失踪事件に関わることになります。

京極 僕の小説はよく妖怪小説だと言われるんですが、お化けそのものが出てくることはないんです。読み終えた後になんとなくお化けのことが分かった気になったり、お化けの感じが伝わったりすればいいと考えて作っています。そのためにはお化けを構成する要素を満遍なく作中にちりばめる必要がある。天狗を構成する要素は実に多いんですが、そのひとつに「天狗さらい」がある。要するに行方不明者、失踪人が出た場合の理由として天狗は使われていたわけですね。まあ、山人なんかと違って、天狗がさらうのは少年が多いんですが、今回は女性にしました。

――失踪者の友人・篠村美弥(しのむらみやこ)から事件について知らされた美由紀は、ともに捜索に向かいます。美弥子は生粋のお嬢様でありながら、権威主義的な言動が大嫌い。美由紀相手にとうとうと自説をまくし立てる、かなり強烈なキャラクターです。

京極 天狗といえば修験道だとか山岳仏教だとか、そういう側面ばかり語られがちなんですが、天狗が成立していく過程を俯瞰(ふかん)すると、マチズモ的な背景が透けて見えたりするんですね。少年ばかりさらうわけだし、現代の状況を鑑みるにLGBTの問題も避けて通れないかなと。ただ、エンタテインメント小説で簡単にケリをつけていい問題じゃないですし、考え方はいろいろあるでしょう。多方面に配慮する敦子には結論めいたものは出せないし、美由紀には荷が重い話です。と、いうわけで「百器徒然袋 鳴釜(なりかま)」に登場した篠村美弥子を再登場させました。才媛ですが、かなりの烈女ですね。

――失踪事件の真相を追う敦子たちは、そのほぼ同時期に高尾山中で女性の自殺死体が発見されていたことを知ります。亡くなった天津敏子(あまつとしこ)という女性は旧家の娘で、同性愛者であることを家族に否定されていました。旧弊な価値観に凝り固まった天津家と、敦子たちは対峙することになります。

京極 天狗は信仰の対象でもありますが、信仰をさまたげる魔縁でもあります。上田秋成(うえだあきなり)の『雨月(うげつ)物語』に出てくる崇徳(すとく)上皇なんかは天狗になぞらえられることもありますが、激しく恨んでるわけです。いずれにしても権力や権威との関係性がこじれてる(笑)。で、まあたいがい威張ってるものなんです。ミソジニストのみなさんの態度や言説は、どうもこじれた天狗に重なるところがありますね。

――亡くなった敏子の家族は、同性愛者への差別意識を隠しません。それは昨今のLGBTを巡る状況とも通じ合っているように思われます。時事性はどの程度意識されているのでしょうか。

京極 小説の骨格は二十年も前に作ったものですからね。時事問題はほとんど意識していませんね。連載中は世間がLGBT騒動で揺れていたので、そう受け取った読者も多かったのかもしれませんが。前述の『絡新婦の理』や「鳴釜」でも、ジェンダーやフェミニズムの問題を主要なモチーフにしていたわけですが、書いたのは二十世紀ですからね。流行じゃなく、普遍的に考えるべき問題だとも思いますし。作中に「生産性云々」みたいなくだりもありますが、それも多分偶然ですよ。

――やりきれない現実に直面した美由紀が、思いの丈を口にするクライマックスが印象的でした。

京極 出口の見えにくいモチーフを扱った小説には、敦子のような配慮や公平性は必要だと思うんですね。小説は読者の娯楽であって作者の主張じゃないと考えますし。押し付けはいけませんよね。でも、それだけではやっぱり物語は収束していかない。とはいえ謎解きより十五歳の少女がキレることのほうが破壊力があるって、ミステリとしてはどうかと思いますが(笑)。

――ところで「今昔百鬼拾遺シリーズ」で扱われているのは、鬼・河童・天狗。日本人なら誰でも知っている超メジャーな妖怪ばかりですね。

京極 一作目が鬼だったので、粒の大きさを揃えてみました。メジャーだから書きやすいということはまったくないですね。むしろ拾うべきポイントが多すぎて、本気で扱うとするととんでもなく分厚い本になってしまう。今回は連作短編なので、メジャーな妖怪のある一部分のみを切り出して作品にした、という感じです。各章の冒頭が、鬼は恐ろしい、河童は下品、天狗は高慢と、それぞれのお化けを象徴する単語になってます。忙しい方は、冒頭の一行だけ読んでいただければ大体わかります(笑)。

――『天狗』は四百ページ近いボリュームですが、それでも短編シリーズという扱いなのですか。

京極 普通、この長さを短編とは言わないんでしょうね。出版社も長編だと謳っていますし。ただ僕の個人的な基準で言うと、これはやっぱり短編ですね。すごく長い短編(笑)。長編の「百鬼夜行シリーズ」は複数のプロットを立体的に組み上げるスタイルで作っているんですが、このシリーズは構造的にシンプルなので、短編ですね。

――テイストの異なる『鬼』『河童』『天狗』。三冊まとめて読むと、また違った読後感がありそうですね。

京極 まとめて読んで、特別何かが見えてくるタイプの連作ではありませんね。三作に共通して言えるのは昭和二十年代後半が舞台というだけです。古びた駄菓子屋に腰掛けて敦子たちと蜜柑水(みかんすい)を飲んでいるような気持ちになってもらえたら、それでいいです。若い人たちには馴染みのない世界かもしれませんが、小汚くて、不健康で、安っぽくて、駄目な感じのするものも悪くはないですよ。

――「百鬼夜行」ワールド全体としても、七年ぶりの新作ということになります。久しぶりに手がけてみていかがでしたか。

京極 僕は一切メモしないし、覚え書きも作らない困った性質なんですが、先日やむを得ない事情があって他シリーズも含む全作品の作中年表を作成してみたんです。なんと二百三十年にわたる年表になっちゃった。でも前後関係に目立った矛盾はありませんでした。行き当たりばったりでもなんとかなるものだなと(笑)。「百鬼夜行シリーズ」は昭和二十九年秋まで時代が進んできました。高度経済成長期も目の前。もし三十年代に突入したら、雰囲気も変わらざるを得ないと思いますけどね。

――となると、気になるのが今後の展開ですね。「百鬼夜行シリーズ」の長編の予定はあるのか、「今昔百鬼拾遺」シリーズは今後どうなっていくのか。最後にそれを教えてください。

京極 先のことはわかりません。需要があって、依頼があって、余裕があって、体力があれば書きますが、ミステリは書いていて疲れますからね。もう頭も体も年寄なんですから、できれば楽をして暮らしたいと切に願いますが、なかなか許してもらえないですよ。「今昔百鬼拾遺」のような短編シリーズは比較的短時間で書けますし、駄菓子屋が気に入ってもいるので、お声がかかってタイミングが合えばまた書くかもしれませんね。とりあえず『鬼』『河童』『天狗』の三冊を楽しんでもらえれば幸いです。珍しいことに僕の本にしては薄くて、持ち運びしやすいですから(笑)。

 (きょうごく・なつひこ 小説家)
 (あさみや・うんが ライター)

京極夏彦『今昔百鬼拾遺 天狗』(新潮文庫)978-4-10-135353-1