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書評・エッセイ

底流にある兵士たちへの慈しみ

――伊藤桂一『兵隊たちの陸軍史』(新潮選書)

笹幸恵

『兵隊たちの陸軍史』は、私にとって「発見の書」と言っていい。自身も従軍経験を持つ伊藤桂一氏は、『悲しき戦記』や『かかる軍人ありき』といった著作で、戦争の実相を通して人間そのものを描いた。
 単に「戦争は悲惨だ」という側面にとどまらない。軍隊生活で生まれ得る一片の喜び、希望、安らぎ、敵味方ではなく、人として不思議と通い合う情......。主役は無機質な記号としての兵士ではなく生身の人間で、そこには常に静かな悲しみが横たわっている。まさに「伊藤文学」の神髄だ。
 そうした彼らの味わい深い人間味に触れつつ、陸軍の制度や内務班の実態、明治時代から始まる戦闘の歴史を詳らかにしているのが『兵隊たちの陸軍史』である。
 過去の戦争で何があったのかを知りたいと思い続けていた私は、十年ほど前に初めて本書を手に取り、急に視界が広がったような感じを覚えた。郷土部隊のそれぞれの特性や兵団文字符(各兵団の秘匿名)、あるいは「部隊」という呼称が使われるのは大隊以上、同じ兵でも一等兵と上等兵では大きな開きがある等、細かいことだが、軍隊や兵士の姿を身近に引き寄せて考えるために必要な知識や理解すべき時代背景がそこに記されていたからだ。本書は「発見の書」であると同時に「救いの書」でもあった。軍隊の内実や用語の微妙なニュアンスなど、経験者にとっては自明であるがゆえに記されなかった情報が満載なのである。
 戦後生まれが持つ固定概念や先入観を大きく揺さぶってくるのも本書の醍醐味だ。たとえば戦争が長期化すればするほど兵士の望郷の念もさぞ強くなると思いがちだが、実際は違う。「兵隊が戦場生活を六年七年とやってくれば、家郷や肉親知己を恋うような甘い感情は消失する」と伊藤氏は書く。
「彼が考えるのは、できるだけいい死場所で、いい死に方をしたい、ということである。その思想に徹することによってのみ、日々を生きる活力が生まれるのである」
 私はこの一文を、何人もの兵士に会って話を聞いていくうち、つくづく思い知らされた。なるほど平和な時代しか知らない人間の、なんと甘ったるい感傷であったことだろう。
 初年兵に対する私的制裁やシゴキも同様だ。その凄まじさを知れば知るほど「初年兵教育=陰惨」というイメージが強くなり、思わず目をそらしたくなる。伊藤氏自身、「鬱滞したエネルギーの発散」「人間性の蹂躪であることはたしか」としつつ、しかし一方でこうも書いている。
「いじめられて鍛え上げられた兵隊は、耐久力があって敏感で、戦場へ出たとき境遇に早く馴れる。ということは、死ぬ率が少なくなるのである。これだけははっきりしている」
 こうなると何が兵士のために良いのか一概には言えなくなってくる。ただ、平和な時代には想像し得ない苛酷なリアリズムが厳然としてあることは確かだ。
 軍隊は人間社会の縮図である。あまりにも複雑で混沌としている。本書はそれを現代の価値観で断罪するのではなく、複雑なまま理解することを私たちに求める。そこに少しも押しつけがましさや堅苦しさを感じないのは、人間に対する深い洞察力と、兵士たちへの慈しみが伊藤氏の文章の底流にあるからだろう。氏はまた、こうも綴っている。
「久しきにわたる戦争、それも悲惨な様相を深めるだけだった戦場生活、それに敗戦、さらに戦後の連合軍管理における生活等、さまざまのきびしい現実にうちのめされ、ここに戦場体験者は、その体験を、語ろうにも語れず、語っても理解されず、またそれをきこうともされない、という相互の断絶のままに、戦場と内地との、それぞれの歴史は乖離してしまった。不可抗力であったとはいえ、民族にとっては不幸である」
 伊藤氏の執筆の動機は、この一文に集約されているように思う。戦場と内地だけではない、今や戦中と戦後の歴史が乖離して久しい。それはやはり私たちの今、そして未来にとって不幸である。
 絶版となっていた『兵隊たちの陸軍史』が、このたび新潮選書で復刊する。戦史を研究する者だけでなく、不条理な死から遠ざけられ、その悲しみを知らない戦後生まれと、戦争の時代を生きた人々の断絶を埋める書として、本書が永く読み継がれていくことを願ってやまない。

 (ささ・ゆきえ ジャーナリスト)

伊藤桂一『兵隊たちの陸軍史』(新潮選書)978-4-10-603838-9