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対談・鼎談

土井善晴、連載「おいしく、生きる」キックオフ!!

養老孟司さんと語る「料理をする人、食べる人」

お待たせしました!『一汁一菜でよいという提案』から2年。その反響も含め
て、この間に考えていたこと、せねばならないと思うこと、皆さんに提案して
いきたいこと……料理研究家の土井善晴さんが、本誌でお伝えしていきます。
「最近影響を受けた」という養老孟司さんとの対談から、始めましょう。

土井善晴 × 養老孟司

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Photo/伊藤弥寿彦

土井 初めてお目にかかった昨秋、箱根の「バカハウス」という、馬と鹿の絵が描かれた博物館兼別荘で先生と交わした言葉が印象に残っていました。その後に出された『遺言。』(新潮新書)を読んだら、すべての人の根っこに向けて肥やしになることがあって、もう私は、なんべん読んだか、わからないのです。それでお手紙を書いて、今日につながりました。

養老 料理はやりませんけど、でも僅かに作れるんですよ。例えば麺が好きなので、暑くなるとたいてい素麺、つゆぐらいは自分でね。

土井 自分で作ったらおいしいと思います。初めてお会いしたときに、先生は私の顔を見て「僕は食べるものに興味はないよ」と、すぐにおっしゃった。逆に私は「わかってくださってるな」という気がしましてね。「あそこのレストランがおいしいよ」と話すばかりのいわゆる「グルメ」かと、私に牽制球を投げられた。だからこそお話ししたいと思ったんです。

これだけ食べといたらええ

養老 私は昭和12年(1937)生まれで、戦争が始まったのが昭和16年、4歳の時でね。すぐにものが不自由になってきて、若い方はわからないでしょうけれど、食料難です。これが、ほんっとうに食べ物がないんです。なんでそんなことになったのか、少しお考えいただくとわかる。戦況が悪化したからです。
 当時の戦争はすでに経済戦争で、国民総動員。まずモノがすべて軍に行ってしまった。もう一つは、流通の断絶です。海上輸送は徐々に、国内も空襲でダメになりました。この物流の問題は現代生活でも変わっていませんね。流通が止まることを想定しない暮らしをしているから。
 地震や大雨で道路が寸断されてトラックが動かないのは、空襲でやられて交通がダメになった戦時と同じです。産地に食べ物があっても消費地に回ってこない可能性は、今も十分にある。原発の多くが止まっている今は、石油が切れると電気が切れ、同時に車は動かず、日本はやはり食料難になります。

土井 そういうことは考えたこともなかったです。でも、この頃の異常気象を経験すると、現実感があります。

養老 そもそも私は「おふくろの味」と言われてもピンとこなくてね。母は開業医で忙しかった上に料理を一切しない人でしたから記憶に残るは食料難のみ、食べるものがあればいいという世代です。やたらと食べたのはカボチャとサツマイモでね、その後はお菓子になろうとなんだろうと、もう何生分かを過去に食べたので、甘いくらいじゃ騙されませんよ。

土井 実は「おふくろの味」というのは私の父が作った言葉なんです。食べられない時代があったからこそかと思います。甘いもんはお好きやと思ってましたけれども、カボチャはダメですか。

養老 いただいたおはぎは別ですよ。
 戦後は、私の育ち盛りの時期と一致し、猛烈な勢いで食べ物が復活しました。学生の頃に発売されたチキンラーメンを、あまりの美味しさに7つ一気に食べた記憶があります。要するに、味覚が非常に下等にできておりまして、高級なものを食べた憶えがない。だから、今日は手作りのおはぎをごちそうになったから、いま大変機嫌がいいんですよ(笑)。

土井 昨秋は、栗あんのからみ餅でした。その時喜んでいただいたんで、今日はおはぎ。粒あんときな粉と青のり、3つ召し上がっていただき、内心「やった!」と思いました。先日、海外旅行でのホテルの朝食のお話もされていましたね。

養老 あれね、一流のホテルほど観光客向けに欧米型のコンチネンタル・ブレックファストを出しますが、所詮借り物だからおいしくない。ブータンでも同じことがあったから、オーナーの気のいい女性に「いつもあなたが食べているのを出してよ」と頼んだら、中華風の粥が出てきた。これがおいしくて、飽きずに食べられました。地元の人が食べているものって飽きないんですね。

土井 ふだん好んで食べているものこそが、食文化で本物ですね。地方に行きますと、自分が作ったものなんて、お客に食べさせられないと隠すんです、それが本物で美味しいのに。世界中どんな民族にも「これだけ食べといたらええ」いう食べ物があると思います。日本の場合は、味噌汁にご飯、漬物、ヨーロッパでもワインにチーズにパンで、だいたいが発酵食品ですね。そういったものの美味しさは人間業じゃないですから、まちがいない。味噌にしても、漬物にしても、微生物が一つの生態系を作ってビタミンやミネラルを産生して、つくっているので、上手下手なく無条件でおいしいんです。
 ただ、本来は人間の自由にならないはずが、このごろはお酒づくりでさえコンピューター制御になり、管理され過ぎています。どこの蔵も一様においしいお酒ができるようになった一方で、昔ながらの普通のお酒や、その蔵元ならではの"とてもおいしいお酒"もできなくなってきているんです。

国際化する身体(からだ)

養老 そもそも日本の食料事情が変わってきましたね。グルメなんて言い出したのはいつ頃ですか?

土井 言葉としては20年以上前からありましたが、ミシュランガイドができた10年くらい前から年齢層が若い人に広がって加速したように思います。さらに、外食がインターネットと結んでもっと若い人まで降りてきた。ネットのガイドを頼りに食べに行くようになったんですね。
 以前は、家族が旅行していても、お父さんが鼻を利かして「この店おいしそうだから入ってみよう」と店を選んだものです。今ではそんな「鼻が利く」なんてこと自体言わないでしょうね。最近は「この店はどこで調べたの?」と聞けば「食べログに書いてあったから」「ふーん、おいしいの?」「うん、書いてあるし」と食べながら話しているという感じでしょう。お店を自分の直感で選ぶのは楽しいものですけど、それが現実かもしれません。

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養老 わかる人はわかっていると思いますけど、多くの人をどうネットで動かすかというトライアルは、だいぶん前から世界中でやっていますね。
 大人数を対象にしつつ、個別に、全体を上手に動かす。これは考えによっては民主主義です。例えば、ネットのニュースは、見る人が多いものから順に選んで載せていく。その人が何を見るかによって今度はジャンルや内容が調整されるので、興味のないニュースは当然落としてくれます。アマゾンで本を買うと、過去に買ったタイプの本を勧めてくるのと同じです。見たいニュースをどんどん出してきてくれて、普段見ない傾向のニュースは落とす。政治運動でも同じで多くの人を対象にして全体を上手に動かす、新たなネットのポピュリズムですね。

土井 知らぬ間にコントロールされている、鼻を利かす以前に、目の前の選択がすでに限られているわけですか。

養老 そう、食べ物でも同じことで、「その人の求めるかたち」が提供されると、特定の食べ物や店に集中しやすいのかもしれません。

土井 食べ物の好みが皆同じになるとは思いませんが、外食となると、みんなの"おいしい"が同じになってきているということでしょうか。昨日と今日とでは気分が違うし、本来食べ物は季節も気分も合わせてもっと多様だと思うんですが、今は用途とジャンルに分けられていて、一番は値段で区別されているんですね。

養老 人の卵を見たことはありますか。

土井 『遺言。』で読みましたが、ぽちっと、とても小さいんですよね。

養老 受精卵の直径は0・2ミリです、憶えておられますか(笑)。いま体重が50キロ、60キロとして、増えた分がどこからきたかといえば、全部食べ物です。だから、食べることは一番の基本だと私は申し上げたい。0・2ミリを50キロにする、身体(からだ)をつくり出す大事なことです。

土井 人間はその食べたものでできているんだというのは理屈ではわかりますが、実感として持ちにくいことです。

養老 あそこの稲が育ち米になってそれを食べたら、あなたの身体になる。それなら田畑や海は将来のあなたではないのか。私は私、田んぼや畑と何の関係もないと思っている人が多いけれど、私たちの身体は田畑でできている。「私の身体は私のもの」と思うのは、恐ろしいことですよ。

土井 現代人が自然と共感できにくくなっていますね。料理を作る食材があることまではわかりやすいですが、その食材が田畑にあることが感じられない。自然と共感できていない。だから自分で料理することが大事です。きれいな空気、きれいな水という環境も大切ですが、実際には食べ物という環境が一番自分の健康に影響を与えるものですけど......。

養老 「環境」という言葉は要注意でね、なぜかって、環境とは自分を取り巻くもので、自分が先に立ってしまうから。環境は自分の外にあり、自分を含まない無関係なものになってしまうから。

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土井 確かに環境というと受け身になって自由にならないもの。だから、意識にのぼらないのでしょうか。

養老 肺の中には必ず空気が入っています。その空気は誰のものでしょう。お腹の細菌は100兆と言われており、人は、大量の細菌を抱えています。除菌グッズが流行っているけれど、やるなら部屋よりもお腹の除菌をしないと。

土井 どこまでが自分なのか、ですね。

養老 最近では流通が非常に発達していて、スーパーに行くと南アフリカ産のグレープフルーツ、ニュージーランド産のキウイと様々で、私たちの身体はもうすでに多国籍です。ただし、さっき言ったように流通が切れたら全部あっという間にアウト。東京都の食料自給率は1%で、孤立したら終わりです。
 田んぼが地続きなのと同様に、流通に頼っていることも普段は意識していません。逆に言うと、流通が支配しているとも言えるんです。そこが切れたらどうしようもないんですから。
 そんな危ない生活をしていない人は誰かといえば、田舎で百姓をやっている人ですよ。流通が切れても問題なく、自分の食い物を自分のところでつくる人です。多くの都会の人たちは、他の人に食べさせてもらっているんですね。それがいけないのではないけれど、自分がそういう状況にあることは知ってないといけない。そしていざというときはそこに帰って百姓をやるくらいの「セーフティーネット」があるといい。みんなで「DASH村」をやるといい。

「つくる人」の絶望

養老 さっき少しおはぎを食べ過ぎたなあと思っています。1個多かった。

土井 (笑)。お腹の調子がいいか悪いか、自分で見つめて、自分で感じることは大事ですね。身体は知っていて、それこそ昔ながらの一汁一菜を食べていると、食後の心地よさや、身体がきれいになったような食後感があると思うのです。自分自身を見つめることこそ健康管理ですね。

養老 根本は、それしかないでしょう。

土井 学生が放置しておいた豆腐を食べて、「変な味がしたけれど、賞味期限が明日までだから安心して食べた」というんです。自分で感じることをしないのか、できないのか、わからないですけど、自分の感性よりも、情報を優先させるんです。先日、食品衛生学の藤井建夫先生に「腐敗と発酵は何を基準に線引きされているのか」と伺ったのですが、「それは人間が、いいと感じれば発酵で、ダメだと感じれば腐敗だ」と、特別な計測法はなく、人間が決めるんだっておっしゃった。

養老 そうですね。典型的な例が「賞味期限」です。「うちには賞味期限を測る機械が1台置いてあるから」と言う人がいて、誰かというと、おばあちゃん。おばあちゃんが食べて大丈夫なら安心(笑)。

土井 それはその通りですわ(笑)。発酵食品と腐敗したものの違いをどこで測るかと言ったら、それこそおいしいかまずいか、心地よいか悪いかだけの違いです。それはどんな機材をもっても測れない。腐っているか発酵しているかは、人間が決めることなんです。

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土井さんお手製のおはぎ

養老 『日本農業への正しい絶望法』(新潮新書)という、島根の農家のご出身で明治学院大学教授の神門善久さんの本があります。何に絶望するかというと、一つに、農家が一生懸命に理想的だと信じるお米をつくっても、消費者がいまや味がわからないということに対してです。

土井 いい仕事をされているなあと思うものほど、理解する人が少なくなってきているように感じます。

養老 つくる方が一生懸命でも、食べる方にその感覚が消えてしまっていると、もうどうしようもない。
 うちの飼いネコの「まる」はマヨネーズが大好きなんです。ただし、どんなマヨネーズでも食べるわけではない。親切な方がキユーピーの高級マヨネーズをくださったのでそれをやったら、食べないわけ、ブランドが違うみたいで(笑)。

土井 うちのネコもそうでした。父が持ち帰るボイルした鯛や白身の魚が大好きで、うちのネコは味がわかると、なぜか父は自慢していました。

養老 前のネコは、羊羹を食べる癖があって、しかも虎屋のしか食べないんです。昔、本郷三丁目に「藤むら」という漱石の本に書いてあるような有名な和菓子屋さんがあって、これならと思って買ってきたら全然食べない。動物にははっきりした味の好みが、最初からありまして。まさかそこまで食の範囲の狭い人はいないと思いますが、ある程度は人によっても幅があるのではないでしょうかね。

土井 養老先生は、おいしいものとそうではないものとを、きちんと区別できてはると確信しています。余計なものや怪しいものを見分けて判断されている(笑)。それは絶対わかるんです。

養老 そうですね。最近、ネコに近くなってきたし(笑)、無闇に食べなくとも大丈夫だという年になってきましたし。
 実は昨日、福井県敦賀におりまして、舞鶴の砲台跡を経て中池見湿地を天気がよかったのでぐるぐる回って、それで特急に乗って米原から新幹線に乗り継いで帰ってきました。もう、お腹が空いてたまらなくて新横浜で降りて、駅ビルで入口のおばさんに呼び込まれて、そばとミニ天丼を食べたら、おいしかった!

土井 それはおいしかったでしょう。

養老 夜にごちそうになるときは、私はたいていお昼を抜くんです。その方がおいしい。1日2食でいいですね。

土井 先日ご一緒させていただいた時もおいしそうに召し上がられていました。家庭料理でいう「食事」は「料理して食べる」ことなのに、この頃は「料理する」がなくても、「食事」になっています。
 実際に『広辞苑』で「食事」と引くと、「生存に必要な栄養分をとるために、毎日の習慣として物を食べること」としか書いてない。でも実際には「料理をする」という行為なくしてお料理が目の前に現れるはずがない。だから料理することなくして「食事」はないのです。買ってきた食べ物と家族が料理したものでは、まったく違うもので、それは、おいしさ以前の問題です。何ごとにおいても便利な世の中になって、余計にお料理をすることがなくなってきたように思います。

養老 少し前に稲垣えみ子さんという、電化製品を徐々に使わなくしているというアフロヘアの方とお話して、やはり似たようなことをおっしゃっていました。電化製品、掃除機を使わなくなって、その代わりに、ほうきとちりとりを使う。
 そうしたらなんと、若い時から掃除嫌いでお母さんに怒られていたのが、だんだん好きになり「掃除がいま大好き」だと。身体を動かして仕事をするのは実は非常に楽しい。そういうものなんですね。
 だから、私が料理をやらないのは凝り性だからなんです。いったん入れ込んで始めると絶対好きになる。そうすると無理やり女房に「これを食え」とか言ってもめる原因になる(笑)。その代わりどこで凝るかというと、虫の標本をつくるとか、そういうところ。だって、手作業はやっていると楽しいんです。時間が経つのなんて気づかない。目がしょぼしょぼして腰が痛くなって肩が凝っても、そんなの自分が下手なんだからしようがない。
 どれくらい面白いかというと、知り合いの30代が、親の代からきちんとした会社に勤めていたのを辞めちゃった。何をしているって虫の標本をつくっているんです。どうなるかと思ったら、いまは中国人の石炭王のドラ息子の集めた虫の標本をつくっているらしく、普通の給料は全然入らなくなっても、「楽しい。生きがいがある」と言っています。
 身体を使う作業はバカにできませんよ。

身に付くことをしよう

養老 知り合いに変な人が多いのですが、だいたい身体を使っています。例えば武道なんて今更で、棒きれで人をぶん殴ってどうするんだよって感じだけれど、身体作法という観点で突き詰めると面白い。

土井 料理の仕事は手を動かさないと、何のひらめきもないんです。手を動かしていると、いろいろと思いつくんです。

養老 意識は手前勝手で、自分が身体を支配していると思っているんです。目が覚めるときに、起きようと思って起きていますか。勝手に目が覚めるし、寝るときは、ひとりでに寝る。意識をなくそうと頑張ったら絶対眠れません。疲れたらあっという間に寝ていますよ。
 意識に自主性はないのに、どうしてそれが自分を動かしていると思うのか。人間はいろんな錯覚を持ちますが、実は身体が先に動いているんです。

土井 器を見ていても、作為のあるなしが言われるように、料理も同じで、意識して盛り付けようと思うと、うまくいかないことが多い。できるだけ自然に作為のないように心がけています。そんなこともあってか、自分の脳みそで考えたことをあんまり信用してはいけないぞと思っているんです。
 先生の本にもありましたが、例えば水を飲みたいと意識的に飲もうとしてから手を動かすのではなくて、意識する0・5秒前に、脳はすでに動き始めているんですね。何か危ないと意識で思って逃げるのではなく、それ以前にすでに行動を起こしている、そういうことでしょう?

養老 そうです。

土井 それは意識ではなく身体が、とは言っても脳も身体ですね。考えているということではなく、脳という身体が反応しているということなんですね。
 盛り付けだけでなく、料理の撮影で、器を五つ六つ取り合わせて並べる際に、赤いの黄色いのと質感の違う器を、意識してきれいに並べようとすると、うまくいかない。あと5ミリ右、時計回りに動かして、なんてやりだすと全然だめです。
 梅原龍三郎が、毎朝花瓶に生けた薔薇を持ってこさせて絵を描いたそうですが、きちんと正面を向けておかれると、全然面白くない、だから、いつも後ろ前を逆さまにして描いたらしいのです。きれいでも、わざとらしさが見えるのは、だめなんですね。ですから、いかに意識を働かせないかの工夫をするんです。

養老 なるほどね。私の家内がお茶をやるんですけど、お茶が好きでね。19歳ぐらいのときに自分でお点前をやって礼をして終わった時に記憶が一切なかったそうです。完全に自動的に動いていた。

土井 間違わないようになんて思っているうちはだめですね。

養老 本当に身に付くと無意識に動けるようになっていくんですね。いまおっしゃってくださったことが、それに近いことで、意識ではなく動くというのは、実はそういうこと。それが「型」にもなる。それを頭で理解するとカチンカチンの軍隊の「気をつけ」になってしまう。身体の型というのは、ひとりでに、何度も繰り返すことで、いつの間にか完全に習熟されていて、まったく無駄がなく合理的に動かしてくれる。動いたという意識すらなくなるから記憶がないんでしょう。

土井 それは、偶然を取り込む人間の能力とも言えそうです。イチロー選手のように「ここぞ」というとき打つ人も、まぐれではもちろんない。
 岩手県の一戸に戸部定美さんという方がいらして、子どものころにお父さんについて、箕(み)をつくっていた。箕というのは、ゴミを落としつつ穀類を振り分ける、木の皮を編んで作る美しい農機具です。
 彼は父親の手伝いで、素材集めから山を歩いて、子どものころに2つほど小さな箕をつくったことがあった。
 高校を出て就職して7年間北海道の鮭の加工工場、横浜のクリスタルの会社に30年間勤めた後、お父さんが亡くなられて、50幾つのときに山に帰って、「この箕をつくる人が誰もいなくなるんだなあ」と、自分でやり始めたら、作り方を全部思い出したんだそうです。

養老 子どもの時分にやっていることは身に付いているんですよね。よく申し上げるんですよ。教養というものは身に付くもの、身に付いたものを言うんであって、鼻に付いたらいけないよと。

土井 身に付くって、いい言葉ですね。

養老 身に付いていないものは駄目です。いくら勉強をしたふりをしても、身に付いていないとやはりダメです。
 大学で一番苦手だったのは講義でした。今では毎日のように講演会なんてやっていますけれど、若いころはダメで。学生さん相手に1時間半しゃべることになって、初めは、メモをつくってしっかり勉強して必死です。
 でもこちらも面白くないからだんだん嫌になって、どんどん講義が短くなった頃、学生が廊下で「ああ、今日は養老の講義だから短いぞ」とか言っていました。
 そのうちだんだんわかってきました。自分が本当に考えていることしか話してもダメ。そのとき自分が関心を持っていることを話すしかありません。それは長かろうが短かろうが、しようがない。それしかしゃべれないんだから。そう思っていない先生は、だから長い間退屈な話をするんです。それで自分と学生と、両方の時間を無駄にする。

土井 料理も同じですね。「料理をしなさい」「料理をしなければならない」と義務にしてしまうと全然楽しくない。それが「別にしなくてもいいんだよ」「おかずを無理してつくらなくてもいいんだよ」となると、お料理が楽しくなり、お料理したくなる。「一汁一菜でいいんですよ、無理しなくてもいいいんです」と言ったら、途端に料理が楽しくなったというんですね。人間って、心が自由になって、自分の意思で行うことがどれだけ大切なことかとわかりました。意識は厄介ですね。

養老 暑い時にうまい素麺を食いたくなったら、おつゆをつくりたくなる。

土井 素麺がお好きだから苦にならない(笑)。意識で、脳みそで考えることも大事だけれども、自分の身体が感じられるようにしておくことが大事ですね。いかに身体を使うか、あるいはその存在を感じ取るか。身体を信じられたらいいですね。

養老 まさにそうです。私は解剖をやっていましたから、計算したら3千人くらいの体を全部丁寧に見てきました。だけどこんなものがわかるわけがないというのが結論。こんなにややこしいものを。

土井 3000ですか。

養老 それをわかったようなふりをするでしょう。医者も知らないんですよ。

土井 情報に惑わされずに、感じることの方が正しいということでしょうか。料理なら、自分の目で見た「ああ、おいしそうやな」を信じるべきなんでしょうか。

養老 本当にそうですね。おいしいものはおいしい。それを感じること、それが生きているということです。

土井 料理することで気づいたのですが、「きれい」という言葉を日本語では多用しますね。「もっときれいにしときや」「きれいな仕事してはるね」、「ああ、きれいやな」と、花を見るときにも使います。うそ偽りのない真実であること、悪意のない善良であること。いわば、人間が好む真善美を「きれい」という一言で表していて、料理の道しるべだと思っています。

養老 「きれい」ということの逆が「汚い」で、日本人の倫理観そのものです。「そんな汚いことはできない」とか「やり方が汚い」とか言うけれど、それは、欧米風に言えば倫理に反するということです。美的な感覚として表現していて、同時に機能性にも通じている。機能的なものは美しいと昔からいわれます。使っていて使いやすいもの、機能が本当に優れているものは、見てきれい、美しい。きれいは大切ですね。

土井 まあ、1日ではきれいになりませんね。毎日何かを感じること。毎日手入れをすること。自然というのは、ほっといたら盛り返して、森になってまた自力で美しくなる。けれども、人間がつくったものは、人間がケアしてやらないと壊れていく。いつもおっしゃっていることですね。

(対談は、一般社団法人おいしいにっぽんの主催で、6月18日に東京の「WACCA池袋」にて行われました。)

 (どい・よしはる 料理研究家)
 (ようろう・たけし 解剖学者)

土井善晴「おいしく、生きる」