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対談

サリンジャーの星は出そろったのか?

伝説の問題作に挑んだ翻訳家と、高校生のときから愛読してきた作家が
語り尽くすサリンジャーの「かけがえのなさ」とは?

佐藤多佳子 × 金原瑞人

初期短篇の魅力

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『このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる
/ハプワース16、1924年』

金原 サリンジャーは、生前、『ナイン・ストーリーズ』『ライ麦畑でつかまえて』『フラニーとズーイ』『大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア―序章―』(『ライ麦』は白水社、ほかは新潮文庫)の四冊しか単行本を刊行していません。もっとも、これはアメリカの話で、事情が違う日本ではずいぶん以前からほぼ全作品が翻訳されてきました。

佐藤 ええ、荒地出版社から出ていた『サリンジャー選集』(全五巻)などですね。

金原 ただ、先の四作品以外は、現在入手困難になっているため、『ライ麦』のホールデン少年が出てくる短篇や、ホールデンの兄に関わる連作、そして〈グラース家〉の物語で、生前に発表された最後の作品「ハプワース16、1924年」などを集めたのが今回翻訳した『このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる/ハプワース16、1924年』です。

佐藤 サリンジャーとの出会いは、高校生の時で、『ライ麦』を読み、大きな衝撃を受けました。大学では、私の周辺の本好きの人たちは、サリンジャーと村上春樹を、よく読んでいましたね。

金原 ぼくは佐藤さんより八歳上だけど、中学三年生のときに、『ライ麦』と庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』を比べて読みました。

佐藤 中学生で、『ライ麦』を原文で読んだんですか?

金原 ぼくが初めて原文で小説を最後まで読んだのは、大学三年生のときだよ(笑)。野崎孝訳『ライ麦』を読んで、主人公ホールデンのドロップアウトの仕方がずいぶん教科書的だな、と思ったのを覚えています。

佐藤 それはまた、中学生にしては大人びた感想ですね。私は『ライ麦』を読んで、すごく好きになり、その後、『ナイン・ストーリーズ』で決定的なファンになり、当時、翻訳されているサリンジャーの作品はすべて読みました。

 今回の作品集は、デビュー作「若者たち」をはじめとする初期短篇から、最後の発表作「ハプワース」まで収録されています。サリンジャーの全体像に触れられるようで、おもしろいですね。

金原 そう。全部で九篇なので、いわばもうひとつの「ナイン・ストーリーズ」です。すべて、アメリカでは雑誌に掲載されたのみで、書籍には収録されていません。翻訳し終えると、初期はこんなに読者の反応をきちんと想定して作品を書いていたのが、最後に「こうなっちゃうんだ」という衝撃がありました(笑)。『ナイン・ストーリーズ』には、どことなく浮遊感、輪郭の曖昧さがありますが、初期短篇はオチさえありますから。表題作のひとつ「このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる」は、ホールデンの兄ヴィンセントが登場する作品です。

佐藤 軍隊の話ですね。

金原 軍曹ヴィンセントが女の子たちとのダンス・パーティに行く前の場面ですが、パーティに行きたい部下が多すぎて、そのうち四人は連れていけない。皆、行く気満々なのに、どうすればいいのか。一方でヴィンセントには十九歳の弟ホールデンが戦闘中に行方不明になったという知らせが来ている。部下を早急にどうにかしないといけないときに、弟の行方が気になって仕方がない。

佐藤 兵士にとって、ダンスに行けないことが、これほどつらいんですね。

金原 ノルマンディー上陸作戦に参加したサリンジャーならではの、軍隊のリアルな空気が描かれています。コミカルな要素もあるだけに、兵士たちの置かれたどうしようもない状況がズシっときますね。ほかに収録した初期作品のなかで、「ロイス・タゲットのロングデビュー」は、特にぼくの好きな短篇でした。

佐藤 主人公の女性ロイスが、少女から大人として成熟していく過程で失ったものについて深く鋭く書かれていますね。

金原 ロイスは一度目の結婚に失敗し、二度目の結婚では赤ちゃんを事故で亡くします。そして最後まで夫を愛さない。そのことが、ラストのひと言でわかるんです。サマセット・モームのようなきつい短篇ですね。

翻訳難度一位?

佐藤 元舞台芸人の両親と五男二女の大家族〈グラース家〉の物語は、『ナイン・ストーリーズ』の「バナナフィッシュにうってつけの日」から始まります。夫婦で訪れたリゾート地で長兄シーモアが唐突に自死する衝撃的な短篇です。世俗的な義母の言葉によってシーモアの精神的な不安定さが強く語られますが、自死に至る具体的な原因は、その後のどの作品でも明かされません。ですが、〈グラース家〉の物語は、その多くが、シーモアへの深い愛と彼の巨大な影響を綴っています。「シーモア―序章―」では、次男で作家のバディが、そのあまりの愛の深さゆえに読者に伝わりづらい断片的なエピソードの連打で兄を語ります。私にはこの作品のなかに、忘れ難い言葉があります。バディの野心的な習作群へのシーモアの批評の一部です。バディにとって創作は「宗教」なので、彼が死んだ時に質問されることは、この二つ――「おまえの星たちはほとんど出そろったか?」「おまえは心情を書きつくすことに励んだか?」

 この言葉は、当時、やはり何か良い作品を書きたいと「勉強中」だった私の指針となりました。今回「シーモア―序章―」を読み直して、「星が出そろった」作品を書きたいと、あらためて思いました。それは、作品の完成度や世間の評価とも違うもので、説明がむずかしいのですが。

金原 「シーモア―序章―」の六年後、一九六五年に発表され、とても読みづらいことで有名な作品が、今回のもうひとつの表題作「ハプワース16、1924年」です。佐藤さんは学生時代に、「ハプワース」も読んだんですか。

佐藤 読みました。苦労しましたけどね(笑)。今回の新訳、非常に内容がわかりやすかったです。

金原 それは良かった。苦労した甲斐があります。ぼくはこれまで五百作品ほど翻訳してきましたが、「ハプワース」は、翻訳の難しさで一位か二位です。ノーベル文学賞候補に名前が挙がったことのあるナイジェリア出身の作家ベン・オクリ『満たされぬ道』を、一番難しかった作品に挙げてきましたが、「ハプワース」はこの作品に並びます。ほとんど、投げ出したくなるほどでした(笑)。シーモアが七歳のときに、バディと一緒に行っていたキャンプ地ハプワースから、十六日目に書いた、家族宛ての手紙という形の作品で、分量的には中篇。二週間で訳し終えるかと思ったら、二か月かかりました。

佐藤 七歳らしからぬ内容の手紙ですよね。〈グラース家〉の物語の最後で、シーモア自身の言葉が語られるのは、とても貴重なのですが、一番理解がむずかしい作品にも思えます。〈グラース家〉の兄弟たちは、シーモアという神を信仰する信者のようなところがありますよね。

「フラニーとズーイ」は兄弟の上のふたり、シーモアとバディに教育された、末の弟ズーイと妹フラニーが、その影響下でもがくエピソードも語られます。社会と摩擦が生まれたときに、どのように自我を確立させて他者と向き合っていくか。自分の中でシーモアを正しく見つめ直していく物語のようにも思えます。

金原 シーモアのような影響力のある兄がいると、弟妹は大変ですよね。父が子に対して絶大な影響をもつ物語はよくありますが、兄が弟妹にこれほど強い存在であるというのは、珍しいと思います。

佐藤 サリンジャーの作品を読んでいると、「なんとか生きていける人」「生きていくのが難しい人」「境目にいる人」が書き分けられている印象があります。シーモアの二歳下のバディは、「この世のなかで生きていくのが可能なシーモア」のような気がします。

金原 なるほど。それを背負うことで、バディにも葛藤が生まれますよね。バディは一九一九年生まれで、サリンジャーと同年の生まれ。作家の分身でもあるとも言われています。

「ハプワース」では、シーモアが、一緒にキャンプに行っている弟バディのこともたくさん書いています。キャンプ地にいる間に短篇小説を六篇も書き、コーンミールが主食の元気いっぱいの弟について、「ぼくは毎晩、父さんと母さんがあの子を世界に送り出してくれたことを心から感謝している」と、ストレートな親愛の情を表現しています。

佐藤 それに、シーモアは自分の寿命のことを「ぼくは最低でも、手入れのいい電柱くらい、つまり三十年かそれ以上は生きると思う」と予言的なことを書いています。一方で、バディについては、「もっと長く生きるはずだ」という言葉も。作中で、バディが「生きていけること」へシーモアからの手放しの賛辞があちこちに書かれていますよね。

考えるな、感じろ

佐藤 サリンジャーの小説の中には、テーマや構成が分かりづらいものがありますが、『ナイン・ストーリーズ』に関しては、分からないなりに丸ごと受け入れて宝物のように思ってきました。頭でっかちで気持ちの不安定な二十歳前後で読んで、サリンジャーの文章から伝わる、この世の美しさ、穢さ、不条理、愛すべきもの、憎むべきものを共有したように思います。作中にちりばめられた言葉に、星のように導いてもらいました。とても大切な作家です。

金原 スーッと入ってきたわけですね。

佐藤 こういうところに影響を受けたとか、ここが良いとか言うのがイヤなくらい、好きです。言葉にできないくらい。きっと、「頭」で読んでいないのですね。

金原 じゃあ、どこで読んでるの(笑)?

佐藤 「考えるな、感じろ」くらいに思っています(笑)。必ずしもすべて分からなくても、読んだ人が、何かを受け取って、それがその人にとってかけがえのない意味をもてば、それでいいと思うんです。

 ところで、大人になって読むと、ホールデンはかわいいですよね。

金原 優等生的なぐれ方ですから。

佐藤 そうですね。ギリギリまで行って、結局たいして悪いこともできずに泣いている。でも、屈折しながらもまっすぐな、やわらかい心の持ち主で、情けない行動をとっても情けないと感じさせない。〈グラース家〉の人たちよりかわいい。彼らはあまりに気難しいし、頭がよすぎて、わかりづらいことをしゃべり倒します(笑)。

金原 来年はサリンジャーの生誕百年ですね。

佐藤 サリンジャーがこれからどういう風に読まれていくのか、興味がありますね。ホールデンのぼやき節がどのくらいの共感を呼ぶのか。今回の新しい作品集の刊行もあり、また読み継がれていくのか、楽しみです。

 (かねはら・みずひと 法政大学教授、翻訳家)
 (さとう・たかこ 作家)

J・D・サリンジャー著/金原瑞人訳『このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる/ハプワース16、1924年』978-4-10-591006-8