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『星夜航行』刊行記念特集 インタビュー

激動期の使命、人を人たらしめるもの

飯嶋和一

前々作『出星前夜』(大佛次郎賞)、前作『狗賓童子の島』(司馬遼太郎賞)から3年、最新作は家康、秀吉の登場する、いわば歴史小説の大舞台。主人公は権力に翻弄されながらも、決して屈しなかった徳川家の旧臣です。

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外の短篇から

――主人公の沢瀬甚五郎は実在の人物だそうですね。

飯嶋 森外の短篇に徳川家の家臣が逐電し、二十数年後、ある重要な使者として駿府を訪れたというものがあり(「佐橋甚五郎」)、その存在を知りました。短篇の末尾に「此話は『續武家閑話』に據(よっ)た」と書かれてあるものの、不明な点があったらしく、「異説を知つてゐる人があるなら(略)著者の許に投寄して貰ひたい」と外は呼びかけていて、私は家康が男の正体を見破ったという記述に違和感を憶えた。この男は家康の嫡男三郎信康の小姓だったとあり、三郎信康と言えば、家康と敵対し、武田家と通じていた嫌疑を持たれ、家康の命で切腹しています。小姓の中には主の後を追った者や出奔した者が複数いて、散り散りになっています。家康は小姓衆の人相風体を見知っていたはずがなく、正体を見破ったのは三郎信康の小姓として苦楽をともにした者ではなかったか。「佐橋」は「さわせ」と読ませる史料もあり、家康の時代について書かれた『三州一向宗乱記』に「沢瀬」という家臣が出てきて、『寛政重修諸家譜』にも沢瀬家の記述があった。さらに使者との対面の場にはかつての小姓がひとり列席していたことも分かり、佐橋あるいは沢瀬甚五郎のことを調べていきました。

――三河を二分した一向宗乱のとき、父が家康に弓を引いたため、沢瀬甚五郎は逆臣の遺児として逼塞していましたが、馬を馴らす術や乗りこなす腕を買われ、徳川家に取り立てられます。甚五郎は祖父から剣術や槍術、砲術を叩き込まれ、初陣で武功を挙げる。しかし、恩ある者の相次ぐ死を受けて徳川家を離れます。

飯嶋 小姓はいわば首相秘書官や大臣官房のような幹部候補生で、甚五郎は家老クラスの将来が約束されていましたが、暗転します。秀吉の吏僚として結果的に朝鮮出兵を推し進めることになった小西行長についてもページを割いて書きましたが、彼は堺の商人の生まれながら、秀吉に見込まれ、一国一城の主に登り詰める。しかし行長にとってその栄達は良かったのかどうか。本能寺の変、天下統一、文禄慶長の役とつづく激動期のなかで、幹部候補生や一国一城の主も安穏として一生を過ごせる時代ではなくなっていました。

秀吉の野望、イントレランス

――当時は海外との交易が盛んになり、日本を取り巻く環境は変化し、甚五郎もその世界に身を投じていきます。

飯嶋 唐(中国)と天竺(印度)、それに日本で世界は成り立っていると、日本では考えられていたところ、南蛮人が渡来し、ヨーロッパと日本人は出会います。世界地図の修正に迫られ、キリスト教によって全く異なる世界観や人間観を知り、南蛮由来の鉄砲や大筒が戦の様相を変えていく。秀吉の明国討伐と朝鮮出兵は、戦国時代の終焉で武将の領土拡大の野心を海外へ向ける目的や、明国と朝鮮に対する秀吉の無知があったとされ、その通りだったと思いますが、世界が広がったことや海外交易も関係していたと見ています。明国の製品はポルトガル人を通じて日本へ運び込まれ、イエズス会を介して言い値で買わされ、売り上げはイエズス会の日本での活動資金になっていました。天下統一を成し遂げかけていた秀吉にすれば面白くなく、バテレン追放令を出してイエズス会を排除しようとするとポルトガルの交易船は日本を通り越してアカプルコへ向かい、交易は一時期、途絶える。ならば南蛮やイエズス会を通さず、兵を送って明国を押さえ、自分がアジアの盟主になればいいと秀吉は考えた。明国を征した後、寧波(ニンポー)を隠居所にしようとしていて、寧波は一大商港で、明国征伐が海外交易を視野に入れたものだったことは間違いありません。ただ、秀吉が抱いたのは明国と朝鮮への大いなる誤解と自己中心的で傍迷惑きわまりない野望でしたが。

――行長や対馬の宗家らは朝鮮出兵を回避しようとしますが、その方策は国書を偽造し、事実を偽り、秀吉と民を欺く。なにやら昨今の官邸や財務省を見るようです。

飯嶋 この小説を書き始めたのは九年前で、書き上がったのは五年前、それから四年かけて校正していたから、森友や加計の問題は念頭に置きようもなかった(笑)。もっとも朝鮮出兵で甚五郎が孔子の「必ずや名を正さん」という言葉と逸話を思い起こしたように、秀吉の明国征伐の意図や目の前で起きていることはありのままを正確に伝え、語られなければ、対処法を間違えます。日本ばかりか朝鮮や明国も秀吉の意図を正視せず、事実を糊塗し、ねじ曲げ、朝鮮役は長期化し、泥沼に嵌まっていく。小説とは面白いもので、過去の世界に身を置け、人の死さえも体験できる。私のような凡人でも九年もこの小説にかかわっているうちに、あの時代とあの時代を生きた人々が見えてきました。書きながら意識していたのは一九一六年に公開されたグリフィス監督のサイレント映画『イントレランス』です。この映画は時代と場所の異なる四つのエピソードで構成され、ひとつは当時のアメリカを舞台にし、無実の青年に下された死刑判決、つづいてキリストの処刑、その次はバビロン帝国の滅亡、最後はフランスで起きたユグノー教徒の大虐殺となっています。タイトル通り不寛容(イントレランス)と憎しみが尊い命を奪い、文明を葬り、民衆は塗炭の苦しみを味わう。この映画が暗示し、歴史上、繰り返されてきたことが、あの時代にもあって、いまなお起きているのではないでしょうか。

朝鮮役の最前線へ

――文字通り、国を捨てて戦う日本兵も現れます。

飯嶋 そういう兵がいたことは徳富蘇峰の『近世日本国民史』で知りました。忘れもしない一九九二年、駒込の古書店に五十冊揃いで売りに出ていて、そのうちの「朝鮮役」の三冊だけ欲しくて売ってくれないかとお願いしたら、ダメだと言われ、手持ちがなく、駅前のATMでお金を下ろして購入した。あのとき、『近世日本国民史』に出会わず、五十冊揃いを買ってなかったら、見過ごしていたかもしれません。朝鮮の青史『懲録(ちょうひろく)』にもこの兵の奮闘が記されていました。

――甚五郎と行長は朝鮮役の最前線に送られ、違った道を歩みます。ふたりの道を分けたのは、何だったのでしょうか。

飯嶋 小西行長は決して悪人ではなく、それどころかキリスト教を信奉し、日本と朝鮮両国で無駄死にを避けようとしていた。ただ、彼の行状を辿っていくなかで私が思い到ったのは中江兆民が生涯の最後に書き記した「人を人たらしめるのは自省の心で、これを失ったら禽獣である」という言葉でした。行長は秀吉吏僚として奔走するあまり、「人たらしめる」ものを喪失していった。対して沢瀬甚五郎は行長と同様、権力に翻弄されながらも、自分がその場所にいる意味を問い、自分の使命は何かと考えて行動した。三河、薩摩、博多、呂宋、朝鮮半島と各地を転々としますが、何処でも人に求められ、それなりの働きをしてきたにちがいありません。

――『星夜航行』という書名は沢瀬甚五郎の歩みを象徴するように気高く、美しい言葉ですね。

飯嶋 人は思い通りに生きてはいけないものですが、三河を去った後も沢瀬甚五郎は自身の特殊な技量ゆえに悲惨な思いをし、悲劇に見舞われる。星は雨や曇りの日には見えませんが、常に変わらない位置にあり、一定の動きを示すように甚五郎もおそらく、いかなる状況下でも自分の良心に恥じず忠実であろうとし、人格を保ち、自分の行ってきたことに後ろめたさはなかったのではないでしょうか。だからこそ四半世紀を経て、重要な使命を託され、家康の前に堂々と姿を現したのではないか。そのことは駿府を驚嘆させ、その名を史書の片隅に残したのだろうと思いました。『星夜航行』を通して沢瀬甚五郎の航海とこの時代を追体験していただけたら幸いです。

 (いいじま・かずいち 作家)

飯嶋和一『星夜航行』(上巻・下巻)978-4-10-351941-6,42-3