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書評・エッセイ

幻想とミステリが融合した秋吉理香子版「鏡地獄」

――秋吉理香子『鏡じかけの夢』

大矢博子

「珍らしい話とおっしゃるのですか、それではこんな話はどうでしょう」
 ――という一文で始まるのは江戸川乱歩の「鏡地獄」だ。
 内面がすべて鏡の球体に入った男が発狂するというこの短編は、実際にどのような鏡像が浮かぶのか(物理的な解明は可能だとしても)とっさに想像できないだけに、考えれば考えるほど、不気味な酩酊感と浮遊感、そして足元が抜けてなくなるような不安を感じずにはいられない。
 鏡をモチーフにした物語は枚挙に遑がない。『白雪姫』の鏡は女王に託宣を与え、『鏡の国のアリス』や辻村深月『かがみの孤城』では鏡が異界への入り口になった。村上春樹の短編「鏡」の主人公は鏡の中に「僕以外の僕」を発見する。小説だけではなく、夜中に合わせ鏡をしてはいけないなどの迷信や伝承も多い。古来、占いに使われたり神社に祀られてきたりしたのも、何か人知を超えた不思議な力が鏡にはあると思われたからだろう。
 物理法則に則って光を反射するだけの、ごく身近で生活になくてはならないただの道具に、なぜ私たちはこうも神秘性や得体の知れない恐怖を感じるのだろうか。
 秋吉理香子の新刊『鏡じかけの夢』は、ヴェネツィアで作られた一枚の姿見にまつわる連作短編集だ。
 周囲にロココ調の装飾が施されたその金属鏡には、心を込めて磨くと願いを叶えてくれるという言い伝えがあった。その鏡は日本に運ばれ、数十年の間に次々と持ち主を変える。第一話「泣きぼくろの鏡」では脳病院の病室に、第二話「ナルキッソスの鏡」では鏡研ぎ職人のもとに、第三話「繚乱の鏡」では関東大震災で負った火傷のため異形の姿になってしまった実業家の屋敷に、第四話「奇術師の鏡」では傷痍軍人と戦災孤児のところに、そして最終話「双生児の鏡」ではヴェネツィアの双生児のもとに。
 彼らは鏡に何を願ったのか。それがどのように叶えられたのか。鏡に映る別人の顔。鏡を介して見つめる想い人の顔。鏡の表面に浮かび上がる悪魔......。鏡が持ち主にもたらした数奇な運命がときには耽美に、ときには幻想的に綴られる。まさにゴシックホラーの趣だ。
 特に「繚乱の鏡」がいい。異形の実業家と彼が崇拝した舞台女優の歪な関係。設定は珍しいものではないが、終盤に浮かび上がる情景には乱歩の幻想小説を連想し、戦慄した。その場面を想像せずにはいられず、ひとたび想像したら行き着く先には狂気しか見えない、そのおぞましさ。
 恐怖という点では、第一話の「泣きぼくろの鏡」が怪談として秀逸だ。また、思いがけない感動作が「奇術師の鏡」。「ナルキッソスの鏡」と「双生児の鏡」はミステリ的な趣向が強い。悲しみに満ちた意外な結末に驚くこと請け合いだ。
 願いを叶える鏡、というモチーフからこれだけバラエティに富んだ物語を順につなげてみせる手腕に感嘆するが、著者の企みはそれだけではない。上手いのは、本当に鏡に不思議な力が備わっていたのか、それともその言い伝えに踊らされた人間の側の問題なのか、どちらともとれるような描きかたをしているという点だ。幻想譚ともとれるし、すべて理屈で説明できるとも言える。これが物語に余韻を産んでいる。ホラーでもありミステリでもある世界。読み終わってからもしばらく小説世界から抜け出せないのはこのせいだ。
 単なる光の反射だとわかってはいても、私たちはそこに反射以外の何かをつい見てしまう。映っているのではなく、そこに「いる」のではないか。あまりに正確に映るが故に映したくないものまで暴かれるのではないか。私たちが鏡に神秘性を感じ、恐れるのは、見たくないものを見てしまうのが怖いからかもしれない。
 見たくないものとは即ち、自らの欲やエゴ、後悔である。本書の登場人物は鏡の中の自分の欲に踊らされ、エゴに追い詰められ、後悔にまみれて破滅していく。それは自分で自分を破滅に追い込むに等しい。だからこそ本書の物語は恐ろしいのである。これは秋吉理香子が生み出した「鏡地獄」に他ならない。
 ――珍らしい話とおっしゃるのですか、それではこんな話はどうでしょう? あなたの願いを叶えてくれる、不思議な鏡の話です......。

 (おおや・ひろこ 書評家)

秋吉理香子『鏡じかけの夢』978-4-10-351841-9