書評

2018年4月号掲載

花まみれの問い自身

――川上未映子『ウィステリアと三人の女たち』

黒田夏子

対象書籍名:『ウィステリアと三人の女たち』
対象著者:川上未映子
対象書籍ISBN:978-4-10-325625-0

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 一作一作たくらみのある設定とそれぞれにふさわしい語りくちとで十ねんらい多様多彩な作品世界を展開してきた著者の、輓近(ばんきん)の短篇三つと中篇一つとが、楽しくも怖いこの一さつになった。
 その書法は、小きざみに順接をうらぎりつづける運びの妙味はそのままに、初期の詩的跳躍の切迫調から、きわめてなだらかな散文にこなれてきて、読みたどるときの抵抗はねんいりにけずりおとされているが、そのかわり、まだだれも踏みこんだことのなかったあたりにいつしらずなめらかに移行してしまうあやうい脚力を強めたようである。
 そこでは、ゆらがない、というより、むしろゆらぎやめなさを変えない問いがしなやかに問われつづけていて、それはこの著者のすべての叙述のうらに身を添わせている、そう叙述しているのは、そう認識しているのは、誰なのか何なのかという問いであり、属性がつぎつぎと剥落していったあとの個人とは存在とはという、ただ問いやめないことだけが真摯さであるような問いだ。"帰ろうと思えばいつでも帰ることのできる場所なんて、そんなもの本当にあるのだろうか""自分が今どこで何をしている誰なのか"、そして、雨に濡れた総身に藤の落花を鱗のようにひしめかせて暁闇に帰宅した"わたし"が、"おまえ、誰なんだよ"と夫から問われるとき、"わたし"は問われている者というより、問いそのものになっている。(表題作)
 四作とも中心人物たちが女ばかりというのもこの作品集の特色で、まず一つ目「彼女と彼女の記憶について」では、三十代なかばの女優である"わたし"が、"顔も覚えていない""田舎町の中学"の同窓会に気まぐれのように出席して、完全に忘れ去っていた"記憶"を"不意に手渡される"のだが、その性意識黎明期の情景にあらわれるのも、この日その人の消息をもたらす二人もみなみな女ともだちで、男たちとはまったく話もしないし、二つ目「シャンデリア」では、日日デパートのブランド店をまわってすごす四十代の"わたし"と、或る日、店のひとつで偶然いっしょになった"限りなく自死に近い、事故死"をした女親ぐらいの年齢の老婆との、何者かへの復讐のような、わが身への悪罵のようなやりとりが描かれるが、その後奏部となる帰路のタクシーの運転手までが"若い女の子"とされ、三つ目「マリーの愛の証明」では、"さまざまな困難と問題をかかえ"て精神の平衡をくずした少女たちの保護施設がぶたいなので、むろんぜんぶが女どうしのこと、看護係も女だ。
 そして四つ目の、六つにくぎられた最も長い表題作は、1から4および6を大枠として5だけがとびぬけてふくらんだ構成なのだが、その5は、"ウィステリア"と、その日本人をそう名づけた英国人と、ともに女であるふたりの物語で、たしかに大枠のほうでは"わたし"の夫が出てくるものの、それは存在感とか関わりとしてではなく、かえってその薄さを示すための出番で、そうと気づけば、以前の短篇「お花畑自身」も「愛の夢とか」も女ふたりの絡みが中心であり、"夫"は"いる"だけで脇役でさえなかった。長篇『すべて真夜中の恋人たち』にしても、いちおう中心にすえられた男への関わりよりも、仕事なかまの女との男をめぐってではない力関係が、新鮮な領域として照らし出されていた。
 かといって、ここであまりジェンダーのことにこだわる気はないが、この著者の作品を読む悦びのひとつが、随所に問いをさそわれるところにあるならこれもきっかけではあろうし、作品にさそわれる問いというものは、一つの正答で終わるものではなく、もし著者が答えたとしてもそれで行きどまりにはならないものだとおもうので、答えはなくてもいろいろ問いたい。たとえば「ウィステリアと三人の女たち」の三人とはだれだれのことで、どの観点からそうと言い切れるか、"時間そのものにしるしでもつけていくみたいに"三たび作中をよこぎっていく黒猫と黒い服の女たちとの照応について、"わたし"の行為を誘導したという意味でマクベスのウィッチのような"壊される音"を聴く女はなぜ腕が長いのか、"記憶"や"愛"が自分の"外""世界のほう"にあるという発想はどう動いていくのか、などなど。
 ともあれ誤解のないようにつけくわえるなら、この本を楽しむとき、よけいな身がまえなどは無用であって、この著者の筆にかかれば、破局も諦念も、強靭できらびやかな魅惑となる。もしデパートの大シャンデリアが落下しても"わたしは落下そのものになる。叩きつけながら叩きつけられて、突き刺されながら突き刺して、下敷きになりながら押しつぶす"。(「シャンデリア」)

 (くろだ・なつこ 作家)

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