書評

2018年1月号掲載

一〇〇億のミーガンに

――ゴールズワージー『林檎の樹』(新潮文庫)

池澤春菜

対象書籍名:『林檎の樹』(新潮文庫)
対象著者:ゴールズワージー著/法村里絵訳
対象書籍ISBN:978-4-10-208803-6

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 美しい物語だ、と言ってしまって良いのかわからない。素晴らしい描写の中に、時折ざりざりと不快感が混じる。
 思い出したのは、スノーグローブだ。粉雪のようなフレークや、小さな人形、建物を閉じ込め、水やグリセリンで満たした球形のガラス。お土産物屋さんでよく見る、あれ。手のひらの中の世界がとても好きで、ずいぶん集めている。
 この物語は、まるでスノーグローブのように繊細で、儚く、心が痛くなるほどの光に満ちている。

 物語は回想から始まる。銀婚式を迎えた初老の夫妻が荒野(ムーア)を訪れる。夫アシャーストは辺りの風景に誘われ、若かりし頃のことを思い出す。
 大学の卒業記念として徒歩旅行に出かけたアシャーストとその友人。ところがアシャーストは膝を痛め、途中の農場で滞在を余儀なくされる。そこで出会った素朴で美しい少女ミーガン。お互い惹かれあう二人は駆け落ちをし、ロンドンで共に暮らすことを約束する。
 最寄りの街に資金を取りに訪れた際、ばったり友人に出くわしたアシャースト。本来自分が属している生活様式に戻り、友人の妹の洗練された美しさに心惹かれた彼は、ミーガンと歩む未来を不安に思い始める......。
 ああ、アシャースト! この優柔不断で自己憐憫に溺れるばかりの情けない、くそったれのへなちょこめ!! 靴の中に小石が入って、毎朝髪の毛に結びこぶができて、キャラメルで歯の詰め物が取れて、パスタが全部無味でありますように!
 ミーガンを目覚めさせてやろう、と上から目線の友人ガートンをアシャーストは「都会人ぶった馬鹿な青二才」と批判してみせるが、ガートンはちゃんと理解しているのだ、自分の中の下卑た部分を。それに引き替え、無自覚を言い訳に振り撒かれるアシャーストのその場しのぎの優しさのなんと厄介なこと、なんと罪深いこと。
 己に憧憬の眼差しを向けるミーガンを、アシャーストは「明かりに魅せられた蛾が、炎に近づきすぎて羽を焦がすのを見ているような気分だった」「果樹の花を――咲いたばかりのやわらかで神聖な花を――むしりとって捨てるというのは、冒涜行為に他ならない!」と表す。自分がしていることをわかりながらも崇高で無垢な愛だと嘯(うそぶ)いてみせる。
 後半のふてくされ、自己弁護をし、そんなダメな自分に酔うアシャーストときたら......割り箸が常に中途半端なところで折れますように、アサリに必ず砂が入っていますように! 

 この物語を、田舎と都会の、男と女の、無作為の美と、洗練の美の、持てるものと持たざるものの、今と昔の、対比として読むことは可能だろう。
 だけどそうした二元論だけでは、時を超えて愛される理由にはならない気がする。
 ミーガンはどうしたら幸せになれたのだろう。アシャーストと出会わずジョーと一緒になっていたら? あの時アシャーストが「やぁ、別の子と結婚することにしたから、なかったことにしてくれる?」と頭を下げたら? それともアシャーストについて都会に行き、そぐわない額縁の中で愛人として生きたら? 真綿で首を絞められるか、袈裟懸けに切られるか、毒殺されるか、の違いだけな気がする。どうやっても、ミーガンは死ぬのだ。肉体的に死なない道はあっても、精神は死ぬ。
 私たちの中にもミーガンはいる。日々殺されるミーガンが。
 毎年、春が来るごとに咲き誇る林檎の花は、手折られ、捨てられ、再び花開くことはない100億のミーガンの葬列の花なのかもしれない。
 それをして「生きるってそういうことだよね」と片付けられない人が、この物語を一生心の中に持ち続けるのだろう。

 スノーグローブの中の世界は、時が止まっている。水を満たしたその瞬間のままだ。およそ100年前に、ゴールズワージーがこの物語にこめたものは、時を経てガラスの外の世界では受け止め方が変わってしまったかもしれない。
 それでも、ガラスの中ではミーガンは笑い、アシャーストは逃げだし、林檎の花が咲きほこる。
 これは、とても美しい物語だ。

 (いけざわ・はるな 作家)

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