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書評・エッセイ

「地政学」だけでは決まらない!

杉田弘毅『「ポスト・グローバル時代」の地政学』

杉田弘毅

 地政学の祖であるハルフォード・マッキンダーの問いかけがモチーフとなってこの本が出来上がった。
 マッキンダーは「ハートランドを支配する者が世界を制する」という警句が有名だ。地政学はその国の持つ地理や資源などで運命が決まるとの決定論でもある。だから、マッキンダーは冷たい戦略家と思われがちだ。しかし、著書『デモクラシーの理想と現実』の中で彼は、シェイクスピアの言葉を引用しながら、人生は運勢ではなく個人の努力が決めると結んだ。つまり地理の制約が世界を律するのではなく、自由を希求する努力こそが「人間を地理の奴隷から解放する」と考えた。
 この地政学と人間の努力の相克は、私の30年間の国際報道で常に頭に浮かんでいたテーマだ。
 例えば日本。この国ほど地政学者が重視する国はないのに、地政学は主流にならなかった。これは驚異である。日本はユーラシア大陸の大陸パワー(中国、ロシア)と海洋パワー(米国)がせめぎ合う接点にある。どちらに顔を向けるかで、世界の覇権の行方は決まる。いわゆる回転軸(ピボット)の国である。
 マハン、マッキンダー、ハウスホーファー、スパイクマンといった地政学の先駆者が、日本を研究しその動向に目を光らせたのは、当然だ。戦後もケナン、キッシンジャー、ハンチントン、ブレジンスキーら戦後の世界秩序を描いた戦略家は日本研究を怠らなかった。日英同盟、日独伊三国同盟、日ソ中立条約、そして戦後の日米同盟は地政学の帰結である。
 しかし、世の中、地政学だけでは決まらない。戦後の日本は米国と同盟を結びながらも、中国やロシアと柔軟に友好関係を築く知恵を持った。しかも、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」、日本の安全と生存を保持するという憲法を大事にしてきた。地政学とはまったく対極にあるグローバリズムの理想に日本人は愛着を感じた。マッキンダーにならって言えば、地理の束縛を超えて自由にグローバルに行動しようという知恵の発露である。
 だが、今の世界はもっと複雑である。知恵ではなく人々の感情、その中でも「怒り」が渦巻き、世界を動かす。トランプの登場、英国のEU離脱、欧州右派政党の躍進、「イスラム国」の出現、中国の挑戦、そして北朝鮮の核ミサイル危機。民族の怒りや屈辱が、世界の安寧を揺さぶっている。グローバリズムの暗黒面、党派政治の機能不全、異質を嫌う人間性。そんな説明がなされている。そしてSNSという民主化されたメディアが怒りを拡散し、政治に動員していく。
 問題はこうした負のスパイラルが解決する兆しが、ポスト・グローバル時代の世界のどこにも見えないことだ。記者として地球のあちこちを観察してきた正直な気持ちを言えば、悲観的にならざるを得ない。破局を回避するヒントとして8つの指標を本書の最終章に上げた。

 (すぎた・ひろき 共同通信社論説委員長)

杉田弘毅『「ポスト・グローバル時代」の地政学』978-4-10-603819-8