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書評・エッセイ

アタラシキムラノヒャクネングシャノソノノシンジツシンチョウシンショ「新しき村」の百年―〈愚者の園〉の真実―(新潮新書)

前田速夫

821円(税込)

壮挙か? 愚挙か? 武者小路実篤が夢見た「ユートピア」の全貌1918~2017。

一世紀前、武者小路実篤を中心として「新しき村」が創設された。戦争や暴動など国内外が騒然とする時代にあって、「人類共生」の夢を掲げた農村共同体は、土地の移転、人間関係による内紛、実篤の離村と死没など幾度も危機にさらされながらも、着実な発展を遂げていく。平成以降、高齢化と収入減のため存続が危ぶまれるなか、世界的にも類例のないユートピア実践の軌跡をたどるとともに、その現代的意義を問い直す。 ※新潮新書に掲載の写真の一部は、電子版には収録しておりません。

人見るもよし 人見ざるもよし

前田速夫『「新しき村」の百年 〈愚者の園〉の真実』

前田速夫

 若き日、武者小路実篤の「友情」や「愛と死」
を読んで感動した人たちは、いま老年期を迎えている。若い人たちの多くは、武者小路実篤の名前すら、よくは知らないのではないか。まして、「新しき村」と聞いて、それが何であるかを知る人は限られていよう。  満三十三歳の実篤が、宮崎県日向に土地を求めて、自他共生、人類共生の理想を実現しようと、同志二十名(うち子供二)と、農業による自給自足を目標に、各人の個性を最大限に発揮しうる共同体を起ち上げたのは、大正七年(一九一八)十一月のことであった。
 現実を知らぬ愚挙、暴挙であるとして、当時はその「お目出たさ」をさんざん叩かれた新しき村は、その後も、村民同士の内紛や離反、ダム湖建設による水没、埼玉県への移住、実篤の死去と、幾度も存亡の危機に遭いながら、大正、昭和、平成と生き延びて、来年、創立百年を迎える。これは、国内外の他のユートピア共同体の多くが、雲散霧消してしまったのにくらべて、奇跡に近い。
 ところがその村も、近年は自活の原動力だった養鶏の不振・廃止による赤字の累積、村民の超高齢化と人口減少(ピーク時には六十五名が、現在は十名)、後継者難と、四重苦にあえいでいて、このままでは、消滅を免れない運命にある。
 折しも、日本は、世界は、民族や国家、地域や家族といった、人と人とを結ぶ中間項が機能不全に陥って、格差は広がるばかり、国益が衝突して戦争の脅威が増すその一方で、社会全体が液状化している。
 すなわち、武者小路実篤が唱えた理想と、その実践であるコミュニティのありかたが、いまほど切実に求められるときはなく、百年たって、ようやくその真価が認められるようになったこのときに、村が消えていくとは、なんとも皮肉なことだ。
 けれども、これは一新しき村の問題ではない。村が直面している困難は、今日の日本が、世界が直面している困難に等しく、村が百年を超えて生き延びられるかどうかを問うことは、今日の日本が、世界が生き延びられるかどうかを問うに等しいと言ったら、おおげさだろうか。
「君は君 我は我なり されど仲よき」――個よりも全体を優先させる世の常の共同体とは違って、全体よりも個を重視する、この世界的にも稀な美質を持つ新しき村が、百年も続いたのはなぜか。現在の苦境から脱するには、いったいどうすればよいのか。一個人には手に余る問題をも含めて、あれこれ考えてみた。
 ちなみに、筆者は出版社に入社して早々、実篤の長編自伝小説「一人の男」の雑誌連載を担当している。「人見るもよし 人見ざるもよし 我は咲くなり」と、先生は苦笑しているであろうか。

 (まえだ・はやお 民俗研究家)

前田速夫『「新しき村」の百年 〈愚者の園〉の真実』978-4-10-610743-6