書評

2017年12月号掲載

阪田寛夫さんにしっかり会えた気がする

――内藤啓子『枕詞はサッちゃん 照れやな詩人、父・阪田寛夫の人生』

工藤直子

対象書籍名:『枕詞はサッちゃん 照れやな詩人、父・阪田寛夫の人生』
対象著者:内藤啓子
対象書籍ISBN:978-4-10-102191-1

(あ、あの「さかたひろお」さんだ!)。そう思って見上げた阪田さんは、ひょろりと背が高く、すこし傾いて、おじぎしてくださった。それが阪田さんに出会った最初だ。
 阪田さんの詩集『わたしの動物園』(1965年初版)を古本で見つけて昔から愛読していた。「葉月」と「熊にまたがり」という詩が好きで、なんどもなんども暗唱した。

  熊にまたがり屁をこけば
  りんどうの花散りゆけり

  熊にまたがり空見れば
  おれはアホかと思わるる

 昭和56年(1981年)、光村図書出版が『飛ぶ教室』という季刊誌を創刊することになり、阪田さんは、その編集委員(石森延男/今江祥智/尾崎秀樹/河合隼雄/栗原一登の各氏)のお一人だった。その集まりでお目にかかった。
 お目にかかったとたん、私は(とうちゃんに似てる!)とイソイソして、なついちまった。......私は筋金入りのファザコンなのだ。なついて、その後、2年にわたり聞き書きを新聞に掲載する仕事をさせていただいた(『どれみそら』1995年/河出書房新社刊)。じつに「うれしい聞き書き」の日々だった。
 2005年、阪田さんは亡くなられた。私は二度父をなくした気持ちだったから、『枕詞はサッちゃん』という本が刊行されると知って喜んだ(嬉しいったら、ありゃしない!)。
 本の「まえがき」に、「それでは、阪田寛夫、またの名を、ユロオ、ぽち、ブーちゃん、オジサン(由来については本文をお読みください)の話を始めたいと」とある。
 そう。私たちも阪田さんを、オジサン、オイチャン、などと、呼んで遊んでもらった。
 いま、啓子さんの描く阪田寛夫さんを読み、(寛夫さんと啓子さんの不思議なユーモア、そっくりだ。......親子なんやね)と、笑ったり、ジンとしたりしている。啓子さんは、こう書く。
......父の書いた様々な詩を集めた『全詩集』を、編集者・伊藤英治さんが十六年かけて編んでくださった。一〇八七編の詩が載せられている分厚い本だ。
......そして「思わず広辞苑と並べて記念撮影」し、読み返して「面白い詩をたくさん書いたものだ」と感心する。
 そうなんです啓子さん。阪田さんは、奥さんや啓子さんたちを、喧嘩相手にしたり、からかったり、頼りにしたりして、こつこつこつこつ......ほんとうに、こつこつこつこつ、作品を描き続けられたのだと思います。
 啓子さんは、さらに、こんな阪田さんの様子を書く。
......父は本を一冊書くのに段ボール一箱以上の資料を集める。おまけに捨てない。放送台本に楽譜、録音テープ、新聞雑誌の切り抜き、取材にいった先の記念館などのパンフレット、入場券、泊まったホテルの領収書(何故申告に使わなかったのだろう?)。
 啓子さんは整理を始めると、その中から、阪田さんの、子ども時代の落書き帳などを見つけ、
「読むと面白くて手が止まり、片付けはなかなかはかどらなかった。」という。
 この本に出会い、啓子さんの筆によって、含羞の作家の、家族だけが知る、いろんな気配を感じさせてもらい、私は阪田さんに、丸ごと出会えた気がする。
 本の最後は、奥さんのトヨさんの認知症の様子や、阪田さんの精神の衰えの話など、せつない。つらい。しかし、啓子さんは、ぼかさず、きっちり書く。淡々と描写する。それはまるで、きっぱり向き合い見つめ合う父と娘だ。かっこいい。
 そして、啓子さんは最後にこう書く。
......体重は最後に測った時点で三十キロ台まで落ちていた。
......私は霊感などには縁がないし、夢枕に誰かが立つという経験も無かった。今まで見送った家族たちも冷たいもので、夢にも出て来ない。それなのに、喧嘩ばかりしていた父の夢だけ見た。天国なのかどこなのか、細長い食卓を囲み大勢の人が座っている。テーブルの上には湯気の立つ美味しそうなスープが並んでいて、父もその大勢の中に混じってスープを食べている。やがてどこから持ってきたのか、
「おい、見てみい」と、父は自慢げに体重計に乗ってみせた。
「どれどれ、五十キロだ! オジサンやったね」褒めたところで目が覚めた。

 これを読んで私は泣いちまった。

......オイチャン
  よかったね
  大掃除がきらいで
  資料や書き散らしを
  たくさん残しておいて
  ケンカともだちの啓子さんに
  読んでもらえて
  書いてもらえて
  よかったね。

 (くどう・なおこ 詩人/童話作家)

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