TOP > 波 -E magazine Nami- > 書評・エッセイ

波

書評・エッセイ

“本”が与えてくれるもの

――夢眠ねむ『本の本 夢眠書店、はじめます』

朝井リョウ

 本が好きだと公言している芸能人は多い。何かへの愛を宣言した途端「本当か?」「ニワカでは?」なんて矢がビュンビュン飛び交う今、著者はそこに真っすぐ立ち続けることができる稀有な存在だ。私の知る限り彼女の本への愛情を疑う声は聞いたことがないし、その内容が本にまつわるかどうかに拘わらず、著者との会話からは"本が好きな人"特有の香りを感じる。
 そんな生粋の本好きである著者が、自分の書店を開くこと、そして本の素晴らしさや読書の楽しさをもっと多くの人に知ってもらうことを目標に掲げ、本にまつわるあらゆる仕事に就く人のもとを訪れた記録がこの一冊だ。漫画、雑誌、小説、装幀、販促物などの制作過程や、一日に数万人が訪れる超大型書店の舞台裏など、本が読者の手元に届くまでの目に見える道のりを丁寧に辿りつつ、出版社と書店を繋ぐ流通業者や在庫が管理されている巨大な倉庫、つまり、私たちの目に見えない部分にまで著者の足と興味は伸びていく。
 その中には、カバーに印字されているISBN番号から読み取れる「本」の定義や、"校正"と"校閲"の違いなど、出版業界の中にいるつもりの私も初めて知るような情報も多く含まれていた。それはきっと、著者が取材対象者に対して「本」への愛を全身全霊で表明し続けた成果だろう。取材対象者の方々が皆、そんなにも愛情をぶつけてくれるならばと、情報を次々と明かしていく様子が読んでいて気持ちいい。特に、著者が愛読しているという雑誌『オレンジページ』の裏側は想像以上の細やかさで、その中を覗く窓がぱかぱか開かれていく過程は清々しいものがあった。社内にあるキッチンで掲載予定のレシピを全て試作する等、「本」というキーワードを差し引いても、自分の仕事に誇りを持つ人々の話には背筋が伸びる思いがする。料理雑誌はあまり手に取ったことがなかったが、この本が与えてくれた視点で『オレンジページ』を読んでみれば、料理が苦手な私でも楽しめそうだ。

 今、視点、と書いたが、本とはまさに、世界を見つめる視点を与えてくれるものだと思う。たとえば小説の場合、私たちは、自分とは違う性別、世代、国籍の登場人物に降りかかる出来事を描いた物語を通して、対岸の火事だと思っていた事象をこれまでにない視点で捉え直すことができる。すっかり知ったつもりでいた言葉や感情が、その形を変えるきっかけをくれるのが読書だ。武器だと思い込んでいたものが実は便利な道具だったり、自分を支える骨だと思い込んでいたものが実は自分を内側から傷つけている刃だったり――そんな気づきの積み重ねは、明日すぐ効く劇薬にはならなくとも、明日を生き抜くエンジンになりうる。
 先述した、著者から感じられる【"本が好きな人"特有の香り】とはまさに、物事を見つめる視点の多さだ。様々なトピックをパズルのように組み合わせながら話す彼女は、現に、本をあらゆる視点で捉え直したこの一冊で、私たちに次の本に手を伸ばさせることに成功している。最小努力で最大利益を得ることが推奨される現代において、読書は確かに非効率的な行為かもしれない。だけど、長年の読書経験から積み上げた無数の視点を絡ませながら対話を繰り広げる著者の姿は、即効性のある一発逆転ホームランなんか打たなくたって、一つずつ塁を進む粘り強い逞しさに包まれている。
 折角なので、最後に、WEBメディア「ほんのひきだし」で今も続いているこの連載へのリクエストをここで述べておきたい。書店を開くという目標ゆえ、紙の本に特化した取材になるのは当然の流れだが、個人的には、ネット書店や電子書籍などに携わる人の話も聞いてみたい。この分野は書店や紙の本に対してVSの関係で語られることが多いが、読書人口を増やすべくWITHの関係を築く仲間として、もっとお互いに知るべき部分がある気がするのだ。夢眠店長、引き続き応援しております!

 (あさい・りょう 作家)

夢眠ねむ『本の本 夢眠書店、はじめます』978-4-10-351381-0