書評

2017年9月号掲載

スタートアップを“疑似体験”できる本

ダイアナ・キャンダー『STARTUP(スタートアップ)―アイデアから利益を生みだす組織マネジメント―』

堤孝志

対象書籍名:『STARTUP(スタートアップ)―アイデアから利益を生みだす組織マネジメント―』
対象著者:ダイアナ・キャンダー著/牧野洋訳
対象書籍ISBN:978-4-10-507041-0

 スタートアップとは、画期的なアイデアをもとに会社を設立して起業することである。世の中を変えるアイデアを手に、資金や仲間を集めて商品を開発し、社会に自分のビジョンを問う、ワクワクしドキドキもする活動だ。我が国のスタートアップには、古くはソニーから最近のソフトバンクや楽天に至るまで種々の事例がある。昨今ではクラウドコンピューティング等の恩恵による起業コストの激減で、インターネット分野を中心にスタートアップにも追い風が吹いている。
 停滞する日本経済の突破口としても期待され、政府による起業促進策も矢継ぎ早に繰り出されているが、国全体では依然少ないのが実態だ。起業活動の活発さを示す総合起業活動指数は5・3%と、世界的に見て低い水準に長らくある。主たる原因の一つは「具体的にどうやれば良いか分からない」といったスタートアップのノウハウ不足だ。
 本書はこのような我が国の状況を劇的に改善しうる良書である。新米起業家オーエンとベテラン起業家でエンジェル投資家のサムによる起業物語を通じて、スタートアップの原理原則を具体的に教えてくれる。
 著者ダイアナ・キャンダー氏がスタートアップに挑戦する人に本書を通じて教えようとする原理原則は4つだ。
・スタートアップの目的は商品を作ることではなく顧客を見つけること
・人は製品やサービスを買うのではなく問題の解決策を買う
・起業家は占い師ではなく探偵でなければならない(つまり、アイデアが事業化可能であることの裏付けとなるファクトを見つけるべき)
・成功する起業家はリスクをとるのではなく、運を呼び込む(つまり、リスクはとるものではなく減らすもので、減らしながらチャンスを窺うべき)
「顧客開発モデル」や「リーンスタートアップ」を知る人にはお馴染みであり、目新しさは感じないかもしれない。だが本書の凄さは、スタートアップ未経験者でも物語を読むことでこれらの原理原則を自分のこととして理解できる点にある。
 私は前述の「顧客開発モデル」の提唱者で本書に序文も寄せるスティーブ・ブランク氏に師事し、同氏の方法論を活用して我が国の起業家の成功率をあげるために、大学等での起業家教育からベンチャーキャピタル投資まで様々な活動をしている。当方主催の実践プログラム「リーンローンチパッド」は1500人超の起業志望者が受講し、修了生によるスタートアップも続々誕生している。
 これらの活動で痛感している課題は、スタートアップのための原理原則は、スタートアップでの失敗経験がないと本当には分からないということだ。起業経験がない学生や大企業の社員でも読めば分かるが、実際にはやれない、又はやらないことが少なくない。これでは、折角の先人の知恵も宝の持ち腐れである。スタートアップでの失敗を防ぐ教えは、失敗しないと理解できないジレンマがあるのだ。
 本書はそのジレンマを、物語による疑似体験を提供するアプローチで克服した。今までにない中古自転車事業に挑戦するオーエン・チェースの物語に読者をどっぷり浸からせることで「ピンチ! どうしたらいいんだ」「そうか、だから価値仮説の検証が大事だったのか」とスタートアップの原理原則が自分事として自然と染み渡っていく。ポーカーという身近なゲームになぞらえて分かりやすく教えてくれるのも大きな魅力だ。
 本書はまず起業志望者に読んで欲しい。起業する時に大事なことが自ら失敗経験を積まずとも身につくだろう。大企業内の新規事業担当者にも本書は有用だ。昨今、大企業では新たな中核事業の構築に励むところが増えているが、スタートアップ未経験の社員が担うことが多く、やり方が分からなくて上手くいかない、又は担い手が現れないという課題を抱えている。本書はそのような課題の克服の良い薬になるはずだ。
 最後に、本書の「物語による起業家教育」というアプローチは今後の起業家教育のあり方を変える可能性があることを付け加えておく。本書には失敗の疑似体験だけでなく、スタートアップの楽しさを伝え起業意欲を掻き立てる機能も備わっている。オーエンが会社を立て直すためにロードバイクについて「偏頭痛級の問題」を抱える潜在顧客を探すインタビューのシーンなどはとてもワクワクするし、自分でもスタートアップに挑戦したくなるはずだ。本書に続けて様々な角度からの起業家教育のための物語本が登場することを期待したい。

 (つつみ・たかし ラーニング・アントレプレナーズ・ラボ(株)代表取締役)

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