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書評・エッセイ

大田君、逢いたかったよ。

――瀬尾まいこ『君が夏を走らせる』

あさのあつこ

 大田君にまた、逢えた。
 中学校駅伝大会で市野中学陸上部の2区を走った選手である。
 小学校のときから、名うての悪ガキで、中学に入学してもろくに授業にも出ず、体育館裏やテニスコートで煙草をふかしていた少年でもあった。前作、『あと少し、もう少し』で初めて出逢った大田君は、絵に描いたような不良少年でありながら、強い個性を放ち、独特の雰囲気を纏っている。もっとも、これは、大田君に限ったことではない。市野中学陸上部の面々は誰もが、個性的で独特だ(わたしは、4区の走者、渡部くんのややこしい優しさが好きでした)。さらに言うなら瀬尾まいこの手法とは、大きなストーリーの中に人を投げ入れるのではなく、作家としての彼女がじっくりと丁寧に捉えた人間、一人一人を描くことで、いつのまにか人間の物語を形作っていくもの......と、わたしは勝手に感じていた。
 それは、十年ちかく前に、デビュー作『卵の緒』を読んだ時から、一貫して変わらない。派手な場面があるわけでも、特異な出来事が起こるわけでもない作品の中で、瀬尾まいこの生み出した人間は、ひっそりとしかし、強靭に立っている。真夏の、真昼のグラウンドにくっきり刻まれた若い影のように鮮烈に、そこにある。
 大田君もそうだった。
 分数でつまずいて、自分を落ちこぼれと自分で決めつけているこの少年は、しかし、実に哲学的でありながら現実的な思考をする。現実に即して問題を解決していきながら、解決していくたびに生きていくために必要な小さな糧、思考力とか希望とか知識とか情報とか他人との結びつき方を学んでいくのだ。したたかで、知的で、寛容で、順応能力に長けて、優しい。
 まさに、子育てにはうってつけの資質だ。
 大田君に一歳十カ月の愛娘鈴香を託した中武先輩は、そこまで見抜いていたのか、それとも、野性(?)のカンで託するに値する相手と察知したのか。
『君が夏を走らせる』。このタイトルと大田君の登場で、わたしはてっきり、これは高校生ランナーの物語だと思い込んだ(もともと思い込みは人一倍強い)。しかし、違った。作品の中には一度も陸上の試合は出てこないし、部活の風景もほとんどない。唯一、公園での中学陸上部との走りがあるだけだ。全編、ほぼ、大田君の鈴香を相手にした奮闘ぶりが綴られている。
 十六歳の少年が、二歳前の幼児の母親代わりをする。遊び相手になり、食事を作り、公園に連れ出し、オムツを換える。
 正直、読みながらはらはらした。三人の子育てを曲がりなりにも体験した者からすれば、大田君の子守りは、はらはらどきどきの連続なのだ。
 大田君、そこで抱っこしてやらなくちゃ。そんなに焦っちゃ駄目だよ。もうちょっと小まめにオムツ交換して。ウンチをしたら女の子は前の方もきれいに拭いてやらないと云々。もう、はっきり言ってお節介な姑状態である。
 人が人を育てるのは自然でありながら至難だ。まして、十六歳の少年だ。あー、危なっかしい。あー、心配だ。
 しかし、鈴香のお母さんが言ったとおり「大田君なら大丈夫」だった。彼は人としてちゃんと人を育てられる人だった。しかも、一方的に鈴香の世話をするだけでなく、鈴香から多くを学び、鈴香を通して多くを吸収していった。公園でのお母さんたちとの会話、子どもたちとの繋がり、中学の後輩たちとの走り。そこから彼が掴んだものが、読後、静かに胸に染みてくる。
 それで、理解できた。
 これは、人と人が本気で向かい合ったとき、何が起こるのか。それを描いた物語なのだと。大田君と鈴香、二つの個がぶつかり、結びつき、火花を散らし、風を招き、葉を茂らせる。たった一つの、どこにもない物語なのだと。
 最後、「ぶんぶー」と手を振る鈴香の仕草がせつない。大田君がせつない。大田君、鈴香はまだ二歳にもなっていないけれど、忘れないと思うよ。君が走った夏のことを幼い記憶の中にちゃんととどめているはずだよ。
 子どもって、すごいからね。

 (あさの・あつこ 作家)

瀬尾まいこ『君が夏を走らせる』978-4-10-468603-2