書評

2017年8月号掲載

田辺元の思想的転回と「懺悔道」

――佐藤優『学生を戦地へ送るには 田辺元「悪魔の京大講義」を読む』

山折哲雄

対象書籍名:『学生を戦地へ送るには 田辺元「悪魔の京大講義」を読む』
対象著者:佐藤優
対象書籍ISBN:978-4-10-475213-3

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 戦争協力に手をかし、やがて反省、懺悔の生活に転じた二人の知識人に、私はこれまで関心を抱いてきた。詩人の高村光太郎と哲学者の田辺元(はじめ)だ。
 光太郎は宮沢賢治の発見者の一人だが、敗戦の直前、自己の錯誤に気づいて賢治のふるさと花巻に隠棲し、独居七年の生活をはじめた。そのころ旧制中学二年だった私は、街中で光太郎の姿をみつけ、その跡を追ったことがある。
 もう一人の田辺元には面識がなかった。だがのちに教師になってから、京大哲学の長谷正當氏の招きで集中講義に出かけ、田辺も出入していたであろう研究室の匂いを嗅ぐことがあった。
 本書は、その田辺元が昭和15年に刊行した論文『歴史的現実』をとりあげ、徹底した解説を通して、当時の田辺がなぜ若者たちにむかい、国家のため戦場に赴き、大義のため死につくべしと説くにいたったかを論じている。面白いのは、公募講座の形で集った三〇名ほどの参加者と箱根の宿に合宿し、二泊三日の過密スケジュールでおこなった講義録になっていることである。一対一の活発な自由討議の様子も盛られている。
 田辺元は国家と個人を両軸にして、その否定的媒介にもとづくユニークな「種(=民族)の論理」を提唱したことで知られる。否定的媒介というのは端的にいって「無」の媒介ということだ。その結果この論理はやがて、個人の国家にたいする無私の献身(個の否定)という隘路(あいろ)に田辺自身を追いこんでいく。やがてその過誤の大きさに彼は気づき、昭和19年になって京大生を前に「懺悔道(ざんげどう)の哲学」を講義するにいたるのである。敗戦の直前、彼は時いたれば身の運命を決する覚悟をすでにかためていたと思われる。やがて田辺もまた、高村光太郎と同じように軽井沢に隠遁する。
 この田辺元における戦争中の思想的転回について、著者の佐藤優氏は硬軟とりまぜた、豊かな知識情報をくり出して批判し、田辺哲学の心臓部を衝(つ)いている。その語りは、いつも諧謔(かいぎゃく)と皮肉のレトリックにくるんで楽しませてくれるが、しかしさきの「懺悔道」の問題についてだけはあまり言及することがない。田辺はそのことを親鸞から学んだと告白しているが、その点についても佐藤氏は一切ふれていない。したがって親鸞のいう人間の「悪」がそこに顔をのぞかせることもないのである。
 だがこれは、もしかすると無いものねだりの繰り言かもしれない。なぜなら氏は同志社大学の神学部で本場仕込みの「弁証法神学」を学んだ人だからである。仏教の宿業論に発する親鸞のいう「悪」の問題には、もともと違和感があったのかもしれない。それで田辺元のいう「懺悔」をパスしてしまったのだろう。もう一つつけ加えると、佐藤氏は周知のように、『国家の罠』を書いて世に出た人だ。国家権力に単身で立ち向い、獄中で「国家の悪」を凝視しつづけようとした人だった。それにくらべるとき、仏教に発する「人間の悪」のリアリティーはどこか迂遠のものに映っていたのかもしれない。
 それにしても佐藤氏の舌鋒の鋭さは相変らずであるが、それにもまして率直な物言い、単刀直入の切り込み方には本当に驚かされる。たとえば田辺はしばしば、人間は過去に縛られ制約される存在であるが、だからこそ未来への希望をもち、自由を手にすることができる、という。ところがそれがそのままの文脈で、「個人のなしうるところは、種族(民族)のために死ぬことである」という言明につづいていく。これはつまり「無」を媒介にする哲学のギマン性そのものをあらわしているといい、「田辺は頭はいい、だが人間は悪い」と皮肉り、会場に哄笑の渦を巻きおこす。田辺のいう「歴史的現実」の屋台骨を揺るがすのである。
 かねて私は「京都学派」の哲学には、無(否定)を媒介にした対立物の統一という思考のトリックが内蔵されており、したがって善と悪の対立もこの「無」に媒介されて相対化されてしまうのだろう、と考えてきた。西田幾多郎が「善の研究」からスタートしながら、ついに「悪の研究」につき進むことができなかった原因もそこにあるのだろうと思ってきた。しかし田辺元はもしかすると、その最晩年の「懺悔道」のテーマを引っさげて、西田哲学の不動の壁を打ち破ろうとしたのではないか。佐藤氏のいう「田辺さんは人間が悪い」は、無意識のうちにではあれ、そのことを指し示しているようにもみえる。日本列島の弁証法には、「皮を切らして肉を切る、肉を切らして骨を切る」という、いってみれば捨て身のディアレクティークが大昔から存在していたのである。

 (やまおり・てつお 宗教学者)

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