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書評・エッセイ

今月の新潮文庫

失敗ばかりの社員が大ヒットメーカーに

高杉良『組織に埋れず』

中沢孝夫

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「仕事上の失敗は仕事で返すしかない」という言葉が出てくるが本当だ。ビジネスパーソンなら誰でも覚えがあろう。何度思い出しても「豆腐の角に頭をぶつけて死んでしまいたい」気分になる失敗があるものだ。
 本書の主人公・大東敏治もその典型だ。詳しくは本書を読んで欲しい。例えば預かったお客のパスポートをホテルに預けたまま失念。あるいはお客に航空券を渡さずに先に別の場所に移動してしまったことなど、信じられない失敗をしている。しかし主人公は、その後、年金ツアーという、団体旅行の一時代を画するようなアイデアや、金利の高い積み立て旅行など、JTBの社史を飾る、大ホームランをいくつもかっ飛ばした。むろんその他、さまざまなヒットを打っている。
 どのような職場で働いても経験することだが、ヒットになるまでの苦労はある。しかしその苦労こそが仕事の醍醐味であることは、あとになると分かるものだ。
 言うまでもなく、人材をどう育てるかが企業経営の要諦だが、実はそれが最も難しい。どの会社も悩むのはそのことである。人には「個性」があり、鋳型にはめ込むような人事では才能は伸びない。しかし組織というのは、ルールと公平感があって初めて成り立つ。そして人々にはなによりも「感情」がある。
「感情論」という言葉がある。一般的にはいささかレベルが低い「論」と思われているが、そうではない。もっとも強い「論」なのである。特に「好き」「嫌い」は決定的である。会社が失敗する人事はほとんどが「好き嫌い」が原因であると言ってよい。本書にも読者が「ウン、ウン」と相槌を打ちたくなる職場の人間模様がたくさん出てくる。
 経営環境・社会的条件は同じなのに、同業であっても、伸びる会社と伸びない会社の違いはどこで決まってくるのだろう。評者(中沢)の印象では、会社の風土として、個性をもった人間が「勝手に育つ」余地があるかどうかが大きい。それは会社内のさまざまな個人の発案した「情報(企画)」が、コーディネートされる仕組みのよさ、といってもよい。本書の主人公・大東敏治の商品開発のプロセスがその典型である。これまでになかった「旅行商品」(企画)を構想し、法律や金融などの隘路を丹念に調べ、実現にもっていくには、ある程度、個人が自由に動く空間が必要だ。つまり「組織に埋れず」だ。
 大東は世界最大のマンモス旅行会社・JTB(日本交通公社)の社員であるが、入社は昭和四十七年(一九七二年)。海外渡航者の外貨持ち出し制限が撤廃されたのはこの年の十一月だった。庶民が団体旅行を中心とした海外旅行を始めた初期である。日本が七三年から七四年の第一次オイルショックを経て、安定成長の時代へと移行した時期でもある。そのころの大東の「雑巾がけの時代」としての添乗員としての苦労は、本書を読んで知って欲しい。身勝手で無理を言うお客。そして添乗員自身の信じられないような失敗。それは読者の経験と重なるはずだ。
 そうした大東が二十年後(一九九三年)に「週刊東洋経済」に寄稿した小論文「大企業の社員よ目を覚ませ」は出色だ。それは仲間の企業を作り、グループ企業間で優先的取引を行い、ポストをたらい回しにする。その結果、いつのまにか低品質・低収益の構造をもたらし、組織を弱体化させることになるという大企業の宿痾である。いわゆる「失われた二十年」は、大企業にとって「宿痾」の垢落としの時代であったといってよい。九三年の段階でこれを執筆した主人公の先見性は出色だ。そして社員の外部寄稿を許容した会社もよい。
 経済小説の第一人者である高杉良の小説は、大きく分けると、消費者金融の経営者や、日産の労働組合のボスなど、徹底した「悪」を描いた小説と、働くことによって顧客と企業の健全な発展に資することに汗を流した人物の物語の二つの流れがあるが、本書はむろん後者である。ビジネスパーソンが新しい領域に取り組む勇気が求められている今日にマッチした感動の一冊である。

 (なかざわ・たかお 福山大学教授)

高杉良『組織に埋れず』(新潮文庫)978-4-10-130335-2