TOP > 波 -E magazine Nami- > 書評・エッセイ

波

書評・エッセイ

世界文学の海原をへめぐる精神の航跡

池澤夏樹『世界文学を読みほどく スタンダールからピンチョンまで【増補新版】』

野崎歓

 まず驚くのは、これが京大文学部の夏休み最終週に行われた集中講義の内容であることだ。京大といえば超マイペースで好きなように学園生活を送ることの許される大学である(最近は知らないが数十年前までは、確かそうだったはず)。そんな大学の学生たちが、休暇を端折って教室にやって来たのだ。しかも「あとがき」によれば出席者たちの「熱意は無言の圧力となってひたひたと押し寄せ」、池澤氏は日々、準備に追われたという。
 蒸し暑い京都の夏、世界文学の最高峰と目される、ということは今どきの学生諸君が自分とは無関係と決めつけている恐れのある古典の数々についての授業が、聴講者たちの心を見事にとらえた。その秘訣をぜひとも知りたいものである。
 大学教員のはしくれとして、どんなふうに講義がなされているかというテクニカルな部分に注目しつつ読み進めたのだが、そんな不純な動機はいつしか忘れ去り、そうか『ユリシーズ』ってこういう話だったのか、『百年の孤独』を昔に一度通読したきりというのはいかにももったいないな、などと読書への意欲をいたく刺激された。さらには、『パルムの僧院』は一種のおとぎ話で、古きよき時代の物語と強調されているけれど、主人公が戦場をさまよう冒頭は意味の剥奪された状況を描いて、現代性があったようにも思うのですが、などと質問したくなったりもした。要するに一人の学生としてわくわくと聴講させていただいたのである。
 われわれ世上一般の文学部教員には、テクスト第一主義が身にしみついている。作品の抜粋をコピーで配布し、一語一句に解説を加えるというやり方を捨てられない。だが池澤さんは配布資料に頼らず、「あまり厳密に論証せず」「雑談的に」話を進めておられる。この「雑談的」なやり方こそが作品へののびやかな共感と理解の発露であることを、読者は全編にわたって感じとる。
 たとえば『ユリシーズ』が言葉遊びに満ちていることはどんな教師だって解説するだろう。しかし池澤さんはそこから日本語の特異性に触れ、rightが「権利」となったことの弊害――「権理」のほうが適切だったのに、利益追求のイメージを負わされてしまった――にまで話が及ぶ。ジョイスに触発されての展開がスリリングだ。
 そうした自在な議論が、池澤夏樹という作家だからこそ可能であるのは確かだ。同時にそれが読者として、闊達で肩ひじ張らない、文学に対しとことん開かれた姿勢に支えられていることも間違いない。読みながら鋭敏に思考をはたらかせ、そしてさらに読み続ける。世界文学の海原をへめぐる精神の航跡が鮮やかに記されている。みなさんもじっとしていないで旅に出ましょうという快活な励ましのメッセージが、どのページからも伝わってくる。なるほどこれは、"国別文学"の壁を取り払って清新な風を吹かせた名講義にちがいない。

 (のざき・かん フランス文学者・翻訳家)

池澤夏樹『世界文学を読みほどく スタンダールからピンチョンまで【増補新版】』978-4-10-603799-3