書評

2017年3月号掲載

今月の新潮文庫

魂の叫びは届くのか

押川剛『子供の死を祈る親たち』

東えりか

対象書籍名:『子供の死を祈る親たち』(新潮文庫)
対象著者:押川剛
対象書籍ISBN:978-4-10-126762-3

img_201703_18_1.jpg

 約二年前、長期間ひきこもり、家族に暴力をふるう子供を説得し、精神病院へ移送するという仕事について記した『「子供を殺してください」という親たち』(新潮文庫)が上梓された後、大きな反響があったそうだ。「子育てのノウハウを教えてほしい」という相談に対し著者の押川剛は言う。――私が得意とするのは、壊れてしまった家族への危機介入であり、子供を立派な人間に育てるためのプロフェッショナルではありません――
 本書は子育て論ではない。押川の仕事は、目の前にいる瀕死の状態にある本人と家族に対して、医者のように治療を模索し回復を手助けすることなのだ。
 治癒が望めない場合はその時点での最善を尽くす。それには本人と家族とを強引に縁を切らせたり、家を含め家財道具を一切売り払って住み慣れた場所を引き払ったりさせることも多い。「精神障害者移送サービス」を始めて二十年の経験から、押川には解決策が見えるのだろう。
 とくに今回は「子供の心を壊す親」の特徴に留意している。ここ数年、多くの「毒親本」が出版されている。両親の過度な期待に応えられず、ひきこもりや家庭内暴力を繰り返す子供たちが、そこからどのように立ち直り独り立ちしたかという話には説得力がある。憎しみが親離れを促すのは少し寂しい気がするが、大人になる過程としては正常なことだろう。
 だがひきこもりが嵩じてたてこもりになっている子供たち(とはいっても十代から五十代まで幅広い)は、その親から離れられず、憎む親によって生き延びさせてもらっている。
 もちろん本人の挫折によって大きく傷つき、精神的に社会に適応できなくなった例もあるだろう。だが明らかに「親がおかしい!」と思えるケースも多くある。最近では親自身が気づき、自分の育て方が悪かったと話すことも増えてきているようだ。だからといってその子の一生を丸抱えし、面倒を見ていくことが責任の取り方ではないだろう。
 最終的な目標は、親は子供が抱える問題を解決する手助けをし、子供は親から自立して社会のなかで生きていくこと。そのために押川は、時には劇薬とも思える強引な手段を用いることもあれば、慢性疾患に処方する薬のように、長い時間をかけて子供の自立を見守っていく場合もある。成功例だけでなく、押川が臍を噛んだような失敗例も紹介されている。
 本作の半分以上を占める第一章「ドキュメント」には押川が関わった6つのケースが詳細に記されている。
 潔癖症から強迫性障害となり十五年間ひきこもり生活を続ける三十二歳の男。本人の意思を最優先させる親が、問題を深刻にしていた。
 性格のよさで客受けがいい新宿のキャバレーホステス。彼女の裏にはヤクザまがいの男がいて薬におぼれていたのだが、大元の原因は母親に関心をもってもらいたかったのだ。
 二次元のアイドルに入れあげる十九歳の青年は、母親から厳しく躾けられた反動で、親に暴力をふるっていた。
 医者の息子として跡取りを期待されていた二十五歳の青年は、過度の重圧に耐えきれず、親や妹を支配しようと家庭内で君臨していた。
 美人で町の評判だった娘が、結婚の夢破れてひきこもりとなり、精神に異常をきたして近隣に多大な迷惑をかけても、親はそれを隠そうと画策する。
 三十年あまり自宅に引きこもる五十代の男。家族や近隣住民からの依頼を受けても医療機関や行政機関が動かず、面倒を見ている母が老い、悲愴な面持ちの姉が相談にやってきた。
 押川はスタッフと共に本人を長期間観察し、警察や保健所など公的機関の協力を取り付けて、絶妙のタイミングで本人を説得し、病院へ移送する。命の危険を伴う難しい仕事だ。
 第二章以下は日本が抱える家族の問題と、社会的背景、行政の対応、精神保健分野の現状、そして何より本人に対する再教育の重要性が説かれる。
 特に第六章の「相模原障害者施設殺傷事件」に対する考察は必読である。あの事件を防ぐタイミングはいくつかあったのだ。だが精神保健分野のプロフェッショナルの不足と、情報の共有の不徹底がひとりのモンスターを作ってしまった。
 家族の中の出来事は他人には窺い知れない。取り返しのつかない事件がまた起こる前に、新たな枠組みを作ることが喫緊の課題であると、著者の悲痛な叫びが聞こえてくる。

 (あづま・えりか HONZ副代表)

最新の書評

ページの先頭へ