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対談・鼎談

カズサビーチカズサビーチ

山本一力

1,382円(税込)

黒船より前に浦賀に来航した米国船が存在した! 日米初遭遇の歴史的瞬間がいま鮮やかに甦る。

「本船はこれより、エドへ向かう!」 1845年、捕鯨船マンハッタン号は洋上で日本人漂流者22人を救助。彼らを送り届けるため、被弾覚悟で鎖国中の日本に針路を取った。言葉の壁を越えて育まれる船乗り同士の友情と敬意。そして船はついに浦賀入港を許されて――ペリーも注目した開国への第一歩を日米双方から描く興奮の歴史長篇!

山本一力『カズサビーチ』刊行記念対談

歴史は船でやって来た!

ペリー来航の8年前に江戸幕府は異国船を受け入れていた!
そんな知られざる歴史秘話を胸躍る小説に仕上げた山本氏と
ヨットオーナーの鈴木氏が語る、海から読み解く歴史の愉しみ、生きる知恵。

山本一力 × 鈴木光司

山本 おれは漂流民や船の話が好きでよく書いているし、今回もボストンの北にあるセイラムの図書館で資料を集めたり、マンハッタン号の航海日誌を見せてもらったりして取材は重ねているけれども、実体験はそんなにない。今日は光司さんみたいな自分の船を持つ本式の船乗りに海の世界を教えてもらいたいんだ。

鈴木 いやいや、僕は今回『カズサビーチ』を読むまでマンハッタン号の話を知りませんでした。すごい勉強になりました。一力さんはどこで知ったんですか?

山本 平尾信子さんという方が書いた本『黒船前夜の出会い 捕鯨船長クーパーの来航』で知ったんだ。実際に平尾さんにお目にかかって取材先のことなどいろいろと智恵も授かってね。

鈴木 僕はこの小説を読んで歴史って面白いなと思うと同時に、情報というものの重要性を改めて痛感したんですよ。

山本 ほう、それはどういうこと?

鈴木 マンハッタン号が鳥島近海で日本人漂流民を2日連続で発見・救助して浦賀に送り届けたのが1845年。それから5年後の1850年にマンハッタン号の船長クーパーが日本の情報を集めるペリー提督の使者に自らの見聞を語るというのがこの小説の設定ですよね。すなわち、クーパーが伝えた情報がアメリカに伝わったから日本にペリーが来た。ペリーが来たから日本は開国。開国したから明治になって西欧文明が入ってきた。

山本 まさにそうだ。

鈴木 小説の中でもクーパーが「日本人との接触情報はアメリカにとって特級の資料になる」と認識し、イラストまで駆使して記録させる場面が出てくるでしょう。ああやって蓄積させていった情報が今の日本を作ったんだと、歴史を一気に見通す面白さがありました。

名船長の条件とは?

鈴木 僕がクーパーを「男だな」と思ったのは、異文化の人間と話そう、交渉しようと考えるその姿勢です。江戸湾ならともかくカズサビーチ辺り、つまり外房の海岸線であれば幕府が砲撃してくる可能性は低いわけだから、こっそり手漕ぎボートを降ろして漂流民を浜まで送り「じゃあな!」で済ませても良かったはずです。でも、彼はきちんと幕府と交渉しようとする。この態度。人類がやらなくちゃいけないことはこれだと思う。

山本 嬉しいよ、本当にしっかり読んで下さったんだ。おれがクーパー船長を書くにあたってはまずその意識があってね。彼は捕鯨船乗りとして多くの経験を積んでいた男だけれども、あの時代の世界にはまだ人食い人種だっていた。それを背景にして書いていくと、異文化との交渉は命がけなんだっていうところに行き着くよね。それに相対する幕府側の役人も、何かあれば瞬時に抜刀する構えを持っていた。お互いに命を張っていたんだ。

鈴木 命を張らなかったら、人の命を助けることはできません。

山本 いい言葉だ。まさにそうだ。

鈴木 クーパーは聡明な男だけど、船長である以上は絶対に野人的な部分も持っていたと僕は思いますね。海の上で最も危険なのは嵐でも大波でもない、乗組員の不和です。これが起こると凪いだ海でも死の危険が一気に高まる。そこで乗組員をまとめあげるために船長にはケンカの腕も必要なのです。聡明さと腕力。僕が、腕力自慢をしたり、みんなが食えない腐った肉なんかを食ったりして強がるのは船長アピール。あとで下痢したりするんだけど(笑)。

山本 いいねえ。おれが憧れる男の要素は一語で言える。「やせ我慢」なんだ。喉から手が出るほど欲しいのに「いらねえよ」と言えるかどうか。今の世の中、やせ我慢ができるヤツが少ないよな。

日本人と船の歴史

鈴木 ちなみに船乗りにとって一番大切な情報は、湾内のどこに浅瀬があるかってことなんです。浅瀬に乗り上げて座礁したら一巻の終わりだから。僕も一回やったことがあるけど。

山本 その時は海の底がどうなってるかわからなくて乗り上げちゃったの?

鈴木 わからなかったですね。ちょうど逆光で海面が同じ色に見えちゃって。

山本 それはキラキラ反射して底が見えなかったってこと?

鈴木 逆です。海面が全部暗く沈んだように見えるんです。

山本 それは船に乗る人しかわからない感覚だなあ。次の小説で使わせて(笑)。たしかに湾の中で海底がどうなっているかわからないと怖くて前に進めないね。

鈴木 今は世界中の海図が入手できるし、GPSもありますけど、それでも湾内を進むときはすごく神経を使う。きっとマンハッタン号は江戸湾の情報も持って帰ったことでしょう。

山本 そうなると情報は掛け値なしに命綱だよね。高値で売買されただろうことはすごく納得がいく。

鈴木 マンハッタン号は多数の和船に曳航されて浦賀へ進入したんですよね?

山本 まさにそこのところを光司さんに聞いてみたかった。400トンもある大型帆船をだよ、幕府は250杯以上の和船を集めて引っ張ったというんだよ。一体どうやったんだろう?

鈴木 マンハッタン号の舳先からロープを出すとしてもせいぜい2本でしょうね。それを受けた2隻がまた何本かロープを出して、という具合に順々に枝分かれさせて引っ張ったとしか思えないけど......あんなこと本当にやったんですか?

山本 それは事実らしい。おれも実際に見たわけじゃないが(笑)。
 マンハッタン号は黒潮に手を焼いて、気が付いたら房総沖から仙台の荒浜沖まで連れて行かれる。あの黒潮の流れの速さも実感としてわかるの?

鈴木 わかりますよ。僕はモータークルーザーで横浜から沖縄方面に行く長距離クルーズを6回やっていて、その時は黒潮に逆らって行くわけです。黒潮の速さは大体3ノット、つまり黙っていても1時間に3マイル(約5・5キロ)運ばれる速さだと見積もってます。だから西に行くときは10ノット出していても7ノットの速さしか出ないんですね。

山本 そうすると逆に黒潮に乗っかればプラス3ノットはアテにできるってことか。潮に乗ったなというのは手ごたえでわかるの?

鈴木 今だとGPSでわかります。

山本 GPSがなかった頃は感覚でつかんでいたのかな。

鈴木 そうですよ。たとえばずっと陸の風景を見ていて「あの岬、さっきから全然動いてないぞ」と思ったらアゲンスト(逆の潮流)に乗っているな、とか。

山本 自分の目印を決めて測るんだ。

鈴木 昔の日本人は沿岸から絶対に離れないように航行していましたから。だから陸地も目印もない場所ではまるで航行できなくなっちゃう。そこへいくと西欧人は海図とコンパスという文明の利器を頼りに、15・16世紀にはもう大西洋横断だの世界一周だのを成し遂げてるわけで、まったく敵わねえなあと思いますよ。

山本 万延元年にジョン万次郎が咸臨丸を動かした時、日本の船乗りはまるっきり役に立たなかったと言うね。嵐に遭って船酔いしたのもあるんだろうけど、目印のない海のド真ん中を進んでいくスキルがなかったんだろうな。

鈴木 でも、日本人がすごいのはそのスキルを短時間で身に着けたことですよ。日本が世界の海に乗り出せるようになったのは日英同盟のおかげで、イギリスは極東で南下してくるロシアを食い止めるために日本を武装させた。それで、できたばかりの日本海軍の士官たちがイギリスまで軍艦を取りに行き、地球を半周してくる間に操船スキルを身に着ける。また軍艦を取りに行く。さらにスキルが上がる。これを繰り返して短期間のうちに西欧に追いついていくんです。

山本 日本には欧米式の造船技術もなかったんだもんな。

鈴木 それが面白いことに、欧米の造船技術が最初に入って来たのは西伊豆の戸田で、これも『カズサビーチ』と同じく人助けから始まってるんです。ペリーの直後に下田にやってきたロシアのプチャーチン一行が下田沖で難破して、近くの戸田村に運ばれた。結局船は沈むんだけれど乗組員は全員救助され、そこで戸田の船大工とロシア人が一緒に欧米式の船を作って、ロシア人たちは全員故郷に帰り着く。

山本 それはすごく面白い。でも和船とは全然造りが違うだろう?

鈴木 和船は板を張っただけですけど、欧米の船はV字型に切った木を舳先から船尾まで繋げて造ります。だから舳先から見ると船体がV字型に見えるでしょ?

山本 思い出した。アメリカのミスティック・シーポートに木造の捕鯨船が1杯だけ現存してるんだが、たしかにいま光司さんの言った通りの造りだった。

鈴木 あの構造だから頑丈なんです。

僕らが漂流に魅かれる理由

山本 常に陸地を見ながら航行していた江戸時代の船が漂流した時は、さぞかし不安だったろうと思うよ。マンハッタン号が最初に助けた幸宝丸の11人は鳥島に上陸し、次の千寿丸の11人はその近海を漂流していたわけだけど。

鈴木 いや、鳥島にぶつかった人間は運がいいですよ。あそこは漂着のメッカだから。黒潮の流れは複雑で逆流する箇所もあるし、もしド真ん中に乗っていたらアリューシャンまで運ばれたはずです。

山本 彼らの4年前にはジョン万次郎も鳥島に着いて、ジョン・ハウランド号に救助されているしな。

鈴木 『カズサビーチ』にも、鳥島で13年間サバイバルをやって戻ってきた土佐の漁師の話が出て来るじゃないですか。

山本 自分で船を造ったんだよな。

鈴木 そうそう。その話は吉村昭さんが『漂流』という作品に書いてますね。でもいくらメッカとはいえ、ほとんどの船は島と島の間を抜けて海の藻屑と消えるわけだから......。

山本 マンハッタン号が2日続けて漂流民に出くわしたのは、あの海域ならではの奇跡ということだね。

鈴木 さらに幸宝丸がラッキーだったのは鳥島に上陸できたこと。岸から海に向かって風が吹いていたらアウトです。

山本 それはつらいだろうなあ......。

鈴木 つらいですよ。目の前に岸が見えているのに、どんどん遠ざかっていくんですから。

山本 おれが漂流民に興味を持つのは、そこにいろんな物語のタネが埋まっているからなんだ。光司さんのように知識が豊富ならサバイバルストーリーにできるし、仲間割れしてお互いを食い合っちまうような悲惨な話にもできる。極限状態で人間が何をするかという大きな物語のテーマがそこにはある。だからこそ魅かれるんだね、漂流という状況に。

鈴木 海に出る人間は出航前に必ず漂流の可能性を考えます。だから僕もすごく漂流に興味がある。やっぱり人間が試されますよね。昔から「板子一枚下は地獄」と言うけれど、海ではちょっとしたことが即、死につながるし。

山本 たとえばどんなことがあるの?

鈴木 船から落ちたらまず死にます。夜の海ならもう絶対に助からない。昼間の、波も大して荒くない海に落水して見つからなかった人もいます。6人くらいで航海していたんだけれど、他の5人はたまたま船室に入っていて、1人だけがスイミングプラットホームという船尾の張り出してる部分で海水を汲んで体を洗っていたらしい。と言うのは、他の人が気づいた時には洗面器だけが残っていて本人は消えちゃっていたから。慌てて探しに戻って、沿岸警備隊も捜索に駆け付けたけど、2年経った今もその人は見つかっていません。

山本 そうか......。

鈴木 僕は海で死ぬ場面をよく想像するんですよ。たとえば落水したとする。その時何を考えるか。「ドジ踏んだな、なんであそこで注意を怠ったんだ」と思いながら死ぬ。それはものすごく悔しい。こんなふうに死の瞬間を克明にイメージすることで、今何をすべきかが明確になります。逆に「最悪の事態を考えるのは怖いからやめよう」などと、夢の世界に逃げていたら、より大きな危険を招くことになる。自分で選択した行動の責任は自分で負う。その上で何かあったらみんなで協力し合って助ける。それが海の世界だし、社会もそうあるべきだと思う。

山本 同感。光司さんのその言葉でこの対談をシメたいね。今の世の中、自分のケツを自分で拭くという自覚が全く希薄になっているじゃないか。『カズサビーチ』の登場人物全員に共通していることは、自分の責めはまず自分で負う覚悟を決めていることなんだ。この小説からそんな力強い姿が伝われば何よりだと思っているんだよ。

 (やまもと・いちりき 作家)
 (すずき・こうじ 作家)

山本一力『カズサビーチ』978-4-10-460608-5