書評

2017年1月号掲載

「悩んだ者勝ち」と考えたい

――滝田愛美『ただしくないひと、桜井さん』

青木千恵

対象書籍名:『ただしくないひと、桜井さん』
対象著者:滝田愛美
対象書籍ISBN:978-4-10-102031-0

 二〇一六年、「ただしくない」と糾弾された事件には、どのようなものがあっただろう? すぐに思い起こすのが、いわゆる"ゲス不倫"だ。女性タレントとミュージシャンの不倫が発覚し、タレントが休業する事態になった。ただ報道をみていて、「ただしくない」ことをしたとしても、LINEの内容までさらしていいの? と思った。日頃、街なかで原稿を書いていると、周りの会話が耳に入る。「あの人はただしくない!」。では寄り集まって誰かを叩く行為が「ただしい」のかというと、それもまた違う気がする。
 本書は、第十三回「女による女のためのR-18文学賞」で読者賞を受けた、滝田愛美さんのデビュー単行本だ。受賞作「正義のみかた」(「ただしくないひと、桜井さん」を改題)に、「茜さすみどり」「それも愛」「聖なる、かな」の書き下ろし三編を加えた連作短編集で、「ただしくない」とわかりながら、その行動をしてしまう人が登場する。
 冒頭の「正義のみかた」は、"子どもの居場所づくり"としてNPO団体が運営する施設で、ボランティアをする大学生「桜井さん」の物語だ。母親への暴力をやめられない小三女児、性欲を持てあます中三女子ら、「ただしくない」行為への衝動に悩む子どもがいる。相談を受ける「僕」こと桜井さんも、見た目は好青年だが、秘密を抱えている。同じ学生ボランティアの藤崎さんが、〈僕が通う大学と、サークルなどで交流が盛んな私立女子大の二年生〉とあるから、女子が交流したい有名大学の学生だとわかる。
 二編目の「茜さすみどり」は、妻が入院し、息子と娘の世話をしながら警備会社で働く中年男の話だ。妻の不倫を知った「俺」は、動揺のあまり、電車で知り合った女の誘いに乗り、ずるずるとのめり込んでしまう。
 続く「それも愛」は、ゲームセンターで出会った二十代の男と関係を持つ老女の話だ。夫はすでに亡く、息子夫婦と絶縁し、一緒に住みたいと言っていた孫とも会えないまま独りで暮らしていた。
 最終話「聖なる、かな」は、大学を出て新聞記者になった「桜井さん」を追い、ボランティアの同僚だった「わたし」が長崎を訪ねる物語である。"教会めぐりの旅"をすることになった「わたし」の心の動きが、遠藤周作のカトリック文学にも触れつつ、精彩に綴られている。
 DV、援助交際、不倫、養育放棄など、おのれの「ただしくない」行為と向き合う人たちが登場するが、彼らの「ただしくなさ」を「異端」視してドロドロと描くのでなく、「日常の中のこと」としてライトに描いているのがポイントだ。実際、この小説を読む私自身が「ただしくない」し、半世紀以上生きて、どの人にも何かしら「裏(秘密)」があると思っている。「ただしくない」と言われて悩んだ結果、今は他者を糾弾する人の方が苦手だ。
 その点、本書の語り手たちは、「ただしくない」自分と向き合っては悩み、他罰的ではない。四編の登場人物はリンクしており、一編が終わるとき、語り手の前になんらかの筋道が現われる。そして、それぞれに道を選ぶ。どんな道であれ、いつか決着がつくのだから、"悩んだ者勝ち"と考えたい。
 人間はたくさんの思いを抱えている。不倫をしている人がDVを糾弾し、暴力を振るう人が不倫を糾弾したりしているのが、人間という動物の「日常」なのである。
 偶然で驚いたのだが、私の亡父の名は、本書の「桜井さん」と同じ「義人」だった。祖父は「義勇」だ。〈"名前負け感"ハンパない。どっちかっていうと、名前の頭に『不』つけたほうがしっくりくる感じ〉と、「ただしくなさ」を自覚する桜井さんが最終話でぼやいているのと異なり、父も祖父も名前負けしないほど「ただしい」、つまりは変わり者だった。そのため私は社会に出て「ただしくない」人たちの波にもまれ、憤慨しながら自覚していったところがある。
 だって、人間だもの。「ただしくない」人同士の遭遇は生きるうえでの必然だから、本書で少し免疫をつけておくといいかもしれない。何より、小説として面白い。ほんとうに新人? と思うくらい巧みで、これからがとても楽しみだ。

 (あおき・ちえ フリーライター、書評家)

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