書評

2016年10月号掲載

生と死と生物と無生物

更科功『爆発的進化論 1%の奇跡がヒトを作った』

更科功

対象書籍名:『爆発的進化論 1%の奇跡がヒトを作った』
対象著者:更科功
対象書籍ISBN:978-4-10-610685-9

 人は死んだらどうなるのだろう。天国か地獄にでも行くのだろうか。
 生から死への境界を越えたことがないので、向こう側のことはわからない。私が、こっち側から向こう側へ行くのは、もう少し先のことだろう。しかし考えてみれば、向こう側からこっち側へ来たことはある。私は、死んだことはないけれど、生まれたことはあるのだから。
 では、私はいつ生まれたのだろうか。もちろん、いわゆる誕生日や、卵と精子が受精した瞬間を、生まれたときと決めてもよい。しかし、それって、本当に私が生まれたときなのだろうか。
 たとえば、意識について考えてみよう。私たちが生きていることを実感するのは、意識があるからだ。その意識はいつ生まれたのだろうか。
 おそらく受精卵のときには、意識はないだろう。受精卵が細胞分裂をして二つの細胞になる。四つになる。まだ意識はない。それから、どんどん増えていく。そして、細胞の数が数十兆になるころには意識が生まれている。数十兆というのは大人の細胞の数なのだから。
 つまり意識が生まれたのは、細胞が一個よりは多くて数十兆個よりは少ない時期のいつかである。百億個のときだろうか、それとも一兆個のときだろうか。いや実際には、意識は一瞬で出現したわけではなく、細胞が分裂するにつれてゆっくりと少しずつ現れてきたに違いない。きっと意識が現れる前に「半意識」とでも呼べるような、ぼんやりした何かがあったのだろう。向こう側からこっち側にくる道は連続的で、はっきりとした境界はなさそうだ。
 さらに視野を広げれば、生物と無生物の境界についても同じことがいえるのではないだろうか。生物と無生物は連続的につながっていて、境界を引くことは難しい。実は現在の地球にも、この境界の近くに結構たくさんのナニモノかがいて、それらは生物だか無生物だかよくわからない「半生物」である。それでは「半生物」とはいったい何だろうか。
 今回、新潮新書から『爆発的進化論』を上梓させていただいた。その中で、向こう側からこっち側に来る話(無生物が「半生物」を通って生物に進化する話)と、こっち側の話(生物の進化の話)をした。
 こっち側の話は、私たちヒトの体を紹介しながら話を進める形にした。私たちヒトが生まれたのは、足や眼や脳が進化した結果である。それぞれに大きな進化、爆発的な進化が関係している。そういうわけで、タイトルは「爆発的進化」の「論」である。でも、このタイトルは、何だか「爆発的」な「進化論」にも読める。進化論が爆発するわけではないのだけれど......でも、そう思えるほど面白く読んでいただければ、著者として望外の喜びである。

 (さらしな・いさお 分子古生物学者)

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