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書評・エッセイ

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モノクロームの暴力

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『救い出される』
ジェイムズ・ディッキー 酒本雅之/訳

北上次郎

 川を下る冒険小説としては、セシル・スコット・フォレスター『アフリカの女王』があまりにも有名である。第一次大戦下の東アフリカを舞台にした冒険小説だが、世間知らずの宣教師の妹ローズと、イギリス下町育ちの粗野な男オルナットが、高性能爆薬を積んだ全長十メートルの蒸気船でドイツ軍支配下の地域を流れる急流を下っていく物語だ。二人の対比の妙と、息つく暇ないスピーディな物語展開が『アフリカの女王』を傑作たらしめている。女性が主人公の冒険小説というのもきわめて珍しい。
 この『アフリカの女王』を一方に置くと、本書『救い出される』は対照的な物語といっていい。こちらは男たちの物語だ。これが一つ。もう一つは、『アフリカの女王』がドイツ軍に兄を殺されたローズの復讐という明確な目的を持つことに比べ、本書は退屈して川に出た四人の中年男が災難に見舞われる話である。さらに、ストーリー性が濃く、色彩感豊かな『アフリカの女王』に比べ、本書には静謐なモノクロ画の風情がある。たとえば、ルイスが弓を射るシーン。いつの間にか男は倒れ、ルイスがゆっくりと現れる。あるいはカヌーが転覆する場面。まるで無音の世界でカヌーがひっくり返るように、激流の音が聞こえてこない。しばらくしてから、突然音が蘇る。こちらの川下りはそんな世界だ。
 後半、語り手のエドは狩る者として山に入っていくが、その戦いもあくまでモノクロの世界での戦いである。閃光のあとに一瞬間が空いてから音が聞こえてくるように、山中の息づかいと、自分の体に傷を発見する時間にずれがある。その間に横たわる時間のずれが、暴力の激しさを余計に伝えてくる。上流で車を預けた男たちも不気味だが、途中で現れた男たちは何者なのか、余計な描写をいっさい省略しているところが、その激しさと不安を伝えている。
 一九七一年にこういう小説が翻訳されていたとは知らなかった。初刊のときに読んでいれば異色の冒険小説として堪能したことだろう。ちなみに、『アフリカの女王』はキャサリン・ヘプバーンとハンフリー・ボガートで映画化されたが、本書も一九七二年に映画化されている。原作者のジェイムズ・ディッキーが自分で脚色し、のちに「エクソシスト2」を撮るジョン・ブアマンが監督。映画のタイトルは「脱出」である。迷い込んだ渓流からエドたちがいかに脱出するかというのが後半の展開なので(原作にもここから我々は脱出できるだろうかとエドが述懐するくだりがある)、そのタイトルがつけられたのだろう。

 (きたがみ・じろう 評論家)

ジェイムズ・ディッキー 酒本雅之/訳『救い出される』978-4-10-220071-1